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おしえてください

今日は、午前中から書道教室だった。

駅から出発するバスにうまく乗ることができれば、

教室には開始時間10分くらい前に到着することができる。

この10分間で、私は先生と会話をする。

私にとってこの先生との時間は、大切なものとなっている。


子供から大人まで指導している先生は、

世代や職業問わずあらゆるひとたちと接する。

子供からは学校での出来事を。

大人からは植物の育て方から旅先の話。

などなど幅広い知識や情報を共有しているようだ。

開始時間までの10分で、

先生が仕入れた情報を私はすこしだけいただく。


一見、些細に思えるような会話なのだが、

書道に集中する直前に先生と話すことで、

私は心を整えているのだと思う。


もちろん会話の内容によっては、

私が興味のない分野の話もでてくる。

しかし、最近こんなことを知ったんだと

目をキラキラさせながら話す先生の顔を見ていると、

興味のないことでもなんだか楽しくなってくる。


「この歳になっても、私の知らないことが世の中にはたくさんあるみたい。

まだまだ勉強しているみたいで楽しい」

と自身のことを語ることができる先生を、

私は羨ましく思っている。


人間関係をつくっていく上で、

私が改善した方はいいなと思うことが1つある。

知らないこと、わからないことを正直に尋ねるということだ。

どこからくるプライドかわからないが、

「これ知ってますか?」

と聞かれて、

「知りません」

と応えることに躊躇している自分がまだ存在する。

年齢を重ねていくうちに、このプライドみたいなものは、

薄くなってきていることは感じてはいるのだが、

やはり難しいなと思う瞬間が幾度となくある。

書道の先生は、それをいとも簡単にやってのけるのだ。

「それ、わからないのよ。教えてくださいますか?」

と、とても愛嬌のある笑顔で相手に尋ねることができる。

先生だから生徒さんに気持ちよくなってもらいたい。

そんなサービス精神からの言葉ではないのだ。

本当に知りたいから、教えてほしいという、

気持からの言葉だ。

うまく立ち回ろうとか、要領よくいようとか、

作為的なにかが含まれているようなものとはまったく

違い、好感がすごくもてる。


私はこれまで知識や教養の深い人に憧れをもっていた。

いまでもそれは変わらない。

だけど、自分の身近にいる人で、

正直に「教えて」と言えている人を思い浮かべてみると、

全員、温かみがあって懐が深そうだということに気づいた。


そして、彼らとはこれからも末永く繋がりあえていられたらと思っている。

もちろん書道の先生ともだ。

なにはともあれ、

先生との会話はとても楽しい。

ついでに書道の字も上手くならないかなぁ。

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