野中東

初めまして、絵本作家、画家、文筆家または雑筆家として活動している野中 東と申します。思った事を直球で綴ります。Instagramでも同じ名前east_nakano1969でほざいています★わーお! 敬愛する作家は、トム・ウルフ、三島由紀夫、岡本太郎…

野中東

初めまして、絵本作家、画家、文筆家または雑筆家として活動している野中 東と申します。思った事を直球で綴ります。Instagramでも同じ名前east_nakano1969でほざいています★わーお! 敬愛する作家は、トム・ウルフ、三島由紀夫、岡本太郎…

最近の記事

前略…

…てな具合で、久しぶりの投稿となります。 きゃっ☆ 公の場に出向くとなると気恥ずかしさ満点で、減点パパですね… なんのこっちゃ。 まぁ、軽いジャブはとりあえず。 去年の末に、知人の紹介で大手の企業であるデンセンマンならぬ、宣伝マンに陥りました…。 いや、明確に述べるのであれば、ただの宣伝です。 さて、ボキはどこにいるでしょうか。 だいぶ、ダイビングで、久しくファッションからかけ離れていたボキに、装飾の提案を持ちかけられ不安であるにも関わらず、真っ向から取材に応じた知

    • テリーの頭の中って?!

      本当、よくもまぁ、こんな(良い意味で)作品を作るよなぁ!と、毎度驚かされる映画監督の一人と言えば、個人的にはテリー・ギリアムは外せない。 その理由の一つに、若い頃「モンティ・パイソン」の洗礼を受けたからだ。 特に「モンティ・パイソ」で学んだ事はユーモアと皮肉である。 これらを織り交ぜると陰険な性格を連想されがちだが、確かにその通りだ♪ だが、最も重要なのはユーモアと皮肉の使い方である。 これらが上手く噛み合わさるとセンス(感性)に直結する。 即ち、「面白い!」「センスがいいね

      • 正義という名の境界線

        常々思う事は、体を張った職業に就いている方々には頭が上がらない。 例えば格闘技は代表格と言えよう。 体を張りつつも、能力を最大限に引き出し相手に立ち向かう。 しかも単純に体を使うのではなく、相手の動きを察知しながら次なる先手を狙う技こそ、観客は格闘技の醍醐味に酔いしれる。 その他には、警備や建設現場で働く鳶職や、電気関連の仕事や設計に携わる方々など、身の回りを見るだけでも多くの方々が体を張った仕事をしている事に気付かされる。 偉くなると、体を使わず頭を使う部署に上がる方も

        • もう一つの家族を求めて

          無性の愛やら、ラブソングなどといった感情はボキが男だからなのか、母親に抱く感情は父親や他の家族とは違う。 当然ながら変な意味ではなく、言葉で表現するのは非常に困難なのだが、詩的な表現が許されるのであれば「帰れる場所」なのだろうか。 抽象的な表現で恐縮だが、「帰れる場所」が存在するから甘えたり、散々と外で好き勝手に振る舞おうとも、「帰れる場所」があるからこそ希望が持てる。 または生かされている意味の重大さを噛み締める事ができるのだと、勝手ながら思うのだ。 こういった事柄とは

          影なき使者

          今年初めての投稿となります♪ 「あけおめ」と言うには日数が経過している為、いつもの様に肩の荷を下ろして気楽に参りましょう! きゃっ☆ さて、得体がないものに多くの人は恐れる。 この様な場合、殆ど幽霊だと騒ぎ立てる。 幽霊や心霊現象を否定するつもりはない。 人間に不可欠な五感以外の第六感が冴える人は多くはないが、存在するのは事実である。 因みにボキは第六感が鋭い方ではないが、過去に三度だけ目を疑いたくなる現象を目の当たりにした事がある。 詳細は語りたくない。 何故ならば

          影なき使者

          痕跡

          拝啓 お粗末な私の記事をお読みなる方々へ 唐突だが、今年もあと僅かとなる。 然し、時代の繁栄を逆らうかの如く、先駆者の訃報が絶えないのは実に悲しい出来事である。 特に、ヴィヴィアン・ウエストウッド女史の訃報は安易に言葉で表現し難い。 何故ならば、ヴィヴィアン・ウエストウッド女史が築き上げた歴史は容易に説明不可能であるからに尽きる。 数少ない敬愛すべき人生の先輩を追悼しようと過去の記事を振り返り、新たな時代を意識しようと勝手ながら想うとしよう。 やはり、ファッションの

          ひねくれた英雄

          一般的に犬猿の仲と呼ばれる関係は特に珍しい間柄ではない。 単純に気が合わない物同士が集うと対立する。 または互いを尊重しつつも、時には対立し、お互いの欠点を粗探しする複雑な関係を保ちながらも、心の奥底では気になって仕方がないっつう、関係も、もしかしかしたらあるのかしら? 以前に、 を紹介した事がある。 で、今回は複雑な関係を解消させようと努力?!を重ねる男の物語を勝手ながら紹介をさせて頂く。 皆様ご存知の「俺ちゃん!」で有名なフレーズの『デッドプール』である! きゃ

          ひねくれた英雄

          不屈

          以前にも述べた通り、ボキは政治と宗教に関する物事をこの場では避けている。 何故ならば、いずれも「個人」の問題であり、議論を重ねた所で解決する問題ではないからだ。 ましてや、地球上にあらゆる人種や思想を持った人々が共存している。 全てを統一する事は不可能であり、もし統一しようと目論む人が存在するならば、それは大きな間違いであるとだけ告げたい。 これまで映画に関する記事を述べてきたが、「ドキュメンタリー」というジャンルは数える程度しか紹介してこなかった。 今回はやや堅い内容だが

          アナどれないやつ

          かつてロシアがソ連と呼ばれていた冷戦時代、映画の中でもアメリカとソ連が対立していた。 政治以外、宇宙工学でも競い合った時期でもある。 ソ連が崩壊し、新しい幕開けとなるロシアが誕生してからアメリカとの関係に「冷戦」という文字が消え去って行く。 その代わりアメリカは資源を巡り中東や中国、または核保有国を目の敵にする。 僅か200年余りの歴史を誇りにアメリカは突き進み、やがて大国主義へと変貌を遂げる… おい、待てよ。 これ以上話すと、ボキは資本主義や政治の在り方を非難する事に繋

          アナどれないやつ

          決して逆らえないもの

          久しぶりの投稿。 今までを振り返ると、受け入れられない事実が存在する。 個人的に「死」という概念は様々な解釈があると思われるが、隣人の「死」に対し受け入れられない事実が根底にある。 誰もが同じだと思われるが、安易に「死」を受け入れる人などいないと考えている。 反対に「生」は前向きな印象が残るが、「死」はどちらかというと恐れが先行してしまう。 それ故なのか、利己的な身勝手な自己愛や、自身に潜む弱さそのものが、きっと恐れに繋がるのだろう。 この様な題材を考えた時にこの内容の映

          決して逆らえないもの

          本日、『野中 東 チャリティー展」初日を無事終えることが出来ました! 平日にしては来場者様が多いと実感。 何より、数点の作品と書籍が売れたのも嬉しい限りです! きゃっ☆ で、大量の作品を飾るのは無理なので、単細胞なボキの脳をフル回転させ、 残りの作品を昔のレコード店の特価品コーナーみたいにジャケ買い箱を設置しました! ご来場の際はお気軽にジャケ買い探しに没頭して下さい♪ 購入云々よりも、実際に作品を間近で鑑賞して下さる事が作家としては望ましいと考えております。 明日

          明日11月22日(火曜日)から開催する、ボキの『野中 東チャリティー展』の設営を本日済ませてきました! きゃっ☆ 念の為、前回お知らせした内容を添付します。 何分、大きな場所での個展は初なので、予定時間よりも一時間早く現場に到着しましたよ。 最初の午前中は何から手をつけて良いのやら四苦八苦していましたが、次第に直感が芽生え本能に従い何とか形になったと実感する。 持っていったさ作品は凡そ500枚以上に及ぶ数である。 当然ながら全てを紹介する事は不可能である。 色のあ

          王は二人もいらない

          著作権を侵害する行為は、法的にも許されない悪意に過ぎない。 特に現在はコンプライアンスという言葉が浸透し、下手な発言すら気遣わなくてはならない。 一応、ボキも絵本を出版し、発売元の出版社に著作権が守られている。 その為、大した事のない作品だろうと、外部の者が著作権を侵害する内容に触れると一大事となる。 まぁ、ボキの判りづらい内容を描いた作品を真似る人などいないと思われるが… で、空気の読めない(例えばビビリのkyとか)…「小者」は別として… きゃっ☆ 実生活でも「真

          王は二人もいらない

          失敗が許されない任務

          スパイ映画といえば、代表的な作品はイギリスを代表するイアン・フレミングが世に送り出した『007』シリーズだろう。 また、東京五輪と同様に先送りされていた『007』シリーズの最新作である、『ノー・タイム・トゥ・ダイ』である。 特にこの映画は、ジェームズ・ボンドを卒業するダニエル・クレイグ最後となる作品と囁かれているだけに、多くのファンからは惜しむ声が続出である。 このシリーズに負けず劣らずといった作品といえば、『キングスマン』の原点を描く『キングスマン・ファースト・エージ

          失敗が許されない任務

          記憶に惑わされるな

          身勝手な解釈に聴こえるだろうが、人は記録に左右されがちだ。 即ち、記録とは数字みたいなもので、誰が見ても判りやすい数値でしかない。 「記録更新」やら「記録を塗り替えた」といった事柄も数値でしかないのだ。 だからといって数値を否定をする訳ではない。 殆どの社会では数値が不可欠であり、最終学歴や名刺の肩書と同様、人の地位を数字で解釈する者もまた少なくないからである。 で、「記録」と対局に属する「記憶」となると、話は随分と異なる。 「記憶」は数値よりも色で示される事が多い。 ま

          記憶に惑わされるな

          終焉

          物事には必ず幕を閉じる日が訪れる。 人生に例えても、最初がある限り終わりもある。 ここまで話すと儚い物語にしか聴こえないだろうが、重要なのは如何に自身の存在が正しかったかを示す行為であると思う。 言葉では簡単に綴る事は可能だが、実際はとても難しい。 また難しい課題だからこそ、挑む事に意義がある。 そう言った事柄と重ねて鑑賞した作品が、『ランボー ラスト・ブラッド』である。 タイトルが示す通り、ランボーにとって最後の戦いとなる物語だ。 先ずこの作品を語る前に、このシリ