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最も偉大なクラシック音楽の作曲家ランキング・ベスト50(The 50 Greatest Classical Music Composers)

はじめに (Introduction)

※2022/2/8更新:重大な作曲家を一人忘れていたので一人差し替えさせていただきました。それに伴いランキングも少し弄ってます。

※この記事は以前私がnoteに記載した記事『最も偉大なクラシック音楽作曲家30選(ランキングBest30)』の増補・改訂版です。なので記事の大半が元記事と同じ内容となっております。ご了承ください。

https://note.com/enamel_bouya/n/n3909ec8f8bdb

※また、この記事は外国の方にも読んでもらいたいので、いろいろな言語にご自由に翻訳してくださるとありがたいです!(自身のページに翻訳記事を掲載してくださる形でかまいませんが、事前にコメントなどにご一報くださるとなおありがたいです。ただ、あくまでもボランティアとしての募集です。報酬は払えませんのでご了承ください。)


数年前ネットサーフィンをしていてこのようなサイトを目にした。

非常に面白く、かなりよく考えられた記事なのだが、一つ疑問に思ったことがある。
それは、

「10人じゃ少なくない?」

ということで改めて選ぶ人数を50人に増やして、個人的にクラシック音楽の作曲家の中で最も偉大だと思う50人を紹介してみようと思う。また最後には個人的ランキングも載せておく。
なお改訂前の記事では選べ切れずに30人に減らしたが、今回何とか(無理矢理)50人に選定できたので改訂させていただいた。
YouTube Musicのリンクも貼っておいた。ぜひ一聴願いたい。
なお、オペラもあるので対訳がたくさん挙げられている「オペラ対訳プロジェクト」というサイトのリンクも貼っておくので、そちらを参考にするとよいかもしれない。

※なお、これらの選評はあくまで個人調べで独断と偏見に満ちたものになるため、もし間違っている箇所や誤字脱字等ございましたらコメントで指摘お願いします。


中世・ルネサンス期 (Early Music)

ペロタン (Pérotin)

12~13世紀、ノートルダム楽派の雄として、先輩のレオナンが『オルガヌム大全』で纏め上げたオルガヌムを改作して4声のオルガヌムに発展させた人。ここから本格的な多声音楽が作られることになる。本格的な西洋音楽の発展はこの人(と先輩のレオナン)から始まったといっても過言ではない。


ジョン・ダンスタブル (John Dunstable)

15世紀初頭、イギリスから大陸へ3・6度の長音程を伝来させ、それまで旋法主体だった大陸に長調と短調の響きを生み出させた人。現在の音楽のほとんどが長調・短調からなることを考えると、この伝来による音楽史への影響は計り知れない。


ギヨーム・デュファイ (Guillaume Du Fay)

15世紀のブルゴーニュ楽派の筆頭として、ルネサンス音楽を開拓した作曲家。ダンスタブルが伝えた3・6度の長音程と大陸伝統のある4・5度の完全音程を組み合わせて新しい「循環ミサ曲」の様式を確立した。また、かつて3声で構成されていたミサ曲に4声を導入し、現在のソプラノ、アルト、テノール、バスの4声部合唱につながっている。


ジョスカン・デ・プレ (Josquin des Prez)

15世紀のフランドル楽派の頂点にして盛期ルネサンス音楽の中心的存在となった人。循環ミサ曲をさらに発展させ、「通模倣方式」の様式を完成させた。生前からルターをはじめとした様々な同時代人に絶賛され、イタリア音楽に大きな影響を与えた。


ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ (Giovanni Pierluigi da Palestrina)

後期ルネサンスの作曲家で当時保守派だったローマ楽派の筆頭。「教会音楽の父」。ポリフォニー音楽を高度に極めた彼の音楽様式はのちに「パレストリーナ様式」と呼ばれるようになり、フックス著の『Gradus ad Parnassum』(日本では『古典対位法』の名で翻訳)にて厳格対位法の模範として体系・理論化された。かのバッハも彼の曲を研究していたことで知られている。


バロック音楽 (Baroque Music)

クラウディオ・モンテヴェルディ (Claudio Monteverdi)

和声を重視したヴェネツィア楽派の筆頭として、ルネサンス音楽からバロック音楽への橋渡しを行った人。オペラ自体はヤコボ・ペーリが始めたが、モンテヴェルディの代表作オペラ『オルフェオ』により、本ジャンルの音楽的地位を確固たるものとした。また『オルフェオ』は各声部への楽器指定をした最初の作品とされており、オーケストラの元祖ともいえる楽曲である。ここから楽曲のドラマティック化、大規模化が進むことになる。
また彼はマドリガーレ第5巻にて今までの作曲法である「第一作法」に対する新しい作曲法「第二作法」を提唱し、不協和音の使用も辞さない和声による徹底的な音楽表現を追究した。そのため彼の音楽は初期バロック音楽のわりに不協和音が多い作風となっている。


ジャン=バティスト・リュリ (Jean-Baptiste Lully)

イタリア出身ながらフランスに帰化し、ルイ14世お抱えの宮廷楽長として権勢をほしいままにした盛期バロック派の作曲家。フランス古典主義を代表する喜劇作家のモリエールとタッグを組み、宮廷バレエを発展させてフランス・オペラの基礎を作った。悲劇オペラについても「抒情悲劇」の様式を創出し、これもフランス・オペラの基礎となった。またフランス風序曲を確立したり、急速な舞曲を積極的に導入したりして、舞曲および組曲の発展につながったと言われている。指揮棒(にしていた杖)で死んでしまった作曲家としても有名である。総じて、舞曲の発展とフランス音楽の発展に大きく貢献した。


アルカンジェロ・コレッリ (Arcangelo Corelli)

盛期バロック時代において、今やクラシック音楽の一大ジャンルとなっている「協奏曲」の様式を確立させた(創始者はストラデッラ)。また、今のソナタの源流の一つとなる「教会ソナタ」の形式を確立し、もう一つの源流である「室内ソナタ」の様式の形成にも貢献した。教会ソナタの急-徐-徐-急の4楽章形式は後のピアノソナタをはじめとするソナタの楽章構成のみならず、交響曲における4楽章構成の源流にもなっている。


アントニオ・ヴィヴァルディ (Antonio Vivaldi)

後期バロック時代において、コレッリが確立しトレッリが発展させた合奏協奏曲をさらに発展させ、クラシック音楽の一大ジャンルである「独奏協奏曲」のジャンルを確立した。協奏曲における急-徐-急の3楽章形式を打ち立て、第一楽章で彼が用いたリトルネッロ形式は後の音楽のソナタ形式に影響を与えている。また独奏協奏曲の形成によりソロパートで用いられる楽器群(特にヴァイオリン)の語法の発展にも貢献している。


ジャン=フィリップ・ラモー (Jean-Philippe Rameau)

後期バロック時代を代表するフランスの作曲家・音楽理論家。彼の最大の功績は「和声法の確立」であろう。和声法の理論書『自然の諸原理に還元された和声論』(『和声論』)を著し、近代和声法の原理を初めて理論化し、体系化させた。
また作曲家としても大きな功績を残しており、フランソワ・クープランらが確立したチェンバロ音楽をさらに発展させ、『クラヴサン曲集』を出版してチェンバロ(とその跡を継ぐピアノ)の地位向上に貢献した。ここではフランソワ・クープランが確立したロココ様式と、彼が確立した和声論が遺憾なく利用されている。
リュリの精神を継いだオペラ作曲家としても活躍し、フランス・オペラを発展させた。しかしフランス・オペラは後述するペルゴレージに端を発するオペラ・ブッファから発展して生じたオペラ・コミックと対立することになる。これを「ブフォン論争」といい、ラモーはフランス・オペラ側についたが、負けてしまい、以後のフランスにおけるオペラはオペラ・コミックが主流となる。(なお、ブフォン論争でオペラ・コミックを推進したのが『社会契約説』で知られる大哲学者ルソーである。ルソーは生前オペラ作曲家としても有名だった。)
死後、19世紀ごろよりフランスで再評価され、ベルリオーズやサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルといったフランスを代表する作曲家から絶賛されている。


ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (Georg Friedrich Händel)

ドイツに生まれながらも主にイギリスをはじめとして国際的に活躍した末期バロック時代の人。後述するバッハと同い年。明確な音楽内容かつ大規模、ドラマティックな作品群により生前から西欧で絶大な評価を受けており、バッハも面会したがったほどの存在である。職人としての側面が強く、作曲家が書いた作品が死後顧みられることはほぼなかった当時において、初めて死後も名声が衰えず作品が演奏され続けた作曲家である。
また彼の代表作『メサイア』は市民に向けて演奏会で演奏された最初期の作品であり、産業革命により台頭してきた市民という新たな音楽顧客層の確立、演奏会という音楽市場の拡大にも貢献している。


ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach)

末期バロック時代において、当時流行していたホモフォニー音楽を踏まえながらもそれまでのポリフォニー音楽・教会音楽を最高の次元でまとめ上げ、バロック音楽の総決算となった人。クラシック音楽を含めた音楽に対する後世への影響力は甚大であり、死後に与えられたあだ名「音楽の父」も決して過言ではない。指揮者ビューローは彼の『平均律クラヴィーア曲集』を「ピアノの旧約聖書」と称したが、後世への影響を考えると「音楽の旧約聖書」的存在と言える存在である。
しかしながら作品のあまりの高度さゆえに、作曲家としては生前はヘンデルほどの評価はなされておらず(ヘンデルは積極的に海外で活動したがバッハは生涯ずっと神聖ローマ帝国に籠っていたという背景もある)、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのほうが評価が高かった(オルガニストとしての評判は生前からかなり高かったが)。死後も大きく顧みられることはなかったが、それでもバッハの息子たちなどを通じてハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン達に評価され、影響を与えて着実に名声を高めていき、1829年のメンデルスゾーンによる『マタイ受難曲』復活演奏により現在も続く絶対的な名声を獲得した。
ちなみに子供が20人いたビッグダディーでもあり、うちヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ、ヨハン・クリスティアン・バッハの4人は音楽家として成功し、古典派音楽の発展に寄与している。またあまり知られていないがバッハは相当の頑固者であり、金銭問題などでパトロンとトラブルを起こしたりしている。


ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ (Giovanni Battista Pergolesi)

18世紀前半の前古典派の時代に活躍した、ナポリ楽派を代表する作曲家。26歳にして亡くなるという非常に短い生涯を送った彼だが傑作を多く残した。特に彼の作曲した幕間劇『奥様女中』の成功により、「オペラ・ブッファ」のジャンルを確立した業績が音楽史上重要である。その後サリエリやモーツァルトがオペラ・ブッファの作曲家として成功し、フランスにおいてオペラ・ブッファが「オペラ・コミック」に変容され、後の「オペレッタ」発生の嚆矢となった。


古典派音楽 (Classical Music)

クリストフ・ヴィリバルト・グルック (Christoph Willibald Gluck)

18世紀前半において、当時隆盛を極めていたオペラに大改革を施した人。アリアをはじめとしたカストラートの歌謡ショーとなりシナリオが軽視されていた当時のオペラ・セリアに異を唱え、シナリオを重視し音楽とドラマが一体化したオペラを作成した。彼のドラマティックな作風は後のオペラ作曲に大きな影響を与え、特に影響が大きかったフランスではケルビーニ、スポンティーニ、ベルリオーズなどに大きな影響を与え、後の「グランド・オペラ」発生へつながった。またウェーバー、ワーグナーなど、後のドイツ・オペラにも大きな影響を残した。


フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn)

ウィーン古典派筆頭その1。現在クラシック音楽の大ジャンルとなっている交響曲と弦楽四重奏曲の様式の確立に大いに貢献した「交響曲と弦楽四重奏曲の父」。モーツァルトやベートーヴェンをはじめとした後の作曲家に大きな影響を及ぼしている。また、公民権の強化により当時確立された「公開演奏会」と「楽譜出版」という2市場において大成功を収めた最初期の作曲家であり、市民の音楽市場への参加に貢献した。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart)

ウィーン古典派筆頭その2。現在でもその名を聞いて知らない人はほぼいないであろう超有名作曲家。18世紀半ばのオーストリアにおいて、神童として幼少期から才能を見せ、多くのジャンルで傑作を残した。35年の短い生涯の中で書いた彼の作品は、ハイドンが確立した交響曲や弦楽四重奏曲、音楽の花形であったオペラ・ブッファ、ピアノ協奏曲、ピアノソナタなど多岐にわたる。死後もベートーヴェンやショパンなど多くのクラシック音楽作曲家に影響を与えた。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven)

ウィーン古典派筆頭その3にして古典派音楽の頂点。クラシック音楽が「古典(クラシック)音楽」と言われるに至った元凶にして、「職人芸」だった音楽を「芸術」に昇華させた西洋音楽の救世主。西洋音楽どころか彼以後の音楽のありようをがらりと変えてしまった音楽界の革命家。まさに「楽聖」と呼ぶにふさわしい。古典派音楽を完成させ、ロマン派音楽への橋渡しを行った。たとえば交響曲第3番で「交響曲」をクラシック音楽界の花形ジャンルに押し上げたり、交響曲第5番(運命)と交響曲第6番で「絶対音楽」と「標題音楽」というロマン派音楽の2大基軸を打ち立てたり、交響曲第9番でロマン派音楽におけるオーケストラの拡大傾向のきっかけを作ったり、同交響曲でオーケストラと合唱の融合により音楽の持つ「精神性」と「官能性」の止揚を試みたり、32のピアノソナタ(ビューローが「ピアノの新約聖書」と称した)をはじめとするピアノ作品でピアノ音楽を器楽曲の王道ジャンルに引き上げたりなど、彼がロマン派音楽に遺した業績は甚だ大きい。さらに今まで宮廷や貴族、教会に従っていた音楽家の地位が、一般市民に対して自由に作品を作ったり発表できたりするよう一個人として自立した状態まで高まり、音楽家が芸術的な独創性のある作品を作れるようになったのも彼のおかげである。
こんな数々の業績を難聴の状態でたった一人で築き上げたのだから脱帽である。さらに交響曲、オペラ、ピアノソナタなどのクラシック音楽のほぼすべてのメインジャンルで傑作を残しているからなおすごい。(さらにベートーヴェンが活動していた当時はジャンルとして無かった「交響詩」においても、彼の『ウェリントンの勝利』はかなり「交響詩」的な作品であり、これも発表当時かなり成功した)
また生粋の音楽家ながら教養もかなり深く、インド哲学や古代ギリシャ文学、シェイクスピアやゲーテなどの文学、天文学などにも精通しており、カントの思想に共鳴し彼の講義への出席を試みたこともあったそう。なおそんな彼であるがムカついた相手を嚙む癖があったり、浮浪者のような身なりで逮捕されたり、56年の生涯で60回以上引っ越したりなど変人エピソードにも事欠かない超変人である。


ロマン派音楽(国民楽派含む) (Romantic Music (including Nationalist School))

ニコロ・パガニーニ (Niccolò Paganini)

初期~盛期ロマン派の時代において、超絶技巧で観客を圧倒するヴィルトゥオーゾブームの火付け役となったヴァイオリニスト兼作曲家。若き日のシューマンが彼の演奏を聴いて作曲家を志すに至り、若き日のリストが彼の演奏を見てツェルニー直伝の従来の技法からヴィルトゥオーゾ的超絶技巧を重視した作風に転換していったことは有名。初めてリサイタルを商業的に成功させ、「リサイタル」という演奏会形式を確立した。また彼が開発した様々なヴァイオリン奏法はヴァイオリンの語法の発展にも大きく貢献している。もちろん「パガニーニの主題による~」なる作品がのちに数多く作成されたことからもわかるように、作曲家としても後世の数々の作曲家に影響を残している。
数ある作曲家の中でもかなり影響を与えている人物なのに、何故かこの手のランキングであまり名前が上がらない。やはり守銭奴で独占的な本人の性格が災いして、死亡時に作品のほとんどを処分してしまったためにほとんど作品が残っていないからだろうか。


カール・マリア・フォン・ウェーバー (Carl Maria von Weber)

初期ロマン派を代表するドイツの作曲家。オペラ『魔弾の射手』の成功によりドイツ・オペラの様式を確立した。このドイツ・オペラがワーグナーに繋がることを考えると、彼の功績は音楽史上非常に大きいものである。
彼の代表作『魔弾の射手』は現代の漫画やアニメにもちょいちょい引き合いにされたりするので、知っている人は意外と多いかも。


ジャコモ・マイアベーア (Giacomo Meyerbeer)

ドイツで生まれながらフランスで大成功した盛期ロマン派の作曲家。主にオペラを作曲し、『ユグノー教徒』の成功で大規模な管弦楽・キャストと舞台装置・バレエを伴うオペラであるグランド・オペラを確立したことで知られる。重厚な管弦楽と繊細なベルカント歌唱を統合した作品の数々はワーグナー、ヴェルディ、ビゼーといった次世代のオペラ作曲家に多大な影響を与えた。
しかし、死後はワーグナーに逆恨みされて酷評されまくった結果、ドイツで「退廃的」の烙印を押され、さらに彼のグランド・オペラが演奏に金と手間のかかることも逆風になって、全く顧みられなくなってしまった。
生前の評価だけで済めば間違いなく30選入りしていた人。この人とサリエリ、ケルビーニは3大「知名度のわりに顧みられない不憫作曲家」としても良いぐらい。50選まで枠を増やして何とか入れることができました。もっと評価されるべきクラシック作曲家個人的第1位。


ジョアキーノ・ロッシーニ (Gioachino Rossini)

19世紀初頭にロマン派イタリア・オペラの道を切り開いたオペラ作曲家(本人はロマン派音楽については否定的であったが)。オペラ・ブッファでもオペラ・セリアでも傑作を残し、イタリアのみならずオーストリア・ウィーンでも大成功した。ベートーヴェンが交響曲第9番を初演する際、あまりにロッシーニが人気すぎて自作が評価されないのが嫌でウィーンでの初演を敬遠しようとしたぐらいであるという逸話があることからも、当時のロッシーニ人気ぶりが見て取れるだろう。事実ベートーヴェンと同い年である大哲学者ヘーゲルはベートーヴェンそっちのけでロッシーニのオペラに夢中になっていたらしい(彼がロマン派音楽の風潮を忌避していたというのもあるが)。『ウィリアム・テル』でフランスでも成功し、グランド・オペラというジャンルの確立に貢献した。また彼がオペラで用いた管弦楽重視の管弦楽書法、技巧的なコロラトゥーラを用いたベルカントはドニゼッティ、ベッリーニと続くイタリア・オペラ界のみならずマイアベーアやワーグナーにも大きな影響を与えた。
なお天才ではあるが超ものぐさでも有名で、自作の旋律使いまわしや他人の旋律丸パクリをしまくったり(これは当時では他の音楽家もしていたが)、締め切りギリギリまで作曲を始めなかったりと逸話も多い。さらに早期にオペラ作曲を引退、美食家に転身して悠々自適な生活を送っていたりする。イタリア料理の「ロッシーニ風」は彼の発明であることは有名。


フランツ・シューベルト (Franz Schubert)

初期ロマン派を代表するオーストリアの作曲家。主題労作を得意としたベートーヴェンとは対照的に、モーツァルトのようにインスピレーションを活用して多数の歌曲を残し、「歌曲の王」と呼ばれた。初期ロマン派を代表するドイツオペラ作曲家のウェーバーと共にドイツ・ロマン派の発展に寄与し、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどの後のドイツ・ロマン派作曲家に大きな影響を与えた。「シューベルティアーデ」というサロンで生計を立て、サロンで生計を立てた最初期の音楽家でもある。
なお、和声の面ではロマン派の到来を彷彿とさせる斬新な面も見られることがあるが、総じてベートーヴェンより保守的な作風であった。


エクトル・ベルリオーズ (Hector Berlioz)

バリバリのフランス人なのになぜかドイツで売れた盛期ロマン派の作曲家。『幻想交響曲』でロマン派音楽の2大基軸である「標題音楽」を創始し、オーケストラの拡大を進めた。同交響曲内で用いられている「固定楽想(イデー・フィクス)」はワーグナーに影響し「ライトモティーフ」を生み出すきっかけになったり、フランクに影響して「循環形式」を確立するきっかけになった。また著書『管弦楽法』にてはじめて管弦楽法を体系化し、オーケストレーションの発展・巨大化に寄与した。彼が『幻想交響曲』を指揮して観客がオーケストレーションの物量に驚いている風刺画が有名である。なお、自伝『回想録』で「私の人生は小説である」なんて書いてあるが、誇張じゃないぐらい性格がメンヘラロマン派な人。


ミハイル・グリンカ (MIkhail Glinka)

19世紀前半の盛期ロマン派の時代に活躍したロシアの作曲家。国外で初めて大きな名声を得たロシアの作曲家として「近代ロシア音楽の父」と呼ばれている。当時音楽後進国であったロシアが、後にクラシック音楽の主流国家にまで躍進したのは彼のおかげであると言っても過言ではない。イタリア・ドイツで学んだ西洋音楽の技法にロシアの民族音楽を掛け合わせた彼は「国民楽派」の祖となり、ロシア五人組をはじめとする後のロシア作曲家に多大な影響を与えた。
また彼の代表作『ルスランとリュドミラ』ではドビュッシーらに先んじて全音音階が用いられている。


フェリックス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn)

19世紀前半の盛期ロマン派で活躍したドイツの作曲家。祖父に高名な哲学者を持ち、裕福な銀行家の息子として生まれ、早熟の天才として早くからその才能を発揮した。教養も深く語学に堪能であり、絵画も描けるオールラウンダーでもある。『無言歌集』などのピアノ小品やヴァイオリン協奏曲、交響曲など多くのジャンルで傑作を残し、シューマンと共に後期ドイツ・ロマン派の保守派「絶対音楽」の基軸誕生の嚆矢となった。
また、職業としての指揮者業を確立し、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を再興した。バッハの『マタイ受難曲』復活上演によりドイツ全体にバッハを再認識させるきっかけとなったのも彼である。それ以外にも定期的に演奏会でバッハやヘンデル、モーツァルトやベートーヴェンを取り上げ、ドイツロマン派における文化ナショナリズム醸成に寄与した。


フレデリック・ショパン (Frédéric Chopin)

19世紀前半の盛期ロマン派の時代において、フランスのサロンを中心に大活躍した「ピアノの詩人」。お得意の半音階的和声法を中心に、彼が生み出した数々のピアノの表現はピアノの音楽語法の発展に大きく貢献した。
また彼の繊細な作風はいまなおピアニストの興味を引き続けており、「ショパン・コンクール」という世界中のピアニストにとって最高峰のピアノ・コンクールが定期的に開催されている。ちなみにショパン弾きはバッハが苦手だと言うが、ショパン自体はバッハ信者であり、マヨルカ島での療養時には毎日バッハの『平均律クラヴィーア曲集』を弾いていたぐらいである。彼の作品『24の前奏曲集』は明らかに平均律のオマージュだし(内容面は全然違うが)。


ロベルト・シューマン (Robert Schumann)

メンデルスゾーンと同時代に活躍した盛期ドイツ・ロマン派の作曲家。様々なジャンルの曲を書いたが、とりわけピアノ曲、歌曲に多くの傑作を残した。メンデルスゾーンとともに後期ドイツ・ロマン派の「絶対音楽」の基軸誕生に寄与した。
また『新音楽時報』を創刊し、ロマン派における音楽評論の土壌を作り、数多くの作曲家の発掘に寄与したことも重要である。特に過去の巨匠を発掘し、名曲を後世に伝えようとするドイツ・ロマン派の芸術的志向を推し進めた、という点で音楽評論の影響は無視できない。


フランツ・リスト (Franz Liszt)

盛期ロマン派の時代に燦然と輝いたピアノのヴィルトゥオーゾ。「ピアノの魔術師」。ハンガリー出身で自身もそう思っていながら、作風や活動拠点はドイツそのものであった。彼の超絶技巧はピアニズムの発展に大きく尽力した。またヴァイマル宮廷楽長に就任してから(ちょうど後期ロマン派の時代が始まったころ)はベルリオーズの標題音楽をさらに進歩させた「交響詩」という新ジャンルを開拓し、オーケストラの発展に寄与した。またワーグナーを支援し、共に革新派ロマン派音楽の発展に力を注いだ。さらに晩年は調性の限界を追究し、「無調のバガテル」でついに無調に至った(ただしこれは現在は「移調の限られた旋法」の一つであると考えられている)。
チャリティーコンサートも積極的に開催して義援金を送ったり、リスト音楽院を開いて後進の育成にも積極的に取り組んだりと慈善家としての側面も強い。


リヒャルト・ワーグナー (Richard Wagner)

19世紀後半の後期ロマン派の時代に、ベルリオーズの流れを汲む標題音楽を極め、ロマン派オペラの頂点に立った「楽劇王」。4日連続で上演しないと終わらない作品を作ったり、自分専用の劇場を築いて、その劇場専用の作品を作ったりしたヤバい人。性格も唯我独尊で超わがまま。自分を助けたマイアベーアをパリで成功しなかったからって逆恨みして評論でdisったり、パトロンの妻や支援していた指揮者の妻にW不倫したり、クーデターに加担して亡命、借金を踏み倒して夜逃げしたり、自身の信者であった国王から大量の借金をして王国の財政を傾けたり、とクズエピソードに事欠かない人。逆に(ベートーヴェン然り)人間として倫理的に大きな問題を抱えていたからこそ、既存の音楽に疑問を抱き新たな音楽を生み出すことができたのではないかとも言えるが(ここらへんは現在のアート・エンタメ界全般にも当てはまる)。
自身の深い教養から音楽・脚本・舞台演出全てにおいて芸術性を追究し、「総合芸術」としてのオペラ「楽劇」を確立した。オーケストレーションの拡大、彼が楽劇で打ち立てた「無限旋律」や「ライトモティーフ」の発想、トリスタン和音に代表される和声の拡大など、様々な点で後世の作曲家に大いに影響を与えた。ベートーヴェンの交響曲第9番を復活させたのも彼である。
独自の指揮理論も打ち立て、当時誕生した専業指揮者にも影響を与えている。また音楽評論でも革新派の論客として大きな影響力を持っており、保守派の音楽評論家であるハンスリックと舌戦を繰り広げた。
また彼が楽劇内で追究した文学的内容や音楽は当時の文学者や哲学者、政治家など、様々な分野の人物を虜にし、「ワグネリアン」(ダービー馬ではない)なる信者を大量発生させた。ニーチェやトーマス・マン、ヒトラーあたりがとくに有名(ニーチェは後にアンチ化するが)。そのため音楽界以外にも大きな影響を与えている。
ただし忘れてはならないのが20世紀において、彼の抱いていた反ユダヤ主義がワグネリアンであったヒトラーに大々的に利用され、ドイツ国内における反ユダヤ主義を助長し、第二次世界大戦におけるホロコーストへつながった、という彼の持つ負の側面である。
良くも悪くも、音楽界を含めた様々な業界に大きな影響を与えた作曲家である。
(このランキングはあくまで「作曲家」としての偉大さのみを考慮しランキングをとっており、作曲家の持つ思想の良し悪しについては考慮していません。私自身としてもワーグナーの音楽や作品は好きですが、作品が持つ主題の一部および彼の思想に対しては賛同しかねます)


ジュゼッペ・ヴェルディ (Giuseppe Verdi)

ワーグナーと同じ年に生まれ、ロマン派イタリア・オペラの頂点に立ち、ワーグナーと双璧をなした「オペラ王」(世紀末覇王ではない)。ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニらにより培われたイタリア・オペラの伝統を発展させ、イタリア最高峰の名オペラを次々と作り上げた。彼の作品はヴェリズモ・オペラで名を残すマスカーニやレオンカヴァッロ、またプッチーニといった後世のイタリアオペラ作曲家に大きな影響を与えた。また『ナブッコ』、『仮面舞踏会』の成功により彼はイタリア統一運動の象徴となった。


ジャック・オッフェンバック (Jacques Offenbach)

後期ロマン派の時代のフランスで、庶民的な喜劇オペラである「オペレッタ」を創始した人。多分これを読んでいる9割ぐらいの方がなぜ彼を50選に入れたのか疑問に思うだろうが、何といっても彼の功績は「彼によるオペレッタの創始と成功により、アメリカでもオペレッタが創始され、後のアメリカ・ミュージカル、ひいてはそこの影響を受けて開花するジャズ・ロック・ソウルといったポップ音楽全体の発展の基礎を築き上げた」ことにある。このことについては以下のブログに大変わかりやすく表にまとめてくださっている。

なお、当時ワルツ王として名を馳せていたヨハン・シュトラウス2世にオペレッタを勧め、オーストリア・ウィーンでのオペレッタ人気爆発のきっかけとなったのも彼である。哲学者ニーチェもオッフェンバックの音楽を好んでいた。


アントン・ブルックナー (Anton Bruckner)

後期ロマン派におけるオーストリアの交響曲・宗教曲の大家。ベートーヴェンの交響曲第9番とワーグナーの大規模なオーケストレーションに影響を受けた交響曲はいずれも大編成でしかも長大である。また敬虔なキリスト教徒でもあったため、宗教曲のみならず交響曲も宗教的要素が強い。しかしながらワーグナー率いる「革新派」でありながらも交響曲は概して絶対音楽的であり異彩を放っている(これは彼の文学素養に対する欠如が影響しているかもしれない)。ウィーン大学教授として後進の育成に力を注ぎ、特に教鞭を受けたマーラーは彼の管弦楽法、和声法に影響を受けた。
彼の残した交響曲は音楽の最高傑作として声が上がることもあるほどの傑作である。


ヨハン・シュトラウス2世 (Johann Strauss II)

後期ロマン派時代のオーストリア・ウィーンで活躍した「ワルツ王」兼「オペレッタ王」。同じくウィンナ・ワルツの大家であった父親を超えてウィンナ・ワルツ界の頂点に立ち、当時のドイツ・ロマン派の双璧であるブラームス、ワーグナーの両方から絶賛された。後世においても末期ロマン派の作曲家であるリヒャルト・シュトラウス(血縁関係は無い)からも絶賛されている。またオッフェンバックから進められてオペレッタにも手を出し、こちらでも大成功している。
現在でも、ウィーンフィルが毎年元日に彼ら一族のウィンナ・ワルツを演奏する「ニューイヤー・コンサート」が続いていることからも、オーストリアでの人気は絶大であるといえよう。


ヨハネス・ブラームス (Johannes Brahms)

後期ロマン派の時代のドイツにおいて、シューマンやメンデルスゾーンの流れを汲む保守派の「絶対音楽」の代表となった作曲家。保守派の音楽評論家ハンスリックに大々的に支持された。ベートーヴェンを「古典(クラシック)音楽の完成者」と捉える「保守派の『絶対音楽』」と、ベートーヴェンを「古典音楽の発展者」と捉える「革新派の『標題音楽』」の2派の対立は後期ドイツ・ロマン派音楽の大きな潮流となった(標題音楽の代表が先ほど挙げたワーグナーである)。
保守派ゆえに作品は古典主義的なものが多いが、バッハ、ヘンデルをはじめとするバロック音楽とハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンをはじめとする古典派音楽を高い次元で纏め上げた作品に革新的要素を見出す者もいる。十二音技法の創始者シェーンベルクは彼の晩年の歌曲にみられるモチーフの徹底的な展開を「発展的変奏」と呼び、楽曲制作にこの手法を利用した。
また、チェコ国民楽派の雄ドヴォルザークの才能を発掘し、支援したことでも知られる。
また陰キャで皮肉屋の癖にイケメンだったからかは関係ないけど独特の交友関係を築いており、シューマン夫妻やワルツ王にしてオペレッタ王のヨハン・シュトラウス2世、クラシック・バレエ音楽の立役者チャイコフスキー、革新派ロマン派の交響曲の大家ブルックナー、世界初の専業指揮者ビューロー、胃がんの標準術式を確立した名外科医ビルロートと交友関係を築いていた。


カミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns)

19世紀後半から20世紀初頭にかけて活動したフランスの作曲家。モーツァルトに匹敵する神童であり、2歳でピアノ演奏をし、3歳で作曲をしたと言われている。普仏戦争の敗北を受けて、フランス音楽の振興のため「国民音楽協会」をフランク、フォーレらと設立し、ドビュッシーやラヴェルへつながるフランス近代音楽の土壌を築き上げた。多くのジャンルの音楽を手掛け、最初期の映画音楽を書いてたりしている。


ピョートル・チャイコフスキー (Pyotr Tchaikovsky)

19世紀後半の後期ロマン派の時代に活動したロシアの作曲家。作風が西洋よりであったことから国民楽派には入らずモスクワ楽派とされる。交響曲や協奏曲でも名を残すが、彼の最大の業績は「バレエ音楽のジャンルとしての確立」であろう。オペラの添え物音楽でしか無かったバレエ音楽が、ロマン派以降アダン、ミンクスと発展していき、彼において大成したと言える。これがストラヴィンスキーのバレエ音楽につながった業績は大きい。


ニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolai Rimsky-Korsakov)

後期ロマン派音楽におけるロシア国民楽派の作曲家にして「ロシア五人組」の一人。ロマン派音楽に民族的語法を盛り込んだ国民楽派の中でも、彼は管弦楽法に卓越した能力を発揮し、ラヴェルらに模範とされている点で頭抜けている。また彼はペテルブルグ音楽院の教授としてグラズノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、レスピーギらの指導に当たっている。また『和声法要義』や『管弦楽法の基本』といった音楽理論書を書き、理論家としても名高い。


グスタフ・マーラー (Gustav Mahler)

19世紀末~20世紀初頭の末期ロマン派の時代、リヒャルト・シュトラウスとともに交響曲により調性・和声・様式・形式・オーケストレーションを極限まで拡大し、ロマン派音楽の極限を追究した人。得意な歌曲作曲で培ったノウハウを活かして、ベートーヴェンの交響曲第9番以来、本格的に交響曲を合唱に取り込んだ作曲家でもある。彼の極限まで突き詰めた調性音楽はシェーンベルクに影響し、調性崩壊に繋がっていったともいわれている。統合失調症(晩年あの精神科医フロイトに診てもらった)と死の恐怖に苦しみながら書いた交響曲第9番など、彼の交響曲はいずれも奥が深い作品となっている。
また本職であった指揮者として、彼の指揮法はワルター、クレンペラーなどの後進に影響を与えた。指揮者としてはものすごく高圧的な帝王だったらしい。


リヒャルト・シュトラウス (Richard Strauss)

19世紀末~20世紀前半にかけて活躍した末期ロマン派のドイツの作曲家。ワーグナーから大きな影響を受け、マーラーと共に調性・和声・形式・オーケストレーションを極限まで拡大した。マーラーが交響曲と歌曲で大成したのに対し、彼は交響詩、オペラ(楽劇)で傑作を残している。
また、この人もマーラーと同様に本職は指揮者であり、ベーム、セルなどの後進に影響を与えている。
なお、この人とヨハン・シュトラウス2世に血縁関係は無いが、共にドイツ圏の著名な作曲家であることからか生前から血縁関係があると勘違いされたり、両者を混同されたこともよくあったらしく、戦後イギリスで「あなたがあの『美しく青きドナウ』の作曲者ですか?」と聞かれたこともあるらしい。


ジャン・シベリウス (Jean Sibelius)

19世紀末~20世紀初頭に活躍した末期ロマン派の作曲家。いわゆる国民楽派の作曲家で、クラシック音楽においては傍流of傍流であったフィンランド生まれの音楽家において、唯一と言っていいほどクラシック音楽界で評価されている作曲家である。リヒャルト・シュトラウスやブルックナーなどのドイツ・オーストリアの作曲家から主に影響を受け、交響曲、交響詩を中心に傑作を残した。交響曲に関してはマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチなどに匹敵するレベルで評価されている。また、交響詩『フィンランディア』は当時ロシアからの圧政を受けていたフィンランド国民に愛国心を芽生えさせ、フィンランド独立の象徴にもなった。


セルゲイ・ラフマニノフ (Sergei Rachmaninoff)

19世紀末~20世紀前半に活躍したロシアの作曲家。末期ロマン派どころか近代音楽の時代に活躍した遅すぎるロマン派。チャイコフスキーの薫陶を受け、ショパン、リストらのロマン派音楽家や、リムスキー=コルサコフらロシア国民楽派から影響を受け、独自の作風を築いた。ピアノ・ヴィルトゥオーゾとして知られており、重厚な和音やおびただしい数の音符を用いたピアノ作品を多く残し、ピアノ書法の極致に到達した。ジャンルとしてはピアノ作品が多いが、交響曲や管弦楽曲にも傑作を残した。ただ、最後までロマンティックな調性音楽を貫いたこともあり、生前は時代遅れであると評された。
正直最後まで入れるかどうか悩んだ人。先進性だけでいうと同い年のスクリャービンの方が上だし…。ただこう言ったランキングで多くの方が推しているので選出した。

↑のアルバムですが、トラックのタイトルがわからんことになってるので下のリンクを参考にしてください。
https://mysound.jp/album/194431/

近代・現代音楽 (Modernism & Contemporary Music)

クロード・ドビュッシー (Claude Debussy)

19世紀末~20世紀初頭に活躍したフランスの作曲家。音楽院時代はワグネリアンであったが象徴派の詩人と出会った後に反発し、主観的表現を重視したロマン派音楽とは異なり気分や雰囲気を客観的に表現する印象主義音楽を生み出した。ロシア五人組や新古典的な国民音楽協会、サティらの影響を受けながら、機能和声から逸脱した音楽を作り、パリ万博で聞いたガムラン音楽に影響を受けて全音音階を開発した。彼が全音音階、五音階、教会旋法を多用したことで調性音楽は崩壊の道を辿ることになるが、あくまで本人としては「聞き心地」を優先していた。同じく印象主義音楽の雄であったラヴェルとは元々は仲が良く互いに影響しあったが、後に諍いを起こし疎遠な関係となる。
なお、ワーグナーの音楽に距離を置いた彼ではあるが、この人もワーグナーに負けず劣らずかなり酷い不倫魔で、性格もかなり難があった人である。両者とも子煩悩で、音楽の響きが陶酔的で美しいことも共通している。


エリック・サティ (Éric Satie)

ドビュッシーと同時代にフランスで活躍した「音楽界の異端児」。当時の伝統的な音楽に反発し、独創的な作品を数多く生み出した。対位法や和声法をガン無視し、ドビュッシーらに先んじて教会旋法を多用することで「調性」を破壊し、拍子記号を廃止して「一定的な拍子」を破壊し、バレエ『バラード』(脚本:ジャン・コクトー、美術:ピカソという超豪華メンツの作品である)で具体音を導入することで「楽音」を破壊し、『家具の音楽』で「聴くための音楽」を破壊し…と近現代音楽における「音楽の破壊」を数々の作曲家に先んじて行った破壊神(破戒神)である。ここまで大量の破壊をしているんだから当然ドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーなどの後世のいろんな作曲家に影響を与えた。『ヴェクサシオン』や『家具の音楽』などでみられる短いフレーズを延々と繰り返すスタイルは、ミニマル・ミュージックの誕生に影響を与えたともいわれている。ジャン・コクトーのもとで「フランス六人組」が結成されるきっかけとなったのも彼である。また当時としては異例であった楽譜の個人販売もしていたりする。何から何まで「時代が早すぎた」人である。
また、ダダイズム、シュールレアリスム、キュビズムなどの他分野における当時の前衛的な芸術にも接近し、これらの芸術家とも交流している。


アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schoenberg)

主に第一次世界大戦前後に活躍したオーストリアの作曲家で、遂に完全に「調性」を崩壊させて「無調」に突入し、「十二音技法」の開発により「無調の体系化」に成功した人(正確には十二音技法を最初に開発したのはヨーゼフ・マティアス・ハウアーであるが、影響力の面でシェーンベルクを選出した)。弟子のベルク、ウェーベルンとともに新ウィーン楽派を形成し、無調音楽を先導した。「音楽の表現方法の開拓」という、西洋らしい進歩史観的な西洋音楽史において、最後の到達点にたどり着いた作曲家と言えるだろう。なおユダヤ人であったためナチスの台頭とともにアメリカに亡命・帰化し、アメリカの作曲家の育成に尽力した。その生徒の中には「偶然性の音楽」で有名なジョン・ケージもいた。晩年には和声の理論書『和声法』や対位法の理論書『対位法入門』を執筆している。
なお本人としては無調音楽よりも調性音楽の方が好きで、十二音技法開拓後も『主題と変奏』などのように発作的に調性音楽を書いてたりする。


モーリス・ラヴェル (Maurice Ravel)

ドビュッシーと共に印象主義音楽を代表する20世紀初頭のフランスの作曲家。モーツァルトやフランソワ・クープラン、サティやスペイン音楽(自身がバスク系であった)、ジャズ、アジア音楽(彼もドビュッシーと同様にパリ万博のガムランに衝撃を受けた)などから影響を受け、ドビュッシーと比べてより古典的な印象主義音楽を制作した。また、「管弦楽の魔術師」と呼ばれるほどに卓越した管弦楽法で有名であり、彼の奏でる色彩豊かなオーケストレーションは非常に魅力的である。


ベーラ・バルトーク (Béla Bartók)

20世紀前半に活躍したハンガリーの作曲家で、東欧の民謡や印象主義音楽、新ウィーン楽派などの音楽を研究し、西洋音楽に民族的要素を大々的に取り入れた音楽を作曲した。また前時代の音楽からも影響を受け、新古典主義の傾向を示したため音楽史上は民族的新古典主義に属する。
民謡の研究に基づき機能和声を拡大した独自の作風で、主に管弦楽曲や協奏曲に傑作を残した。


イーゴリ・ストラヴィンスキー (Igor Stravinsky)

20世紀を代表するロシアの作曲家で、ロシア国民楽派→原始主義→新古典主義→セリー主義、と時代に合わせて作風をがらりと変えていった「カメレオン」。とりわけ原始主義と新古典主義の時代が音楽史上非常に重要である。
まず第一次世界大戦前に当たる原始主義の時代では、ディアギレフ率いるバレエ・リュスと共作した三大バレエ音楽が代表作である。このうち最後に作曲した『春の祭典』で複雑なリズムを駆使して西洋音楽の基礎をなしていた「一定的な拍子」を破壊し、不協和音に満ちたポリフォニー音楽によりホモフォニー音楽の崩壊に寄与した。『春の祭典』のパリ初演後に観客が殴り合いの暴動を起こしたことは有名である。また原始主義時代の彼の音楽は、師匠のリムスキー=コルサコフ仕込みの色彩豊かな管弦楽法が大規模な管弦楽編成で遺憾なく使用されている。
次にフランスに逃亡した第一次世界大戦後は新古典主義に移行した。その先駆けとなったのがバレエ音楽『プルチネルラ』である。ここではオーケストラを簡素化し、さらにペルゴレージなどの後期バロック~全古典派時代の音楽を引用し、和声を簡明化しながらも所々に古典派にはなかった非機能的な和声を混入することで、「バロック・古典派時代の古い時代の明晰な音楽を、ロマン派音楽時代以降の和声や調性を駆使することで換骨奪胎して、新たな音楽を作成する」という新古典主義の道を切り開いた。この方式は近現代音楽において新ウィーン楽派が前面に出していた「十二音技法」と対になる基軸であり、コープランドなどの作曲家に影響を与えた。
戦後はそれまで敵対関係にあった十二音技法を徹底的に取り入れることでセリー主義に移行した。ここでは「既存の音楽技法を駆使して音楽を作成する」という傾向が一層強まり、ジャンルも規模も多様な作品を作り上げた。


セルゲイ・プロコフィエフ (Sergei Prokofiev)

20世紀前半に活躍したロシア・ソビエト連邦の作曲家。幼いころから神童として才能を発揮し、リムスキー=コルサコフなどからの教鞭を受け、新古典主義的でありながら独特な和音を取り入れるなど近代的な要素も盛り込まれた作品を多く残した。ロシア革命時に一時的にロシア国外で活動したが、ソ連帰国後は社会主義リアリズム路線の作品も制作するようになった。
様々な分野で傑作を残したが、とりわけバレエ音楽、交響曲、ピアノ作品の分野で多くの傑作を世に出した。


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ (Dmitri Shostakovich)

20世紀に活躍したソビエト連邦の作曲家。バロック時代から新ウィーン楽派、新古典主義音楽までの様々な作曲家から影響を受け、多くの傑作を残した。特に15作の交響曲と15作の弦楽四重奏曲は同ジャンルの最高傑作と呼ばれることがあるほどの傑作である。
初期は前衛的な作品を書いていたが、スターリン政権の台頭に伴い社会主義リアリズムの作品を制作した。しかしこの時期にも「前衛的、反体制的な作品を書く」→「ソ連政府に批判(戦後のジダーノフ批判などが有名)されたら社会主義リアリズム作品を書いて政府の機嫌を取る」という姿勢をとり、前衛作品を制作する姿勢は崩さなかった。このチキンレースを粛清おじさんことスターリン政権下で行って生き残ったどころか名声を高めることに成功したソ連作曲家のやべーやつ。スターリン死後は様々な技法を用いた多様な作品を残し、特に晩年は彼お得意の「(他の作品からの旋律の)引用」や十二音技法などを駆使した、より芸術志向の強い作風となった。
ちなみに大のサッカーオタクだったりする。


オリヴィエ・メシアン (Olivier Messiaen)

第二次世界大戦前後に活躍したフランスの現代音楽作曲家。無調性の強い音階を「移調の限られた旋法」として体系化し、「付加リズム」、「非可逆リズム」、「インド・ギリシャのリズム」などの新たなリズムを開拓した。さらに十二音技法をさらに発展させ、音高のみならず音価、強弱、音色までも均質化させた「トータル・セリエリズム」を初めて提唱した(最初にこの技法を完全に実現させたのは彼の弟子であるブーレーズだが)。また神学者として宗教音楽を数多く残しており、現代宗教音楽の大家とされる。さらに鳥の鳴き声にも関心を寄せ、採譜した鳥の鳴き声(彼は「鳥の歌」と呼んだ。カザルスの演奏で有名なカタルーニャ民謡でも無いし杉田かおるの歌でも無い。『AIR』の主題歌にはまったく似ていません!)を音楽に盛り込んだことでも知られる。
パリ音楽院教授としてブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスなど、後に現代音楽の総本山たるダルムシュタット夏季現代音楽講習会で活躍する作曲家を指導し、大きな影響を与えている。


特別賞 (Special Awards)

ここでは作曲家ではなかったが西洋音楽史に多大な影響を及ぼした人、または50選入りは逃したが音楽史上重要な役割を担った音楽家を記載する。

ピタゴラス (Pythagoras)

言わずと知れた古代ギリシャの哲学者。彼の音楽的な功績は「音階の発見」に尽きる。西洋音楽の基礎中の基礎である8音を構成するピタゴラス音律を彼が見つけたことから西洋音楽は始まったと言っても過言ではない。

グレゴリウス1世 (Gregorius I)

中世初期、6世紀末の教皇。中世の聖歌を集めた『グレゴリオ聖歌』を編纂した人と伝説上は言われているが、実際のところは疑わしく、もっと後の9世紀から10世紀ごろに出来た作品集だと推定されている。
『グレゴリオ聖歌』は西洋音楽の原点ともいえるほど後の西洋音楽に影響を及ぼしており、そのことは後時代のオルガヌムやノートルダム楽派の作品がこのグレゴリオ聖歌を基にしていることや、ロマン派の時代にもベルリオーズ、リスト、ラフマニノフが聖歌内の「怒りの日」を旋律に用いていることからも明らかである。
実際に編纂したかどうかはともかく、『グレゴリオ聖歌』の西洋音楽界への多大な影響から彼を特別賞に選定した。


ヨハネス・グーテンベルク (Johannes Gutenberg)、オッタヴィアーノ・ペトルッチ (Ottaviano Petrucci)

グーテンベルクはルネサンス期の発展に大きく寄与した活版印刷術の発明者。ペトルッチは初めて楽譜を印刷した出版業者。活版印刷術が音楽上もたらした貢献としては「楽譜が活版印刷できるようになったことで、楽譜を多数作成できるようになり、より多数の者が楽譜を手に取るようになったことで、統一された楽譜の規格が必要になり、五線譜への統一への動きが出たこと」と、「楽譜が活版印刷できるようになったことで、自身の楽曲を署名付きで広範囲に出版できるようになり、自分の作品を世に問う『作曲家』の興隆につながった」ことが挙げられる。また後の時代においては「楽譜の活版印刷による楽譜レンタルや楽譜出版が、音楽家の収入の一部となった」点も重要である。

マルティン・ルター (Martin Luther)

16世紀初頭にキリスト教の宗教改革を起こし、プロテスタントを誕生させたドイツの神学者。彼が創出した讃美歌であるコラールはドイツ・バロック音楽に大きな影響を与え、モテット、カンタータ、オラトリオ、ミサ曲などの声楽曲の発展に寄与し、オルガン曲であるコラール前奏曲やコラール幻想曲の確立につながった。バッハもオルガンで数多くのコラールを作曲・編曲しており、『マタイ受難曲』などの宗教曲でコラールを引用している。
なお彼はワーグナー以上に苛烈な反ユダヤ主義者だが、この点については筆者は距離をとらせていただく。

ヨハン・ヨーゼフ・フックス (Johann Joseph Fux)

後期バロック時代のオーストリアの作曲家。作曲家としての功績よりも音楽理論家としての実績が大きいのでこちらに記載する。
和声法を体系化したラモーに対し、フックスはパレストリーナの楽曲を分析することで対位法を体系化し、厳格対位法の理論書『Gradus ad Parnassum』(『古典対位法』)を著した。対位法を体系化させた音楽界の聖典となっており、後の西洋音楽の基礎となっている。


ヨハン・シュターミッツ (Johann Stamitz)、カール・シュターミッツ (Carl Stamitz)

18世紀前半にドイツ・マンハイムで活躍したチェコ系の作曲家親子。共に前古典派の作曲家で、親のヨハンが創立したマンハイム楽派に所属する。ヨハンはサンマルティーニが創始した交響曲の発展に努め、3楽章形式であった交響曲にメヌエットを足して交響曲の4楽章形式を確立し、運弓法の統一や、マンハイム・ロケットに代表されるクレッシェンドやデュナーミクなどの管弦楽技術の発展に貢献した。息子カールはマンハイム楽派の中で大成し、交響曲、協奏曲、室内楽曲に多くの傑作を残した。
モーツァルトがマンハイム滞在時に彼らの影響を大きく受けたことは非常に有名である。


トーマス・エジソン (Thomas Edison)、エミール・ベルリナー (Emil Berliner)

前者は訴訟王発明王として有名な蓄音機の発明家で、後者はレコードを発明した発明家。共に「音楽のレコーディング」への道を切り開き、それまで「一度きりの演奏」であった音楽が「繰り返し聴ける音」への大変換を遂げた。これにより「演奏の記録」によるビジネスが可能になり、20世紀におけるクラシック音楽界での専業演奏家の台頭に至った。

ルイジ・ルッソロ (Luigi Russolo)

20世紀前半に活躍したイタリア未来派の画家、作曲家。第一次世界大戦前に騒音を流す電子楽器である「イントナルモーリ」を開発し、「楽音」を破壊するに至った。この「非楽音の音楽」という風潮は第二次世界大戦後の「ミュージック・コンクレート」へ発展した。またこの電子楽器の開発は電子音楽の発展に寄与している。


ランキング (Ranking)

ここでは、上に挙げた50人の作曲家を、カウントダウン形式でランクする。

50.ラフマニノフ
49.サン=サーンス
48.マイアベーア
47.プロコフィエフ
46.シューベルト
45.ウェーバー
44.シューマン
43.メンデルスゾーン
42.バルトーク
41.ショスタコーヴィチ
40.シベリウス
39.ブルックナー
38.リヒャルト・シュトラウス
37.リュリ
36.ペルゴレージ
35.グリンカ
34.チャイコフスキー
33.リムスキー=コルサコフ
32.ラモー
31.ヨハン・シュトラウス2世
30.オッフェンバック
29.ロッシーニ
28.ベルリオーズ
27.マーラー
26.ペロタン
25.グルック
24.ヴェルディ
23.ヘンデル
22.ダンスタブル
21.コレッリ
20.ヴィヴァルディ
19.メシアン
18.パレストリーナ
17.ブラームス
16.パガニーニ
15.ラヴェル
14.ジョスカン・デ・プレ
13.ショパン
12.モーツァルト
11.デュファイ
10.リスト
9.サティ
8.ドビュッシー
7.ハイドン
6.モンテヴェルディ
5.シェーンベルク
4.ストラヴィンスキー
3.ワーグナー
2.バッハ
1.ベートーヴェン

やはり1位と2位が別格すぎるんだよなぁ…

まとめ (Conclusion)

当たり前と言えば当たり前なのだが、やはりドイツ、オーストリア、イタリア、フランス、ロシアの作曲家がほとんどを占めている印象である。ここからもこの5国がクラシック音楽の中心的役割を担っていたのだと改めて感じられる。なお個人的にはサリエリを入れたかったがまあ無理だった(当然)。
冒頭にも書いたが個人の主観でまとめた勝手なランキングなので、もしおかしな点等あったら遠慮なくコメントで指摘してくだされば幸いである。
最後に、改訂を加えた結果ついに2万字を超える長文になってしまったが、この記事が偉大なる彼らとその遺産に触れ、そしてクラシック音楽の歴史を知るきっかけになれば幸いである。

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参考文献

ここでは当記事作成に当たって特に参考にさせていただいた文献を列挙する。
・岡田暁生著(2005)『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中公新書.
・田村和紀夫著(2020)『CD付 徹底図解 クラシック音楽の世界』新星出版社.
・オオタジュンヤ様

・音楽サロン様

・allezvous's blog様

・コトバンク

・Wikipedia

・史上最高のクラシック作曲家トップ20

・The 50 Greatest Composers of All Time (BBCでの集計。イギリスの現代音楽家にアンケートを取らせた結果、やたらとイギリス寄りで現代音楽寄りな気がする)

・30 of the greatest classical music composers of all time

・The 25 Greatest Classical Composers Of All Time




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