note×standfm【Bricolage-2】離見の見/メタ認知とは?
皆様、如何お過ごしでしょうか?
今日は私の住む地域は昨夜まで降っておりました雨の影響でひんやり
しておりますが、皆様の地域は如何でしょうか?
──── 昨日、岩波文庫のTwitterを見ておりましたら、5月9日はスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットの誕生日という内容を拝見致しました。
皆様はオルテガをご存知でしょうか?
1883年から1955年を生きたスペインの生の哲学者でございます。
今から139年前の5月9日がその日でございます。
そして、名著「大衆の反逆」は1930年に書かれましたが、ファシズムが台頭する時代でございますが、1930年代ですと・・・
例えば1933年にはドイツではナチスが政権を握ったような非常に
きな臭い時代だったわけです・・・
オルテガは慢心する坊っちゃんという表現で当時の大衆の価値観でもあった
誰もがホリスティックな視点で世界を把握せずに、閉じられた宇宙での
全能感を持った無教養な専門家への強烈なカウンターを加えておりました。
さらに・・・暴走した大衆と弱体化し、ほころびがで始めた
貴族に対する構図も示してくれております。
そして、暴走した大衆に対しては次の様に語っております。
平均的な人、みんなと同じことへの安心感やそれに対して喜びを感じたり、
自分というセルフに対しての呼びかけや問いを持たないにも関わらず、
不可能なものは何も無いという全能感を持つという大変危うい状態に
対しての警鐘でもございました。
1930年に書かれた名著ではございますが、現在の文脈に当てはめ直して
考えても示唆が大きいと思われます。
──── この記事を書いている時に、ちょうどstandfmでは「悪の陳腐さ」や「スマートさとは?」「効率的」「超スマート社会」「Society5.0」「アイヒマンの息子」などのキーワードをベースに人間性に根ざしたコンサマトリーな社会の実現は如何にして可能なのか?を考えてござました。
【第926回】スマートな悪/戸谷洋志 著
──── 便利で快適な効率的でシステマティックな日常により、これまで大切にしていたものまで覆い隠されて見えなくなってしまう側面が常に孕んでいることを自覚したいと思います。
それは、バーチャル空間とフィジカル空間の融合という文言からも何となく人間性を感じられないメタリックな質感を私のクオリアが捉え始めておりますが、皆様はどんな印象なのでしょうか?
内閣府の科学技術政策HPをご参照下さいませ~
* * *
──── 今回も前回同様に【Bricolage】配信をベースに記事を仕立てて参りたいと思います。
【Bricolage】配信とは?
私が書籍を読んでいて出会う、様々な言葉や興味深い一説、エクリチュールされたもの、ランガージュ、エピステーメーを非予定調和的にブリコラージュをお届けをする配信でございます。
○前回のnoteの記事はこちら👇
──── これをお読みのマレビトの皆様は「離見の見」をご存知でしょうか?
或いは見所同見とも言われますが、室町時代の初期に活躍した
世阿弥の達観した洞察でございます。
──── 禅の影響を強く受けた能の世阿弥が舞台に立ちながらも、観客席からの離れた目で自分を俯瞰せよという洞察ですが、現代風に言えば・・・
「メタ認知せよ」という事なのだと思います。我々はこの世界にハイデガーの言う様に、被投された頼りない一本の葦ではございますが、皆様も日々、いくつかのペルソナ・・・或いは分人を使い訳ながら世界劇場で配役により役を演じている事と思います。
ちなみに、ペルソナは・・・元々は古代ローマ時代に役者が舞台に上がるとき、ペルソナと呼ばれる仮面をかぶっていた様です。
カール・グスタフ・ユングはその仮面の概念/シンボルを自身のユング心理学に掛け合わせてペルソナという本来の自分と役割をい演じている自分を混同してしまっている点に着目しました。
そもそも我々はなぜ、与えられた役を演じているのでしょうか?
与えられた役と本来の賢明な自分とのギャップを感じたりすることもある様に思います。
いつしか必死に役を演じることに没頭し、没入することで本当の自分を見失ってお面が固着化しまうのかも知れません。
また・・・演じている自分と本当の自分とのギャップに苦しむ事もあるのかも知れませんが、そんな時には世阿弥の言うように、一度エポケーして観客席から自分が必死で演じている様子をぼんやりと観察してみることが大切だと感じます。
そして、カール・グスタフ・ユングが発見したシャドウの様に抑圧状態を感じた時にはパラノイア的にその場に根をはるのでは無くて、スキゾフレニア的に華麗に逃走するという選択を科学する必要もあると思います。
【第264回】ペルソナと企投
──── シャドウは、周囲から期待されている役割とは反対の性格、性質をもつ要素でもあり、道徳的、倫理的に正しくないとされている側面を孕んでおります。シャドウは、無意識下に抑圧されているので、通常役割を演じている時には認識されていないと言われております。ただ、
役柄を演じているときに葛藤を感じるようなことがあると・・・
無意識下に眠ったシャドウが突如姿を表して不安感や孤独感を醸成するということになるのだとユングは考えた様でございます。
──── 今回は世阿弥の離見の見と絡めてメタに観察する、マクロコスモス的に物事を見ることについて語りましたが、如何でしたでしょうか?
この記事を書きながらも、私の脳内では、椅子に座っている自分を
遠くから別の椅子に座っている自分が見ているという構図を想像して
おりました。
日々、没入してしますと、呼吸は浅くなりがちですし、思考も浅くなる可能性もありますが、一旦、立ち止まって舞台から降りてみるのも、その後に
舞台に戻って役を演じる時に何かヒントに成るような気が致します。
また舞台と観客席という設定はあるものの、そこには明確な境界線は存在せずに、清濁併せ呑んだカオスな状態なのだと思います。そんなカオスなそして大変複雑な可能性の海を自分はプカプカとドリフトして生きているということを今日も実感しており、形而上と形而下、抽象と具体、或いは、
カイノスとクロノスを往復運動しながら、今日も今日とて自分の読書道を
歩いて行こうと思います。
* * *
──── ここからは毎度の宣伝でございます。
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