dragon-et -専門高等学校生活をありのままに書くブログ-
リベラルアーツのブログをまとめてみた。哲学、文化、思想。あらゆるコンテンツが古典には詰まってる。
自作の短篇小説をまとめました。大体一万文字未満で、十数分あれば読めるかなくらいの量です。是非スキをば。
自然体験をまとめました。
2023年度の奥多摩活動をまとめます。
2022年度の奥多摩活動をまとめました。
絵画とは見るべきなのか?何十年も何世紀もの長い人類史の中で築き上げられてきたその芸術。見るか見ないかで言ったらそれは見たほうが得に決まっているが、果たして「今」見るべきか? 事の起こりはV-netの事務所移転作業を手伝っていた時のこと、松永先生(自分の塾(?)の先生)の本を棚に戻している時、たくさんの画集が目に入った。今まで小説や映画などのものにはたくさん触れてきた。「絵画はどうであるか?」とふと感じてしまったのである。果たして見た方がいいのだろうか。自分にとって絵画を
修学旅行三日目は、岩手の名勝猊鼻渓。中尊寺金色堂。日本三景の一つ松島を訪れた。 どれもまた行きたい。ちなみにこの3スポットだけで小説のネタ4つは思い浮かびました。
「自分はどう生きればいいか」。何回この言葉を繰り返しただろう。自分はこの人生をどうやって生き抜けばいいか。「平和に」とか「健康に」とかいう漠然としたものではなく、具体的な人生目標。それをいままで何度も追い求めてきた。しかしながら、未だに答えは出ない。 というより、「自分の出した回答に自信がない」と言う方が正確だろう。「こんなことがしたい」と思っても「本当にこれでいいのか」と自己完結してしまい、悪循環に陥る。それを何度繰り返したか分からない。 しかしある時テレビの録画
東日本大震災遺構・伝承館は、震災当時の気仙沼向洋高等学校を前身とし、被災した当時の校内の惨状をそのまま残して展示することで震災についての記憶や警鐘を行う施設である。今回の修学旅行ではそこの見学をさせてもらった。 二日目は終わりです。 自然は残酷だ。
盛岡からしばらくバスに乗っていると、海が近くなったのか舟が多く見えるようになってきた。空は雲は多いものの晴天で、本当に幸運にも恵まれた修学旅行という気がする。バスから見える海はさぞかしきれいなんだろうと思いながら車窓の外を眺めると、一向に海が見えてこない。あるのは大きな建物だけである。なぜ海が見えないかと言うと、防潮堤が沿岸部に沿う様に建設されているためであり、それゆえバスから海を見ることはできない。 12年前、ここに津波が襲い、町は全て浸水した。テレビで見たことがある
まだ夜の明けきらぬ早朝。四時間ほどしか寝ていないにも関わらず、体はその何倍も寝たかのように軽い。 正直に言うと、高校生になりたての頃、修学旅行に行くなら定番の京都だったりとか、中止にはなったものの去年の先輩たちが行く予定だった沖縄のようなリゾートがいいと思っていた。中学生の頃修学旅行が無くなり、マスクをつけて日常生活の何もかもを縛っていたこの病気は、それでは飽き足らず私らの当たり前をも奪って行った。中学生は修学旅行に京都に行くのが定番だろうか。私らの場合、決してそうではな
この度明日から4日間修学旅行に行って参ります。目的地は東北地方で、自分は南に関しては宮古島まで行ったことがあるのに対し、北は母方の実家がある茨城までしか行ったことがありませんでした。 また自分は現在高校三年生。この3年前は新型コロナウイルスが全盛期だったこともあり、自分も含め当時の中3はほとんどが修学旅行に行けませんでした。 今回は何もかもが初体験ということになり、それ故とてもワクワクしながらベットに寝っ転がってこのブログを書いています。 今回の修学旅行は電車や
「ひろゆき」と言えば、2ちゃんねるの創始者であり「論破王」としても名高い人物である。 しかし2400年前にも、そうした「弁術」で当時の話題をさらった人物がいた。 それがソクラテスという人物である。 ソクラテスは、釈迦、キリスト、孔子と並んで世界四大聖人に名を連ね、古代ギリシャに始まる西洋哲学の基礎を築いた先駆者の一人である。ソクラテスは、一切の著述を行わなかったとされており、現代までの彼の伝承やイメージは弟子のプラトンやクセノフォンの著作を通して今日に伝わってい
自分は本が好きである。どのくらい好きかというと、バイト代の大体を本代に消費するくらいである。 本は良い。本の中の世界観を、すべて自分に独占できる。本を開いている間は自分だけがその世界観を認識し、理解している。映画や漫画と違って常に「想像」を必要とすることも、脳が考えている感覚を感じれて面白い。 しかし読み応えのある本となるとやはり値段も馬鹿にならず、高校生のバイトで稼いだお金などではかなり痛い出費となる。 しかし自給が1000円として本一冊が2000円とすると、
僕が好きなキャラクターの一つに「岸辺露伴」がある。「岸辺露伴」とは荒木飛呂彦先生作のロングラン作品「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する漫画家で、作中の異常ともとれる漫画家としてのプロ意識や、絶妙な存在感から、主人公やボス格に次ぐ人気を持つキャラクターとして有名である。「だが断る」などの台詞は聞いたことがあるんじゃあないだろうか。 最近ではNHKで「岸辺露伴」を主人公とするスピンオフ作品「岸辺露伴は動かない」が実写ドラマ化され、映画化も決定しているなど、世代を超えて愛されて
バイトで疲れたので今日は休みにします。
「饗宴」とはかつて古代ギリシャで行われた、ワインの盃を片手にソクラテスなどの哲学者が「愛」について話し合った出来事である。この饗宴によって「フィロソフィア」という概念が生まれることとなったのだが、それとは別に古代ギリシャにおける彼らの楽しみは、こうした酒を片手に繰り広げられる談話が大部分を占めていた。 テレビやゲームなど当然ない時代、彼らにとっての「暇つぶし」や「楽しみ」は会話であり、そして人間界に蔓延る精神的な事象の究明こそ彼らの好奇心の源であった。 ゲーム中毒や
自分がかれこれ数年に渡りリベラルアーツと呼ばれるディスカッション型授業に参加していることは周知の人もいるだろうが、改めてリベラルアーツが何なのかをここに書いておく。 教育相談事務所V-netで行われ、教育コンサルタント松永暢史先生が主催するディスカッション型授業リベラルアーツは、海外の宗教経典的古典を読むことでその思想を理解し、それらを踏まえたグローバルな視点を会得する試みである。古今東西、全世界の書物に書かれた思想に触れ、読み解くことで、現代における価値観は歴史の過程
小説が全然いい感じにならん!頭の中で変にストッパーがかかっているような感覚で、アイデアを脳がせき止めているようです。 正直に言って「星空の願い」も全然書けてなく、今日中に出せそうにないです。作家失格ですね。 なんか自分でも調子の悪さを感じていますし、最近自分でも責任ない発言ばかりしているような気がしています。 まてまて、こうして自分の羞恥をさらしてまで読者に訴えても何にもならん!悪いのは自分。できないことはできないと認めて、できることをやれ! 分かった。
このブログを書いている時点で、私dragon-et24ヶ月連続投稿を達成し、ブログを始めておおよそ2年経ったことになりました。 中学生もあっという間でしたが、高校生の方が二倍くらいあっという間ですね。気づいたら次の日気づいたら次の日を延々と繰り返している感覚です。 これから高校生になる人ー!充実して生きろよー! マジでネタ無いのでここまで。
コロナが流行る遥か前、自分は中学受験に向けて塾に通い詰め、今となっては本当に意味があったのか分からないような勉強を只淡々と進めていた。家と塾が近かったこともあり塾の自習室を積極的に使い、自分はこれをやっていればいい、変なことはしなくていいと思いながら一日一日を使った。 特に夏休みの期間の追い込みは尋常じゃなく、一日10時間、三日連続で授業を行うイベントにも参加したりした。朝5時に起きて午後7時に帰ることは普通だった(大分あいまいな記憶なので誤ってたら陳謝)。そして三日目