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284DAY -大学、無償化するってよ‐

 12月7日。岸田政権は「異次元の少子化対策」の一環として、「3人以上の子どもがいる多子世帯について、2025年度から、子どもの大学授業料などを無償化する方針」を固めた。
 また無償化に関して所得制限などは無く、入学金、また現在行われつつある所得量による授業料の減免や、返済不要の給付型奨学金の支援制度と合わせて方針をまとめていくようである。

 まず個人的に言わせてもらうと、ありがとう岸田さんである。何故なら我が家には自分と弟と妹がいるので。

 年の差こそあれど、この方針によって幾分か金銭面での負担が減ることは間違いない。だからこそ、「私個人的には」この方針は賛成だ。ありがとうございます。

 一方ネットの反応を見ると、結構否定的な意見が目にとまる。

 例を挙げると、「二人の場合は何も無しって、三人目産むのは大変だと思うけど……」「まず二人目を産みやすいような環境づくりが大事だと思う」「二人だと実質損っていうのがな……」「方針固めたからと言って本当にやるかは分からない。それで二人目とか産んで「やっぱやりませんでしたー」とかなったらそれこそ問題でしょ」などなど。

 たぶんもっとあるが、基本的にはこういった意見が目立つ。

 やはりというかなんというか、世の中は混乱しているように見える。こうした金銭的な政策は資本主義社会においては最重要とも呼べるからだ。本当になんで教育という人間の形成に不可欠な部分を単なるカネの問題としてしまうのか。

 だがそれは、私は仕方のないことだと思う。結局のところ子供を学校(もしくは教育環境)に行かせる土台を作るのは親であり、仮に政府が、教育の環境にすばらしい改革を施したとしても、やはり今の日本では、それを享受できるかどうかには必ず金銭の問題が関わってくる。
 例えば、私立は金がかかる。頭のいいところに行くには塾やセミナー、予備校に通わせたい。それでもやっぱり金は必要。これらは資本主義の基本的な仕組みに組み込まれているので仕方ないところもあるが、やはり金=環境というのは成り立ってしまう運命にある。
 つまり教育改革というトピックにおいて即効性のある支持を取りやすいのは、やはり金銭面改革ということになる。

 だからこそ私が言いたいのは、「本当に子どもに寄り添った改革をしているか」と、「本当に運営側に寄り添った改革をしているか」という疑問である。

 例えば、高水準の教育環境として何となくパッと思い浮かぶであろう北欧。その中でもフィンランドでは、子供と教師両方を大切にする風潮が強い。子供は生まれた瞬間から国の宝として扱われ、国からも積極的な支援が出る。
 また日本のある意味封建的な、なんか他人の家には深くかかわらない感じの風潮と違い、子供が生まれた家の周りの人々が、友人親戚等に関係なく「よっしゃ、いっちょやりますか!子供を自分たちで守っていこう!」というような積極的な感じであるという。
 またそれは教師においても同じことが言え、例えばOECDの調査によると、フィンランドの教師の総合労働時間は日本の教師と比べ20時間以上少ない。ほかにも、授業が終われば即帰宅してよいし、モンスターペアレンツやネグレクトなどの日本にもみられるような問題にも教師一人で抱え込むのではなく、学校内外の専門家などを交えて相互的な対応が行われる。こうした学校内外が一致団結して教育を支えていくという風潮もフィンランド教育が世界一ィィィィィ(の一つ)と謳われる理由の一つであろう。

 確かに金銭的な改革が重要なプロセスであることは間違いない。だが別に、教師のブラック職化、日本人の全体としての風潮など、昔ながらの重要問題を後回しにしているようにも見える。
 特に少子化なんかに関しては金銭面以外の、子供という生命の誕生を扱う、ある意味哲学的な領域も含んでいる。総合的な改革なので反対部分や意見が出ることは仕方ないにしろ、少なくとも我々が変えることが出来る部分や今すぐ変えなければならない問題もあるのではなかろうか。

 (注) 子供が三人いる世帯の長男でかつ大学進学が決まった人間が書いた単なる一意見として捉えてくれると幸いです。また自分が思いつかない面での意見や考え、反論等もあるかもしれないので、いてもたってもいられない方はコメントなどなどお願いします。それもまた学び。それもまた一興。(ついにコメントとか、こういうこと言うようになった)



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