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それは夏の天気のような

7月24日
今日は通院日だった。ちゃんと起きて行った。クソ暑い中ちゃんと行った。
薬も貰ってきた。処方内容が若干変わったから、今夜からの変化が少し心配だ。
帰り道ゲリラ豪雨に見舞われた。雷も雨もスゲーけど、ダウンバースト現象を肌で体感できたのはデカかった。昔テレビかなんかで見たやつ。あれ日本人が発見したんだよね、感動した。
全身びっしょびしょで帰ったのに家着いたら太陽見えてたけど、ダウンバーストに免じて許す。涼しくなってたから窓開けた。セミが鳴いてた。うるせえ。
それからは疲れ果てて気絶するように寝て、さっき起きた。暑い。



実際に今日あったこと、つまり日記だ。
これを読んでどういう感想を抱いた?そもそも読んだ?読んだとしても適当に読み流しただろう。我ながらいつも以上につまらない文章だ。分かっている。

人間の一日なんて、所詮こんなもの。人生に拡大したとて、「思い出」という大きな括りで思い出せる出来事なんて、生きた日数に比べればたかが知れている。要は、人生なんて大半は「つまらなく」できている。それが当たり前なんだ。「普通」なんてものは「つまらなく」て当然。一日一日を死ぬ気で生きろ、みたいな論調も昔はよく目にしたが、そんなことを言ってる人間に限って当たり前のように手を抜くか、本当に必死に生きて早死するかのどちらかだ。

日々を焦る人間、死にたいと嘆く人間、人生に絶望している人間。彼らには共通点がある。自分の人生に、自分に期待しすぎていることだ。

かくいう私もそうだ。いつだかの記事にも散々嘆きの言葉を繰り返していたと思う。「対価」の話だ。何かをしないと、何か対価を差し出さないと、存在している理由がわからなくなるという思考回路。しかし、今の状態では何もすることができない。何も差し出すことができない。だったら生きている意味なんてないじゃないか、という真っ当に見える安直な思考回路。

自分に期待しすぎているから、それに見合う対価を生み出せない現状を嘆くんだ。
日々に期待しすぎているから、何の変化もない一日を無駄だと簡単に切り捨てるんだ。

人生なんて大半は「つまらなく」できている。だからこそ、思い出が目立ちやすい。同じくらい、トラウマも残りやすい。だが、それらをどう取り扱うかは、自分の自由だ。思い出に浸るのも、トラウマに嘆くのも自分次第。過去の出来事と切り分けるのも、挽回の起爆剤として利用するのも、全部自分次第。


期待しすぎて良いことは少ない。特に私のような精神疾患持ちはそうだ。

鬱状態で死にたくなるのは簡単だ。実行するのも簡単だ。誰も止めはしない。
いつか良いことが起きるかもしれないと、そんなあやふやで不確定な未来を能天気に提示して、まさに辛い「今」を無視することなんて、できるわけがない。その辛さは、私も分かっているつもりだ。

だけど、死ぬのが怖いなら、それでいて人生に絶望しているなら、一度視点を変えてみてほしい。

何度もいうが、「死ぬな」なんて言わない。それが決断なら、尊重する。だけど、私ら精神疾患持ちは特に、真面目すぎるんだ。自分に、周囲に、環境に厳しすぎるんだ。それは期待ともいえる。だから苦しくなるんだ。自分で自分の首を締めて日々窒息させているようなものだ。

だったら、一度そんな自分を脳内で殺して、自分自身に期待するのをやめるのも一つの手だ。少なくとも私はそうすることにした。どうせ何も生み出せない。何の対価も差し出せない社会のゴミ。人に迷惑をかけないと生きられない精神障害者。死にたい死にたいと思いながら、結局死ねずにここまでズルズル生きてきた弱虫。

それの何が悪い。ああそうさ、私はそういう人間だ。
でも、知らないだろう?そんなこと。そういうことだ。

他人は誰も自分に興味なんて持っていない。いつだって過度な期待を、過度な負荷をかけて、過度に自罰して生きているのは自分自身だ。馬鹿みたいじゃないか。だったらいっそ、そんな自分を諦めて、全部諦めて、死んだように生きてみるのもいいじゃないか。

死んだらそこで今の苦しみは終わるかもしれない。だけど、大人になってから食べられるものがあるように、大人になってから変わる価値観もあるものだ。状況や環境の変化はいつだって一瞬だ。好転する可能性だってゼロじゃない。その可能性があるなら、少なくとも今すぐ死ぬのが怖いなら、自分に期待しすぎて苦しんでいるのなら、いっそ死んだように生きている方が得じゃね?なんて、私のちっぽけな脳みそは思うんだ。

励ましでもなんでもない。ただ思ったことを書いているだけだ。きっと躁状態なのだろう。でも、いいじゃないか。何が救いになるかなんて分からない。


死はあらゆる可能性をゼロにする。生はあらゆる可能性をもたらす。
それは決して悪いものばかりではない。善か悪か、楽か苦痛かは、己が判断すれば良い。なんならいっそ、全部諦めて、苦しみも悲しみも、全ての出来事を「面白い」と捉えてしまうくらいの無責任で、つまらない自分の人生を死んだように生きてみてもいいんじゃないか。

こうして広いインターネットで、文字を介して出会えただけでも私にとってはラッキーだ。あなたがこの記事を選んで、ここまで読んでくれて本当に嬉しいんだ。ありがとう。それだけで、少なくとも私はつまらない一日を生きてよかったと、そう思えるんだ。

苦しみに耐えられないなら、死ねばいい。だけど死に方は、命を実際に絶つことだけじゃない。真面目で、周りを気遣って、キツイ環境に耐えて、苦しんでいる「自分」を脳内で一度殺すことも一つの自殺だ。それでまた、好きなように生き返れば良い。何度もいうが、誰も彼も、特に私達は、自分に期待しすぎなんだ。

夏の天気は、私達の脳内のように目まぐるしく変わる。でも、それは自分の力じゃどうにもできない。だったらいっそ全て身を委ねて、死にたい気持ちは病気のせいにして、私達は好きな音楽でも聞きながら、好きな食べ物でも食べながら、適当に人生を諦めようじゃないか。大抵のことは、自分が思っている以上にどうにかなるようにできているんだから。




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