どちらを選んでも不幸が起こるなら、自分の選んだ道で不幸が起こる方がマシ
昔~昔、ワタクシが20代の頃。
超ホワイト企業で働かせていただいておりました。
直属の上司もとんでもなく理解のある方で、私の変な個性をしっかり理解してくれており、
「仕事は好きなように自分で考えて進めていい。何かあったら自分が全責任取るから、君が良いと思うようにしてくれ」
とか言ってくれるわけです。
早出も残業もなし、定時の1分前には気持ち的に定時ダッシュすんぞとスタンバイ出来るくらいの心の余裕もあるような会社でした。
それでも、毎日毎日同じ事の繰り返しで、何が楽しくて生活してるかわからない(いちいち思考が極端)
という、20代前半の自分の観葉に対するありがたみすら分からないような多感な時期というのもあったし
何故か、「好きなことできるのは20代まで(=失敗が許されるのは20代まで)」という変な認識がありました(多分保守的で堅実性の高い周りの価値観)
「こんな生活があと40年も続くのか」
と思った瞬間、自分の今後40年の人生が現時点ですでに決められてしまったような、この生き方以外は選べないみたいな
そんな絶望や恐怖を感じました。
それからは、生きる屍のようになり、決められた人生をなぞるだけという人生に嫌気がさしました。(この時2010年前半とかで、まだまだ平成でした。)
それから1年後、私は自分のつまらない(今思えば守られて安定した)人生を変えるべく、一人で海外に行くことを決意しました。(そこ??????)
自分の人生を変えるなら、ちょっとやそっとじゃダメ(やはり極端な辰巳天中殺の我)
北海道とか沖縄じゃ、距離が足りん。
国内じゃ変われないと思うほどの絶望がありました。
絶望から逃げたいと思う気持ちが日本を飛び出して海外まで私を動かしたかったのでしょうし、
そこまでしないといけないくらいの虚無感を感じていました。
仕事も、人間関係も、恋愛も、何もかも上手くいかない。
いっつもお金もない。(家貧乏なので毎日のように金ないって聞かされてました)
親兄弟とは喧嘩ばかりで、家に居ても、家に居なくても、私の心が安まる時はありませんでした。(この時は知りませんでしたがはみ出し運持ってますからね、やはり辰巳天中殺の運気がここで作用したか。。。)
何より、自分が嫌でした。
そんな何しても駄目な自分から逃げたかった。
何にも出来ない、何も持ってない、虚無な自分から逃げたかった。
日本からも、日本人からも、日本の共通認識(?)からも逃げたかった。
とにかく、何もかも捨ててでも、身一つでいいから生き延びたかったのです。
(あれ?この時に仕事とか既存の人間関係とか日本とか、既に全て捨てるという決意してるな)
この時の原動力の引き換えとなったのは
「このままの生活してたら本当に心身共に滅んでしまうかもしれない。。。。」
「海外は治安も悪いし、一人で行って不慮の事故とかでとんでもない目に遭って無念に終わるかもしれない。。。」
あれ?どっちににしても人生終わる前提?(だからいちいち極端、終わるか終わらないかみたいな)
なら、どうせ人生終わるなら、やりたい事やって終わった方がマシだ
本当、それだけでした。どっちにしても終わるなら自分の選んだ道で終わりたい。
純粋にそれだけでした。
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