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【鉄分補給】新幹線の父 十河信二と妻キクの物語を朝ドラに!
※ 長くなり過ぎた少し前の記事『朝ドラで盛り上げた後、新幹線を四国に . . . 岡山-宇多津間はフル規格で、宇多津から先はミニ新幹線か在来線特急(乗換)で』から分離しました。
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(※ 次の動画では十河信二氏が第4代国鉄総裁に就任してから東海道新幹線開業までの10年弱が15分ほどにまとめられています。)
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(小道具)満鉄 パシナ979
100年ぶりのパンデミックが沈静化し、海外からのインバウンド観光客で賑わう各地の様子が報道されていますが、国内からの観光客を増加させる上では、小説や映画やテレビドラマや漫画やアニメ、中でも、半年から1年に渡って放送される朝ドラや大河ドラマの効用は極めて大きいため、招致活動に熱心に取り組む都道府県や市町村は少なくないようです。
四国が舞台の『連続テレビ小説』一覧
1962年度(2作目)あしたの風 四国での主な舞台:香川・小豆島
1966年度(6作目)おはなはん 四国での主な舞台:愛媛・大洲、松山
1973年度(13作目)北の家族 四国での主な舞台:愛媛・宇和島
1980年度(25作目)なっちゃんの写真館 四国での主な舞台:徳島
1988年度(40作目)ノンちゃんの夢 四国での主な舞台:高知・安芸
2009年度(81作目)ウェルかめ 四国での主な舞台:徳島・美波町
2023年度(108作目)らんまん 四国での主な舞台:高知・佐川
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原作は随筆家の林謙一が母・はなの半生を綴った「おはなはん一代記」。林はなが実際に生まれ育ったのは徳島市であったが、ドラマ化に際しては愛媛県大洲市に物語の舞台が変更された。
この変更は、公式には「戦災で徳島の古い街並みがほとんど失われたため、古い街並みの残る大洲が選ばれた」からであるとされているが、一説には撮影に際して徳島市が、費用などの便宜に難色を示したからであるともいわれる。後日、徳島市は大変悔しがったという。
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さて、10年余り前に3年に渡って放送された『坂の上の雲』(3部・13回)の序盤の舞台となった影響が大きいのではないかと噂されていますが、『おはなはん』(1966年)と『北の家族』(1973年)の終盤以来、愛媛県は連続テレビ小説の舞台に選ばれていません。
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大河ドラマについても、長宗我部元親、山内一豊、山内容堂、坂本龍馬、岩崎弥太郎、他が戦国時代や幕末を舞台に繰り返し登場する高知県(土佐国)とは異なり、例えば、瀬戸内海賊(水軍)が活躍するような作品でないと、愛媛県(伊予国)が舞台となる機会は巡ってきません。
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物語の舞台の一つ、高知県で開催された、
— 連続テレビ小説「らんまん」 (@asadora_nhk) September 29, 2023
『らんまん』最終回を見る会🎥
なんとサプライズで・・・#神木隆之介 さん、#浜辺美波 さん#前原滉 さん、#前原瑞樹 さんが登場😳
チーフ演出の渡邊良雄と共に、最終週の感想や撮影の裏側などをお話ししました!#朝ドラらんまん pic.twitter.com/3iC5pWspNh
そのような状況を打開すべく、間もなく大団円をむかえる『らんまん』に続けとばかりに、愛媛県の新居浜市と西条市が朝ドラ誘致運動『(第4代国鉄総裁)十河信二と妻キクの物語を朝ドラに!』を展開しているそうです。
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新幹線開発・建設・開業に関わる人間模様は(不勉強のため、映画についてはわかりませんが)何度かテレビドラマ化されています。然しながら、十河信二(第4代)国鉄総裁にとって東海道新幹線は最晩年の業績であり、そこに至る70年余りの年月が詳しく映像化されたことはないようです。
永田靖 - 「大いなる旅路」 (1960年・東映)国鉄の機関士とその一家の30年にわたる物語。
藤田進 - 「海峡」(1982年・東宝)-青函トンネル事業を描いた作品。
三國連太郎 - 「新幹線をつくった男たち」(2004年11月3日・テレビ東京)- 新幹線開発プロジェクトを描いたドラマ。
大林丈史 - 「トライ・エイジ~三世代の挑戦~ 第一回 島家三代の物語」(2011年2月・NHK-BS)- 日本の鉄道発展を技術者の立場から支えた島一族の物語。
古本新乃輔 - 「復興せよ! 後藤新平と大震災2400日の戦い」(2012年1月22日・讀賣テレビ放送) - 後藤新平と復興院の若き俊秀らに焦点を当てたドキュメンタリードラマ。
伊東四朗 - 「妻たちの新幹線」(2014年・NHK)-東海道新幹線開業50周年に贈る、「超特急」という夢を支えた家族の絆の物語。
大地康雄 - 「BS1スペシャル メガプロジェクト 開拓者たちの決断「新幹線の父 不屈の闘い」」(2016年10月2日・NHK BS1)-東京五輪まであと4年。新しい地平に挑むヒントを求めて、巨大なプロジェクトに挑んだパイオニアたちの闘いを見つめる、再現ドラマつきドキュメンタリー番組シリーズ第1回。
上條恒彦 - 「世界に誇る夢の超特急〜新幹線開発物語」(2017年3月26日、BS-TBS)
バブル経済の崩壊後、失われた三十年の間もずっと極めて高い国際競争力を維持し続けた世界に誇る高速鉄道の先鞭をつけた偉業に思いを馳せながら、先日オンライン署名しましたが、十河信二・キク夫妻の物語が朝ドラになれば、半年間、鉄分たっぷりな(月曜から金曜の)朝を迎えることができそうです。鉄オタの皆さん、それから、ドクターイエローが大好きなよい子の皆さん、是非、ご賛同ください。
十河信二 国鉄総裁の大きなウソ
2022年12月20日 文藝春秋 digital
十河信二(1884〜1981)は戦後、国鉄総裁として東海道新幹線の計画を推進した。牧久氏は『不屈の春雷』でその生涯を描いた。
神奈川県・国府津で妻とふたり、静かな余生を送っていた十河信二に、国鉄総裁就任の話が持ち込まれたのは昭和30年春のこと。71歳となっていた十河は健康上の理由で何度も固辞する。だが、ついに断り切れなくなり就任を決意した。その時、密かに遺書を認めた。
「広軌新東海道幹線はわが民族にとり明治以来の夢なり 夢は生命なり この夢を実現せしむることは先人に対する予の責務ともいふべし」
明治42年、発足したばかりの鉄道院に入ってから約50年。師と仰ぎ続けた初代総裁・後藤新平ら先人が思い描いた「広軌新東海道幹線の夢の実現」を心に誓ったのである。
最大の問題は建設費だった。技師長の島秀雄を中心に技術陣が必要経費を試算したら、当時の金額で3800億円。十河は即座に言った。「これじゃ高すぎる。国会に提出すれば議員たちはびっくりして、寄って集って計画を潰しにくるだろう。半分に削れ。」心配する技術陣を十河はこう説得した。「半分にした予算が国会を通れば、あとはおれが責任を持つ。心配するな。」
予算は国会を通過し東海道新幹線は昭和34年に着工する。建設が軌道に乗ると、十河は「予算不足」を世間に公表する時期を窺っていた。それは建設が後戻りできないことが明白になり、同時に後任の総裁が決定する前でなければならない。
全線の9割の建設が終わり、昭和38年度予算が執行に移された直後の同年4月末、十河は予算不足を自ら報道陣にリークする。囂々たる非難が起きた。十河は辞任し、新幹線の開通式にも呼ばれなかった。
十河はこの“大ウソ”について自らこう語っている。
「小さなウソをつくと人の信頼を失う。然しながらここ一番という場合には大きなウソをつかねばならない。新幹線の建設はウソをつかねば実現できないことだった。」
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新幹線開業秘話 式典に招かれなかった生みの親
2022/1/31 野崎 貴宮
「夢の超特急」といわれた東海道新幹線が昭和39年10月1日に東京-新大阪間で開業してから、今年、令和4年で58年を迎えます。
東京五輪直前に開業した新幹線が高度経済成長に果たした役割は計りしれませんが、アイボリーホワイトとブルーの車体には、政治的課題を諦めずに解決しようとした経営陣や、最先端技術の開発に挑んだ鉄道マンたちの夢が満載されていました。ただ開業式典には、国鉄総裁として開業に尽力した十河信二の姿はありませんでした。
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"5月31日(火)は休館日です。
— リニア・鉄道館 (@SCMaglevRailway) May 30, 2022
本日5月30日は1957年に国鉄が「超特急列車 東京-大阪間3時間への可能性」の講演会を開いた日です。
この講演会で世間に新幹線構想が初めて明らかになりました。
現在開催中の「第11回企画展」では講演会の中づり広告のレプリカを展示しております。" pic.twitter.com/oo1t85UMfF
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https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=shinkansen
https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201410060905381301000
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「新幹線発祥之地」で記念碑公開 東海道新幹線50年
2014年6月26日(木)
1964年10月の東海道新幹線開業から今年で50年を迎えるのに伴い、開業前に車両の試験などを行う車両基地があったJR東海・新幹線鴨宮保守基地(小田原市鴨宮)で25日、「新幹線発祥之(の)地」の記念碑が報道陣に公開された。当時車両の開発を担当していた元国鉄職員は「ここは新幹線が産声を上げた場所。50年にわたり発展を遂げてうれしい」と語った。
新幹線の線路脇には、1974年の開業10周年を機に建立された「新幹線発祥之地」の記念碑がある。通常は関係者以外立ち入り禁止のため、近くで見ることはできない。この日は開業2年前に「モデル線」での速度向上試験をスタートした日とあって、当時の開発担当者らも招かれた。
同社によると、開業に向け1962年、試験走行や乗務員養成などのため、綾瀬と鴨宮を結ぶ約32キロの区間にモデル線が設けられた。同年6月25日にモデル線の先行区間約11キロで速度向上試験を開始。同10月にモデル線全区間が完成した。
1963年3月には電車方式による世界記録(当時)となる時速256キロの試験走行に成功。この日の公開では、その際の記念プレートも披露された。
記念碑の前で、開業前に車両設計を担当していた久保敏さん(81)=東京都世田谷区=は「初代車両の『0系』量産に向け、試験走行のデータを取り、本社に情報を送る役割だった。トンネル内の高速走行による空気圧への対応が一番大変だった」と振り返った。さらに「車両の開発は未成熟な時代の中で手探り状態で始まった。最新型のN700系を見ると半世紀かけて成熟したのを感じ、うれしい」と感慨を新たにしていた。
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(鉄道旅のガイド 2019年5月17日)
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(鉄道旅のガイド 2019年5月17日)
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(鉄道旅のガイド 2019年5月17日)
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