マツヲツマミ

適応障害→境界性PD→気分変調症(now)な無職(29)のキショ思考置き場|面白いこと…

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適応障害→境界性PD→気分変調症(now)な無職(29)のキショ思考置き場|面白いことは何もないです

最近の記事

脳内に風船を、思考を燻らせろ

脳内に風船をぶち込みたい。大脳に思考させないくらいの風船を膨らませたい。扁桃体だけで衝動的に生きたい。いっそ煙でも良い。認識できなくなれば何でも良い、とにかく思考を煙のように燻らせてほしい。 思考することは仕方ない。だったらせめて、その許容量を極限まで減らしたい。無駄な思考思考思考思考思考に満たされた、侵された健全だった脳内。絶えず湧き出て止まらない思考。善も悪も正解も不正解も全部取り込んだヘドロのような思考。止まらない。滲み出て今にも顔に、首に、胸を伝って、足先に。そして

    • 知らねえよ

      記事を書くときはいつも何かしらの音楽を聴いて没入している。陰鬱な文章が多いのも、やたら文学気取りな表現が多いのも、聴いている音楽からの影響も大きい。よく言えば憑依型って奴、悪く言えば異常なこだわりからくる過集中。職業適正:万年芸術家なのも納得。芸術面に少しでも素養があれば私もアーティストになれたのかな、なんてね。勘違いは舌噛み切ってから言えよ。 というわけで、今は普段聴かないテイストの音楽を聴いている。あー、我ながら文章の書き方が変わってくる。込める感情が変わっているのが分

      • 醜態未だ尽きず

        こうもテンプレ通りというか、ここまで予想通りに体調(思考)が変動するのはつまらない。そう、今は鬱のターン。幸い躁のときに書き連ねてきた己のnoteを見返すことで、思考回路が鬱へ引っ張られ過ぎないようどうにか調整を繰り返している。 おかげで現在の鬱状況は完全な無気力とシンプルな体調不良くらいだ。希死念慮や自傷・自罰思考にならないあたり我ながら成長していると思う。しかし、この無気力だけは本当に厄介だ。何もしたくない、できない。やる事もない。気軽にできるnoteやツイッターですら

        • 外せやその箍、理性を飛ばせ

          昨日は完全に、半日を通した躁状態であったことが確定したわけだが、それに伴って翌日朝に必ず襲われていたような不安感や虚無感は、かなり薄らいでいるようだ。前々回の記事に「日記」として記してはいるが、前回の通院日から処方される薬の用法が変わった。朝飲んでいた薬を寝る前に飲む、という「それだけ」の変化であるが、たった「それだけ」で起こる変化は計り知れない。正直今も怖い部分は残るが、どうやら杞憂だったようだ。 変化がないわけではない。感覚的な話にはなってしまうが、最大の変化として起こ

        脳内に風船を、思考を燻らせろ

          『行方不明』という存在証明 (『行方不明展』感想)

          弾丸で『行方不明展』を見てきた。はるばる日本橋まで電車を乗り継いで歩いて歩いて歩いて。躁のときでないとできない行動力だ。 私は基本的に「ホラー」が大好きで、特に設定のしっかりしたアジア系ホラーが大好物だ。最近流行りのフェイクドキュメンタリーやモキュメンタリー系のホラーも嫌いではないが、作者の嗜好や思考回路のようなものが逆にリアリティを奪い、逆にフィクション感が否めないため正直そこまで好きではない。 それもあってこの展示もそこまで期待はせず、ただ気になった程度の感覚で見に行

          『行方不明』という存在証明 (『行方不明展』感想)

          それは夏の天気のような

          7月24日 今日は通院日だった。ちゃんと起きて行った。クソ暑い中ちゃんと行った。 薬も貰ってきた。処方内容が若干変わったから、今夜からの変化が少し心配だ。 帰り道ゲリラ豪雨に見舞われた。雷も雨もスゲーけど、ダウンバースト現象を肌で体感できたのはデカかった。昔テレビかなんかで見たやつ。あれ日本人が発見したんだよね、感動した。 全身びっしょびしょで帰ったのに家着いたら太陽見えてたけど、ダウンバーストに免じて許す。涼しくなってたから窓開けた。セミが鳴いてた。うるせえ。 それからは疲

          それは夏の天気のような

          何が証明するか、自己

          最初に適応障害と診断されたのは25歳の時。初診即日、話して数分で診断が出されるという異常性を知ったのは、サードオピニオンたる現在の主治医による診察過程を見てからだった。ああ、普通は慎重に診察を繰り返すのか。普通はあらゆる可能性を考えて、診断を下すのは遅くなるのか。私は何も知らなかった。 大学院卒だったため新卒とはいえ入社時には24で、他の同期よりも年齢自体は上であることから、私にとって同期は同期でありながらも、年下の守るべき存在のような感覚を抱いていたことを覚えている。だか

          何が証明するか、自己

          置き去りのロンリー広島旅行

          大学3年の頃だったか、サークルで広島旅行に行くことになった。当時東京の大学に通っていた私だが、実家の北関東から電車通学していたこともあって、旅行当日東京駅の新幹線ホームで集合するという段階で既に旅は始まっていた。 実家から東京までは2時間強。何度も電車を乗り換える。それはつまり、乗り換える電車の一つでも遅延が発生すれば、必然的に現地への到着時間は遅れるということになる。 私は真面目で用意周到な人間だ。通常の通学時ですら、ある程度電車が遅延することや、己が腹を下して途中で下

          置き去りのロンリー広島旅行

          混在と境界

          寝て起きてリセットされた思考回路。夜中の記事に後悔が残るか、恥が残るかと覚悟していたが、どうやらそんなこともなさそうだ。要はしばらく、このまま「ありがて〜」思考で生きていくことが正解のようである。 ここに至るまで何年も、生きやすい思考回路を探し続けた。試し続けた。 ほとんどが失敗に終わった。一瞬だけ咲いて、すぐに枯れる花のようだった。だから正直、今回のこのマインドも、枯れるかもしれないという恐怖は残る。それでも、生きやすさは自分で見つけるしかないから、もし枯れたら、その時は

          ただ、今だけは心からの感謝を

          私の診断名は「気分変調症」だが、治療方針は躁鬱(いやもはや鬱病)のそれとして、寛解を目指す方向に定められている。出される薬も基本的に抗不安薬や抗鬱薬、不安時の頓服、眠剤、その他、とまぁオーソドックスなものだ。つまり何が言いたいのかというと、病名こそ気分変調症であるが、実態は緩やかな鬱寄りの躁鬱ということだ。 つまり、感情の波が激しということ。基本的に感情が低い部分(ローテンション)で落ち着いているが、「稀に」気分や調子が良くなって活気に満ちたり、「よく」希死念慮に襲われ自責

          ただ、今だけは心からの感謝を

          無垢な暴力

          私を含め、自分を卑下し、簡単に自己否定するタイプの人間が本当に孕んでいるのは自己肯定感の低さでも自信のなさでも何でもなく、歪んだ自己愛という暴力性だ。 自信のない人間は、まるで自分を小さく、弱く、簡単に傷つけられ蔑ろにされる存在価値のない者だと勘違いしている。常に他人の目を伺い、不快にさせないよう気を張り続ける。本当は逆だ。肥大化した自己愛が満たされないから、それを受け入れてくれない周囲に絶望し、勝手に殻に閉じこもる。常に他人を監視し、自己を攻撃する存在を恨み殺さんとばかり

          嗚呼愛しき愚かな本能

          ツイッターは本当に色々な情報を脳内に流し込んでくる。取捨選択する暇もないまま、有益な情報から他人の日常、犬猫、インプレゾンビ、理由のわからない肩書を引っ提げたビジネスアカウント、下着姿の承認欲求自撮り女、メンヘラのポエム、その他。本当にドブ川だ。汚くて仕方がない。 そんなドブ川を毎日のように眺めていると、たまにハッとさせられるツイートに出会うことがある。だから私は、そんなドブ川を見ているのが楽しい。その中で今回、私の心を良くも悪くも抉ったツイートを共有したい。ツリー形式のな

          嗚呼愛しき愚かな本能

          そこにエスはあるか

          現在通院している病院の一つ前に通っていた心療内科、私からすると、私を苦しめる誤診を平然と行ったセカンドオピニオン。そこで行っていたカウンセリングの際、カウンセラーから教えられた言葉だ。 心理学など当然素人だ。エス(イド)という言葉を初めて聞いたとき、未知の言葉に知的好奇心を覚えた。自分のことすらまともに話せなかった私が、いつになく積極的にその言葉の意味を聞いたのをよく覚えている。 私の記憶では、超自我というものが社会や世間での自分、自我は文字通り自我、そして、その根底にあ

          そこにエスはあるか

          繰り返す今

          誤って全てのnoteアカウントを削除してしまいこのザマだ。飽き性の割に長く続いていたアカウントもあったのだが、もう仕方ない。というよりそこまでショックを受けていない自分がいる。また一から、書きたいときに書きたいことを書いていけばいい。 思えば過去のnote全てで、私はまともに自己紹介記事を書いたことがない。興味がないからだ。どこの誰とも知らない読者が、ではない。私が私の自己を紹介することに必要性を感じない。だって知らなくね?誰でも良くない?へーそういうのが好きなんだふーん、