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出会いなのか出合いなのか出逢いなのか

ふと。
noteのTOPページを見ていたらですね、こうして記事をマメに更新するようになってしばらく(これでも)、よくもまあ、たくさんのなかから私を見つけてくださってるナア、と感慨深くなったわけです。

パンチのあるタイトルを上手につける人もたくさんいるし、オリジナルの写真をバンバンあげる人もいるし、そもそも知名度がある人だっている。そういう人は自然と「あー、人気があるんだなー」って思えるんですけど、私は結構、note界隈では地味なんだろうなって自覚がありまして。何かに突出した記事を書いてるわけでもないし、1つのことに打ち込んで、めちゃくちゃ研究しているわけでもないし。ほそぼそ、本当に気ままに書いているだけなんですよね。

だからそんななか、よく私に出会ってくださったもんだな、と、ありがたいやら嬉しいやらで、今日の記事タイトルになりました。ちなみに私は出会い派。オーソドックスな漢字の使い方が一番好き。別に気合いでも氣合いでも、使いたきゃどっちでもいいんですけど、読んでいて変に躓きたくないなあって思っちゃう。

そんなこんなで、「であう」って言葉に想いを馳せていたら、時代劇でよく聞く「であえであえ」って言葉を思い出して、これも良い日本語だなーとしみじみ。noteの作者さんも読者さんも、たぶんおそらく、言語に何かしらのパッションがあるのでは、と思うんですよね。前も書いたんだけど、そもそも、noteに関わる人って、文章を読んだり書いたりが好きなんじゃないかなと思っていて。

かくいう私も、日本語が大好きです。いいよね、日本語。
大和言葉も好きだし、今この瞬間にも生まれゆく、若者言葉も好き。
なんちゅうか、日本語の生まれた背景が好きなんですよ。両側の岸の間に水が流れている様子から「川」って漢字が生まれるとか、なんなんその古代人の感受性!って思っちゃう。感動と嫉妬がせめぎ合う感じ。

文字を書くことも好き。

言語に並々ならぬ考え方をもつニキ。

言葉についての話の流れになったので、ここで婚活小話をひとつ。
私が今やり取りしている3人のうちの1人に、とても独特な感性の持ち主がいまして。あんまり詳しく書くと「それ、ワイのことやん」て本人にバレちまうんで、ちょっとボカしますね。もう連絡を絶った人ならいいんだけど、現在進行形ですよってに、ご容赦くだぱい。

彼は「世の中に言語がはびこったからこそ、人は思考しなくなった」的な考え方の持ち主なんですよ。いや、実際はもっと素敵な言葉で上記を表現してくれたんですけど、ありのまんま書けないジレンマ。なんつうか「嬉しいって言葉ひとつを表現する心にも、いろいろな有り様があるはずなのに、嬉しいって言葉があるせいで、そのひと言で片づけてしまう。それはあまりにも乱暴だ」的なことを言うんです。

私は「望まれて生まれた存在だからこそ、言語は愛をもって使いたい」と昔から思っておりましてですね。確固たる根拠はないくせに、この世に存在するものは、すべて望まれたからこそ生まれたと信じているんですよ。すごい極論なんだけど、ある程度の悪事とかも、悲しいけど、意味があると思っています。いや、ほんと、すごい極論で申し訳ないんだけど。

なので、なんで人が生み出した文明である言語をそんなに貶めるの?とニキの発言が不思議でしゃーなかったんですが、でもそれからしばらくして、ひょんなことから「13歳の哲学書」みたいな本のタイトルをみて、「わー」ってなったんですよ、文字通り「わー」って。

彼が言いたいのはつまり、「20歳までに知りたい30のこと」を読んでれば、20代は間違いないよねって考えちゃうこと。「13歳の習い事リスト」に書いてあることを我が子にやらせれば、私の子育ては大丈夫だよねって思い込んじゃうことなんじゃないのかなって。

それって物事の表層だけを見ていて、個を見てないじゃん。あなた自身は何も考えてないけど、ねえ、それでいいの?っていう、投げかけなのかなって。そして、そのように考えると、確かにそうやん!って「わー」となったわけです、はい。

そういう意味では本は概念の押しつけだから嫌いなんだって。

無知は罪であるとソクラテスのニキも言っていた(そうな)

私の今の感情を表現するにあたり、本当に「嬉しい」って単語がふさわしいんだろうか? なんとなく、こういう言葉をあてはめておけば、場の空気は丸くおさまるよねって、惰性で選んでいないだろうか。それほどまでに、言語は私にとって「使えて当たり前の存在」になってしまっていたし、確かにそこにアグラをかいていた気がする。

———なんてことを思いました。
いや、毎回毎回、表現する前に言語を精査していたら、時間かかるし面倒だし疲れるしで、普通に無理なんですけど。これは「今日という日が人生の最後の日だと思って、精一杯生きる」ってのと似てる。私の場合ですが、絶対に続かないですもん。無理無理。ダラダラ寝るだけの日があったっていいじゃん。

でも、そういう考え方を「知っている」うえで、言葉を選ぶのと、そんな考え方なんて思いも寄らないまま言葉を選ぶのとでは、やっぱり違うのかなって。毎度毎度脳裏に浮かぶか?と聞かれれば、自信をもって「はい!」とは答えられないけど。でも知っておくこと。それが私にとっての「自分の言葉に責任をもつ」につながるのかなと。

そうしてマッチングアプリがきっかけで出会った言語ニキですが、色恋ぬきに、話しているとユニークが炸裂するので、大変刺激的な存在です。しかもそこに色恋がプラスされるんだもん。控えめに言って楽しいです。
まあ、とはいえユニークすぎるところもあるので、ニキとの仲を進展させたければ、私が私の中の常識をアップデートしていかないといけないんですけど。

その他のニキ、Aニキは二週間ほど未読スルーを食らっていて、アプリにログインもしていないようで、事故にあったか電波も届かない僻地に出張しているか、はたまたスゲー美女と恋仲になったのか。恋仲になっていれば安心なんですけど、普通に心配なので様子を見ながら連絡を入れています。究極、元気で生きているならそれでいい。

Bニキは週末デートに誘った以降、絶賛既読スルー中。待つ道理もないので、週末は別の予定を入れようかなと思っています。メッセージを追撃してもいいんだけど、デートに誘ってお返事がないってことは、火を見るより明らかやん? まあ、まだ決定的ではないですけど、ご縁はなかったのかも。考え方が素敵なニキだったので、恋愛なしなら友人になろうぜと話していたので残念だぜ。

ハテサテ。
そんな感じの12月上旬。
どんな私で2022年の幕を閉じるのか、今から楽しみです。

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