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ハグとオーロラがあれば日本人も幸せになれるかな

精神疾患に縁のない人に「は〜拒食症になって痩せたーーーい」とか「鬱になれば会社辞められるじゃん、いいなー」とか言われると悲しくなる。
鬱や摂食障害についての知識なんてなくても生きていけるけど、それにしても一般社会には正しい情報がなさすぎて、だからそういう人たちがいるんだろうし、そういう人たちに怒るのもお門違いだってわかるんだけど、だからこそそんな世の中に悲しくなる。

鬱で仕事辞めるって、「受験の日に盲腸になって病院で安静にしてなきゃいけなくていちばん行きたかった学校に入れない」とか、そういう感じだと思うんだよね。休んでることに対して焦るし罪悪感さえ覚えたりする、そういうの。

ただ、そういう今まで生きてきて精神疾患に縁がなかった人たちだって、「拒食症になりたい」と言ってしまうほどには痩せたかったり、「鬱になって仕事を休みたい」と言ってしまうほどに仕事を休みたかったり、そういうことかもな、とは思う。
そうまでして痩せたり休んだりしたいなんて、そんなふうに考えさせる世の中ってなんなんだろう、とか。

べつに鬱にならなくても休んじゃえばいいじゃん〜と根無し草の私は考えてしまう。そんな甘いことは通用しないのかもしれないけれど、それくらいの心づもりでいないと私は死ぬ。

私が中学生のとき、バレーボール部の同級生が何気なく口にした「拒食症になりたーい」の言葉に小学校から大学までお嬢様学校で育った理科の先生が神妙な面持で「手へんのない方?」と返してたの、今でも思い出す。
ブラックすぎるし、手へんのない方でも摂食障害だよ。先生元気かな、会いに行こう。




今朝、職場に向かう途中、すごく具合が悪くなったんです。歩きながらぼーっとして気持ち悪くて、あんまり記憶はないけどただただふらふらしてた。
それで道路の端にしゃがみこんでたら知らないおじいさんが声をかけてくれて、とりあえず職場に電話を入れて家に戻って。疲れてるのかただ眠いのか、なにか嫌なことでもあったのか、自分のことなのによくわからないまま、とにかくお昼までは寝てしまおう、と思ってぐっすり眠ったらある程度よくなりました。

でも起きたときにすごく悪いことをしているような気になって「ああ、またみんなに差をつけられた」とか「同年代のみんなはきちんと働いたり子育てしたりしてるのに……」なんて考えてしまって、冷静になると「みんな」って誰だよとか思うんですけど、弱ってるときは脳も弱っていて慣れたルートを通りたがるのです。だから生きるとか死ぬとかそういうことを考えがち。思考の癖はなかなか抜けません。

とにかく生活に真摯に向き合わないと身も心も健康でいられない。
でも……食事が大事だと思ってたくさん食べるとハイパー眠くなるしお腹をくだすし、だからといって少食にすると体力が落ちて心身ともに死にます。
そして筋肉量が足りてないのかなと思って鍛えてもさらに代謝が上がって食べる量ふやさなくちゃいけなくてそうするとまた眠くてダメですね。
食事や生活習慣を見直して、日々真剣に生きてるつもりでも結局季節の変わり目には必ず風邪をひくし、人間として生きるのむずかしすぎます……。





新年度になりましたが、新3年生が未だにだっこをせがむんですね。
正直に言うと、だっこをせがまれるのは可愛いし嬉しいんですけど、うちの施設ではだっこはあんまり好ましくないって方針みたいなんです。
だから私は「もう3年生なのにー!はっずかしー!」なんておちょくって止めさせようとしてるんですけど、よく考えたら私もちゃんとした正式なだっことかされたいなって家でぐずっているのであんまり偉そうなことは言えないなって思います。
人と触れ合うのって安心するよねって話でした。

写真はチョリソーとレタスのスープと棒棒鶏です。
明日はついに入学式!制服が導入されます。

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