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【詩的生活宣言*4】走るひとは、詩人として住まう、この大地に。

「走るひと」になること

9月24日——。
前日の夜、発売前に手に入れた「PLANETS10」の雑誌内雑誌「走るひと」の記事を読んでいると、無性に街を走りだしたくなって、明日は朝からどこかに走りに行こうと決めていました。「意外と走れる渋谷マップ」というページもあって、走ってみたら楽しいかもとか思いつつも、朝、目が覚めてみると、割合調子はいいのだけれど、渋谷まで走りに行ったところで、荷物を置く場所がないことに気づき、近場を走ることにしました。

走るに際して、荷物の問題は結構大きい。スマホ一つ、ポケットに入っているととても煩わしい。かといって、ランニングアプリなどは使いたいので持って走りたいし、道に迷ったときにも役にたつ。よって、いまは手に持って走っているのだけれども、いずれは何かしらいい方法を見つけたいものです。

さて、いままでは走っていても、ジムのトレッドミルで走ってばかりでした。しかし、走っても走っても風景が変わらないのは何かつまらない気もしていました。ネットフリックスを見ながら走ることもできるのですが、画面を見つめているとだんだん目が疲れるのか、気分が悪くなって、走り終わるとめまいに襲われることもしばしばで、困ったものでした。

通っている整骨院のさわやかイケメン先生にも、走るなら外がいいですよとも言われていました。地面を蹴ったときの感触と、それによってどれほどの距離を進み、どれほどの加速がつくのか、そして、移り行く風景を捉える眼球の動きと、聞こえてくる足音や街の音、風を切る音、自分の鼓動、そういうものを全身で、五感で感じとることが、総合的に筋肉には刺激になるのですといったことを力説されたのをよく覚えています。なので、今回の「走るひと」に感化されたのはちょうどいい機会だと思いました。

少し曇り空のなか、家を出て、道を歩きながらストレッチをして、徐々に走る態勢に入っていきました。しばらくは見覚えのある景色を駆けていきます。そして、やがて、おや、ここは知らないところだぞ、と見知らぬ道を入っていく。そのときに聴こえる音は、自分の足音だけでした。

走ると、意外に大きな音が出る。自分の身体を筋肉が支え切れていないのだと思う。もっと足腰を鍛えなければ。この音がどこまで聴こえてしまっているのか。目の前におじさんが歩いている、この音が近づいてきたら、ちょっと嫌だろうなと思って少し加速をしてはやめに通り過ぎる。しばらくすると、緑道のような小道を見つける。散歩用に舗装された道だ。まっすぐ、走っていく。両脇に緑が生い茂る。気持ちがいい。足音と、風にゆれる木々と葉っぱのさざめきが聴こえる。疲れた。息があがってきた。だんだんと肩で息をしている。苦しい。それでも、こんなに気持ちがいいのはなんでだろう。もっと、もっとはやく、もっとながく、どこまでも走っていきたい。

とも思うものの、慣れない身体はすぐに悲鳴をあげて、緑道の途中のベンチに腰かけて、しばらく異常なまでに高鳴る鼓動に向き合い続ける。大きく、細かく、肩で息をする。汗がとめどなく流れていく。なぜ、こんなことをしてしまったのか。少し、いや、かなり後悔する。こんなに遠くまで来てしまって、帰りもこの距離を走るのか、こんなに疲れてしまったのに。どうしよう。と、嘔吐に近い気分の悪さが襲ってくる。それでも、それでも、なぜ、こんなにすがすがしいのか。

やはり、街を走ると、情報量が違うことに気付く。トレッドミルの無限に同じ場所を走らされている感覚と、まったく違う感覚が全身を刺激する。そんなことを考えて、自分の身体の感触を見つめていると、何かを言いたくて仕方のない気持ちが湧いてくる。この、身体のうちに溢れた情報を、なんとかして自分のうちから表出したい気持ちにかられる。けれど、高鳴る鼓動とやまない荒い呼吸が、どもらせるように言葉をせき止める——。
かろうじてTwitterに自分の興奮を伝えて、とぼとぼと知らない街を歩いて帰りました。

「涯テノ詩聲 詩人吉増剛造」展に行く

午後、シャワーを浴びて、昼食を食べると、まだ時間があるので、カレンダーのリマインドで「涯テノ詩聲 詩人吉増剛造」展(松濤美術館)が24日までであることを思い出しました。二年ほどまえに国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展を観に行ったことがあって、それと何か違うのだろうか? と思いながら、ずっと行けていなかったので、ちょうどいい機会なので行ってみることにしました。

松濤美術館はたしか「ハイレッドセンター」展以来でした。あのときもとてもいい展示で、「直接行動(ダイレクトアクション)」ということにたいへん刺激を受けて創作意欲が掻き立てられたものでした。多少の感慨にふけりながら松濤のハイソな通りを、ランニングで疲れた足腰でふらふらと歩いていきました。

思えば、吉増剛造の詩との出会いは、まさに前回の展示「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」で『怪物君』という詩集に出会ったときでした。なぜかそれまでは、吉増剛造という詩人を避けていました。なんとなくその理由も今ならわかりますが、3.11に取材した吉増剛造が描き出した『怪物君』の詩句が、かつてないショックを僕に与えました。単純にこんな詩は見たことがない。そして、なによりもショッキングだったのは、その原稿でした。

彼の原稿を見たとき、まず文学館で展示されているような「作家の原稿」という僕の共通イメージが音を立てるように崩れ去りました。とにかく、なんだこれはなんだこれはなんだこれはなんだこれは……としか考えることができません。

原稿用紙一面に針の先で書いたような細かい「字」(「字」とはなんだ……)が延々と書かれ(描かれ?)しかも、それは一色ではない……そして、僕たちは「詩」の原稿を見ているはずなのだが、どういうことか、やはり何色かの絵の具で……しかも、それは「塗る」というよりも、「汚され」ているというのか、ともかく、いくつもの染料によって「染め」られており……そして、常人ならば、それは、読むことができない状態になっている……のが、何十枚と展示されていて、何を見に来たのかわからなくなる……というのが、「声ノマ」での記憶です。

そして、今回も例にもれず、それらの原稿、さらには、それ以後に書かれた原稿類が数多く展示されていました。

何度見ても、慣れることができない。
ずっと、頭のなかを離れることがない、なんだこれはなんだこれはなんだこれは……。
ここ数か月、詩について考えていましたが、もはやこの営為は、僕たちが考えている「現代詩」などという枠組みからは大きく逸脱してしまっています。

読めない言葉を書くということ

いったい、この人は何をしているのだろう……と、考えていると、やはり思うのは、彼は「詩」を書いているわけですが、「文学」としての「詩」の領域の限界を押し広げている、というよりも、もはやその外側に、全然関係のないところに、しかし、非常に「詩」として本質的なところで、創作をしているように感じるということです。

彼はパソコンで詩を書くとか、そういう、ただ言葉を発するだけの詩人ではありません。原稿用紙に、色とりどりのペンで言葉を刻みこんでいく。そして、びっしりと紙面が埋め尽くされたあと、そこに染料を塗り重ねていく。あるいは、なにか別の物質を貼り付けていく。そうして出来上がる、「原稿」という名の何か別のもの。僕がここで本質的だと思うのは、書いた言葉が、もはや「読めない」ものになっているということです。

詩人だから、言葉を届けることが、その仕事なのではないかと普通は思うはずですが、彼は、せっかく書いた言葉を染めてしまう。通常の詩人であれば、その言葉の羅列を刻みこんだ時点で満足し、それをワードに打ち込んで、おれは詩を書いた!と達成感に満ち溢れることでしょう。しかし、彼はあろうことか、その言葉を読めなくさせてしまう。その狂気と破壊。なにしてるのなにしてるの……と理解を超えたものが目の前にある。僕はずっと怖くてたまりませんでした。あの言葉を原稿に刻み込むだけでどれだけの労力があり……僕であったら、それで、満足してしまうであろうものを、それを、汚す……?

といっても、それは汚されていても、決して「汚い」ものではありません。それは、たしかに「アート」なのです。そう、僕が本質的だと言いたいのは、彼がやっていることは、もはや「文学」としての「詩」を書くことではないのです。「詩」を一旦、「文学」という領域から引きはがし、もとの「藝術」に返してから、そこからまた彼の「詩」を「書いている」とでも言えばいいでしょうか。それゆえに、松濤美術館に展示されていた原稿の数々は、まさに「藝術」としての「詩」であったのだと言えるでしょう(当然のことを言っているだけですが)。さんざんこれまで主張してきたようなことは、ここにあったのだなあと思いました。

詩人の帰還

「藝術」ここにあり。
そんなことを考えると、「声ノマ」の最終日に吉増剛造と佐々木中のトークショーがあって(先着順だったので割とならびました)、そのときに佐々木中さんが言っていたことをやはり思い出します。

ミュージアムはもともとギリシャ語のムーセイオンですね。つまり「ムーサの神殿、ムーサの神域」という意味です。ムーサというのはミューズですね。ギリシャ神話の女神の名前です。(中略)詩と歌と劇とダンスの女神たちです。ムーサはミュージック、音楽の語源でもあります。ここから後に人間のあらゆる芸術的・知的活動の女神たちであるとされるようになった。だからミュージアムというのは圧倒的にこっち側の、まずもって詩と歌の女神たちの館なんですね。絵の女神がいないから絵は美術館から出て行けなんて、そんな乱暴なことは僕らは決して申し上げません(笑)
 ただ、ついに、こうしてムーセイオンという本来の場所に詩人が帰ってきたということです。詩人の帰還です。皆様、この佳き日にあたって、万雷の拍手を以てお応えいただければと思います。
(「対話――佐々木中 詩人は優しく踊る。揺れて、縮れて、流れてしまう世の中で。」(「声ノマ 全身詩人、吉増剛造」展での対談(於:東京国立近代美術館 2016年8月6日))吉増剛造『火ノ刺繍』響文社 2018年5月)

「詩人の帰還」。
佐々木中さんのこの話で会場は盛り上がりました。
僕も、気分が高揚して、この場面をよく覚えています。
そして、いろいろな意味を込めて、まったくこの通りだと思います。
僕たちはいつのまにか「詩」をすごく末端のものとして、「文学」のなかの「現代詩」という空間に閉じ込めすぎたのかもしれません。
それによって、なんだか「藝術」から遠く離れて、ミュージアムとは無縁のものにしてしまっていたのかもしれません。
ただ、もちろん、詩人みなが吉増剛造になれるわけでもないし、ならなければならないわけでもない。
しかし、こうした、本質的な、根源的なところに迫れる者こそを本来的な意味で「詩人」と呼ぶにふさわしいのかもしれません。

そんなことを考えた吉増剛造展でした。

「走るひと」から「詩人として住まう」ことへ

とはいえ、一方で、この日の、ランニングを通して感じたことや考えたこと、そうした実感としては、全く別のこともありうると思います。

それは、誰もが「詩人」であるような気もする、ということです。

同じく、佐々木中さんがヘルダーリンの詩句を引用していたのを思い出します。

勲は多く、だが、詩人として住まうのである
人間はこの大地の上に

この日、ランニングをして、全身で感じた何か。
それを、表出してみたいと思った衝動。
でも、それを何と言ったらいいかわからない。
誰もが、そういう「言い得ないこと」を言いたいと思ったことがあるはず。
それは、すでにしてみな「詩人」であるからかもしれない。
「詩人」として、この世界に生きているからかもしれない。
「詩を読む人」が、だいたい「詩を書(きたい)く人」である秘密は、きっと、その「言い得ないこと」を言った人によくぞ言ったと思うからだ。
そして、それを言ってしまった人が吉増剛造であり、
それを実は言ってみたいとどこかで願いながらこの大地に住まうのが僕たち人間なのかもしれない。
言った、言わないの違いがあるけれど、
(そしてそれはやはり大きな違いなのだが)
どちらにしろ、僕たちは「詩人」として生きている。

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