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ララ…

またもや唐突で恐縮ではあるが、今は21世紀だ。
なぜ、このように念を押す必要があるのかと言うと、ご存知の通り現在は多様化した時代だ。
しかし、全ての人々があらゆる物事に対し寛容ではない。
20世紀に比べると差別は減ってきてはいるものの、激減したとは言い難い。

これから説明する作品とは関係はないが、マーベル・コミックの「X-MEN」シリーズは大好きである。

勿論、具体的な理由が存在する。
この物語は人間を嫌うミュータントと、人間を救うミュータントがそれぞれ格闘する作品である。

また人間は異なる性質のミュータントを嫌う。
この点にこの物語の醍醐味が詰まっている。

人間を健常者と例えると、ミュータントは障害者となる。
この様な壁は偏見でしかなく、共存するには乗り越える必要がある。
そして「X-MEN」を通し、人種差別、LGBTQ+などをミュータントに例えると紛れもなく差別問題に直結する物語だと理解できるはずだ。
何よりこの物語の優れた部分は、ミュータントは人間に危害を与えるものも存在するが、反対に共存を求めるものが存在する所だろう。

映画作品の様に物事は簡単には進まないのが現状だ。
そういった部分を核心として捉え受け応える必要があるはずだ。

やや本題から逸れてしまったが、今回はこういった内容を踏まえ「Girl/ガール」を紹介したい。

主人公はバレリーナを目指すトランスジェンダーの少女(少年)ララ。

ララの意向を尊重した父親のマティアスは、バレーに最適な学校で才能を開花してもらいたいといった願いと共に、弟のミロと三人は学校に近い所に引っ越す。

性別適合手術を予定しておりホルモン補充療法を繰り返すララ。
物語では語られなかったが、ララと親子が引っ越しを兼ねた転校した理由は差別があったからだと思われる。
新しい学校ではララの性質を個性と捉え、教師や生徒らは寛容に対応する。
またバレー部の生徒らもララの個性に対し執拗に探ろうとはしなかった。
むしろ女性として対応をした。

ホルモン補充療法を続けるララは、体の変化が訪れない事にストレスを感じる。
主治医はすぐには答えは出ない。
時間を掛け体力を蓄え性別適合手術を目指すべきだとララを宥める。

バレーの授業もララにとっては過酷であった。
他の生徒と比べ遅れをとっていただけに授業の内容が高度だった様だ。
本来であれば早い時期に鍛えるべき所を成長した過程で向き合うので怪我が絶えなかった。

それでもララの熱意を買っていた教師は見捨てる事なく、特別扱いをする訳でもなくララと向き合うのだった。

ある時、ララに転機が訪れる。
課外授業の一環でララは女性生徒らと外泊するため数日の間家を空ける。
女の子らが集うとハメを外すしたがる。
はしゃぎ出す彼女らはララに対し下半身を見せる様に促す。
当然ララは拒む。
数人の女性は趣味が悪いといった仕草でララの下半身に興味を抱く生徒に伝えるが、引くに引けない張本人はララに対し、「いつも私たちの裸を見ているんだから、次はあんたが見せなさいよ」と強気な姿勢で迫る。
仕方がないと思ったララは下半身を多くの女生徒らに見せる。
その場は静けさが増す。
殆どの女生徒らはララに同情する。
反対にララの下半身を強要した生徒は悪気もないまま、「大した事なかったでしょう?」と開き直る始末。

ここまで語った通り現実はとても過酷で残酷だ。
悪気がないとかあるとの問題ではない。
受け入れる姿勢が乏しいでもない。
単純に無神経な人間が多いと言う事だ。
「X-MEN」の話を引き合いする訳ではないが、無神経が人を差別し壁を作るのだ。

その後、ララは追い詰められるかの如く、バレーの授業も親子関係にも支障が現れる。

こういった状況を知らずに父親はララに頼る様に促すが、問題がデリケートなだけにララは正直になる事を恐れる。

そして、最後にララが選んだ決断が酷(むご)いというか、選んではならない状況に追い込まれる。

この作品の観賞後、もし私がララの父親だったら?寛容で迎え入れる事ができただろうか?
また、ララだったら?あれだけ強い精神で他人と共存できただろうか?

正直言って答えは出ない。
上部では良い事ばかり並べらるのは可能だ。
でも、実際はどうなるかはわからない。
こういった事を真剣に考えさせられる映画でもあった。

それにしても、この作品でララを演じたヴィクトール・ポルスター氏はデビュー作とは思えないほど演技が成熟していた。
何よりも容姿がではなく、美しいララを演じたヴィクトール・ポルスター氏の今後の作品に期待をしたい♪

わーお!

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