ふるえる、読書。
こんばんは。
昨日の雨が最後の合図となったように、明らかに景色と空気が変わってきているのを感じます。
木はどんどん葉を落として、ぱらぱらと残った葉っぱが心許ない。
でも、出勤中に見える山々は、最後の力を燃やすかのような鮮やかなオレンジ色。
もうずっと見ている景色、なのに。
こんなに秋って鮮やかだったっけ、と思う。
いろんな人とお話しして、やっぱり今年は特別、らしいです。
今日は、昨日の続きの、読書の話がしたくてたまりません。
どうしても、書き留めておきたいことがあるのです。
昨日のnoteを投稿したあと、その内容のとおり、お風呂で『ノルウェイの森』のはじまりを読み進めていました。
ん?
ずいぶん久しぶりに読むのに、細部まではっきり覚えている。
というか、これ確かに最近読んだ…。
どういうこと…?
としばらく不思議な感覚に陥っていました。
螢。
そう、螢が出てくる場面になって気づきました。
数週間前に読んだ『螢・納屋を焼く・その他の短編』の一話め、「螢」の話とまったく同じだったのですね。
調べてみると、まさにその短編「螢」が、『ノルウェイの森』の原型となったのだとか。
村上主義者の方から、それも知らなかったのか!とつっこまれそうです。
でも、この事前知識なしに、同じ時期に読んでいる2つの本がリンクする、という偶然に、私はふるふると興奮をおさえきれなかったわけです。
そして『ノルウェイの森』を読んでいると、その節や章の終わり方が、とても胸を締め付けられるように印象的で、次に進まず余韻を噛み締めたくなるようなものが多く…。
こういうときに、あぁ、出会ってしまった、という表現を使うのだな、なんて思っていました。
と同時に。
この文章のもつ空気、知ってる、と思いました。
すぐわかりました。
川上未映子さんだ、と。
私が好きだと思う川上さんの文章の放つ空気といっしょだ、と気付いて、またふるふるしました。
長く読んでいたせいで、身体は芯からほかほかになっていたのに、そんな偶然の結び付きの重なりに、ひとりふるふるして、寒気すらしてきたのです。
そして、急いで本棚から取り出した一冊の本。
『みみずくは黄昏に飛びたつ』。
川上未映子さんと村上春樹さんの対談集のようなもの。
これも買ったままで、まだ全くひらいていなかった。
『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。』という村上さんのインタビュー集を少し読んでから、あ、これは小説の答え合わせになるかもしれないからまだ読むのはやめよう、と思ったのが数ヶ月前。
なので、この『みみずくは黄昏に飛び立つ』も、同じようなイメージで、開かずにしまっておいたのです。
本のうしろに書かれた説明を見て、あぁ、やっぱり!と思いました。
まだ全然読んでいないし、川上未映子さんの作品も少ししか読んでいないので、もちろん真相はわからないけれど。
川上さんの書く小説や文章が、村上春樹の影響を受けていて当然だ、と腑におちたのです。
どういうところが、というはっきりした手法はわからないけれど、本当に、個人的に。
興奮は冷めやらぬうちに、と思って勢いで書いてしまいましたが、なんのことやら、と思った方はごめんなさい…。
でも、何度だって言いたいのです。笑
物語も楽しんで、物語とは別のところでもひとり心の中でわーわーきゃーきゃー騒いで、偶然のつながりに(ほんとうは偶然でもなんでもないのかもしれないけど、)ふるふるふるえる。
これこそが私にとっての読書のたのしみなのです。
その瞬間、生きててよかった、とすら思える私は単純すぎでしょうか…。
おんなじようなこと、書いてますね。笑
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