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退院して2回目の診察と心の整理(休職234日目)


2022年9月24日(土)

昨晩はおいしく出来上がった夕飯を温かい状態で
夫に食べてもらいたかったから、
帰りが遅いと言われつつぎりぎりまで待っていたが
本当に遅かった。

私が寝たのが午前2時。

夫が帰ってきたときに目が覚めて
時計を確認したら午前4時だった。


待ってなくてよかった。



いや、なんで4時?



6時半に目が覚めた。


最近この時間に目が覚めてしまう。

困ったな。


早すぎるから二度寝(眠りは浅め)。


8時半に起きる。


夫が仕事の時は夫が仕事に行ってから
シャワーを浴びるが、起きないのでお先に。


きょうは11時半から診察。


久しぶりの秋晴れだったから2回洗濯した。


服もちょっとましなものを着て、化粧をして。

イヤリングをつけようとしたけど、
そこまでじゃないと思ってやめた。


いい時間に出発。


土曜日の病院は空いていた。

予約制だから当たり前か。


『どうぞ』


先生に直接、診察室に招かれた。


『調子はどうですか?』


まず、会社の話をした。

26日に産業医面談をすることになって
久しぶりに出社すること。

傷病手当の申請期間を延ばせるように
お願いしていること。

復職ではなくリハビリ出勤の可否を
確認してもらっていること。


出社については特に何も言われなかった。

傷病手当金の期間延長については
しっかりお願いした方がいいと言われた。


そして、プライベートの方は
とても不安定になっていること。


夫の一挙手一投足に
神経質になって怒ってしまうし、
怒ったあとはだいたい沈んでしまうこと。

その中でも寛大に受け止められるときはあるけど、その時は躁のような状態になっていること。

気遣いができない夫に失望してしまうこと。


『どういうことがしんどいですか?』


頭に浮かんだのはほとんどがお金のことだった。

恥ずかしいけど話すしかない。


外食や買い物の時に財布を持ち歩かないことや、
約束の貯金をについて守ってくれていないことを
話した。


『習慣は治らないものだから、
あなたの病気を気遣って旦那さんが主体的に変わる
というのは難しいかもしれない』


そうだよね。

期待しすぎなんだよね。


『言わないと分からない』と言われたけど、
言ってはいるんだよな。


今回トライしてみることになったのは、
”とにかくルール決め”をすること。


買い物や外食の時はどちらが払うにせよ
財布を持っていくようにする。

〇日に貯金額を支払う。みたいな感じ。


期待して

「やっぱりだめだったか…」ではなく
「ちゃんと決めたんだからやって!」

という風にする。

ちなみに貯金に関しては誓約書に拇印まで
押してもらってルール決めしたんだけど
効果なかったんだよな。


1週間前くらいからちゃんと言うようにしようか。


うざがられない程度に。



!!!!!!!!!



私今”うざがられない程度に”って、
流れるように打ち込んだぞ。

無意識に罪悪感が湧いてる証拠だ!



そういう気持ちが私を弱くしてる。


よくない。

相手の気持ちを考えることとひるむことは違うぞ。


がんばれどんぐり~。



先生『会社に対する気持ちについては
   どうですか?』


これも正直に話した。


新しい目標が見つかって、
ゆくゆくは転職を考えている。

だから今の会社には申し訳ないけど、
ぼちぼち働きながら勉強して
資格が取れたらやめようと思う。

その資格や仕事は
自分が本当にやりたいと思えたことだから、
会社に未練はない。


先生『なんの資格ですか?』


単刀直入とはこのこと。


私「精神保健福祉士です」



これまでも転職や復職、資格取得について
書いたことはあったけどここで自分の感情を
改めて整理しておきたいと思う。


私の職業はテレビディレクターだ。

テレビ局の夕方のニュースの中の企画や、
番組のADを担当していた。


だがもともとは記者だった。


警察や行政を担当していた。

その仕事は事件事故が発生すれば夜中でも起きて
現場に向かわないといけないし、
他社にスクープを出されれば相手に嫌がられようが
足を運び、マイクを向けなければいけなかった。

拘束時間は長いし、精神的な疲労も大きい。

でも、仕事は好きだった。

弱い立場の人や新しい一歩を助けられるような
取材は特にやりがいを感じた。

コロナ禍で苦しむ飲食店の経営者。

元ヤングケアラー当事者。

新しい事業に取り組む人。


苦しんでもがいて、
でも前を向いて頑張っている人の言葉を聞いて、
放送という大衆の目に触れる場所に届けることが
私の使命だと思っていた。


ただ、異動の辞令が出た。

その仕事がディレクター。


やることは記者とほとんど変わらないものの、
取材対象者や取材のやり方、企画の種類が
大幅に変わった。


社長や専門家などの著名人。

企画撮影時には台本を作成。

暮らしに役立つ情報を届ける。


勉強になることは多かったが
それまでのやりがいや自分の意思から
離れたところで作品が完成している気がした。


そしていつの間にか私の心は悲鳴をあげていた。


最初は同じ報道部門への復職を望んでいた。

でも少なからず不安はあった。

それは自分が苦しくなったきっかけになった
上司がいるということと、
忙しさから逃れられないこと。


そして、長く働けば働くほど
スキルアップや大きな役割を求められる。

当たり前のことではあるものの、
果たして私は編集の技術を磨きたいのか、
OAを仕切りたいのか。

その仕事で登り詰めることは
喜びよりプレッシャーの方が大きかった。


そしてさらに休職が続いたころには転職を考えた。

やはりあの忙しさの中もう働くことはできないし、
報道以外の部署で働くことに
モチベーションは一切ないから。


それならいっそ、転職して完全週休二日制、
8時間労働の職場で働いて
家庭を優先しようとも考えた。


でも記者やディレクターには資格がない。

ましてやほかの企業でその仕事が役に立つことって
あるんだろうか。

私が必要とされる場所ってあるんだろうか。

大きな不安に襲われた。



そしてまた復職に思考が戻った。

ライターとしてウェブ上で記事を書く仕事を
提案されたから。

それを聞いたときは本当にうれしかった。

また、記者の時のように自分が拾いたい声を
拾って多くの人に届けられると思ったから。

しかし、その後体調が悪化し、
入院したため一旦白紙に戻った。


その後もいろんな考えが巡ったものの、
今の私には報道に戻ってかつてと同じような働き方
をすることは厳しいと感じたこと。

周りからも同じように促されたこと。

会社に残っても記事を書けるなら書きたいこと。


それが主な理由で別部署への復職を希望した。


しかしやっぱりどこかでもやもやは消えなかった。


「私が本当にやりたかったことって何なんだろう」


記者時代にやりがいに感じていたこと、
そして入院中に患者さんの話を聞くことで
感じたこと。


それが心が傷ついた人、
弱い立場にある人に寄り添うことだった。


そして、精神保健福祉士という資格にたどり着き、
未来にその仕事の可能性を感じた瞬間に、
会社への未練がスッと消えた。


報道部にいなくても、私がやりたいことはできる。


そう思うことができた。

それは大きな一歩だった。



私「うつ病でも精神保健福祉士は務まりますか?」


先生『関係ないですよ。それとこれとは別です』


他にもいろいろ言ってくれたけど、
結局この言葉だけが心に残った。


ありがとうございます。
(別に良いとは言われてないけど)

頑張ってみようと思います。


今の会社にはとてもよくしてもらってるけど、
それと自分の将来は関係ない。

それこそそれは言い訳に過ぎない。

その代わり絶対資格を取る。

それまで借りぐらしさせていただきます。


明日は通信制教育の学校説明会だ。

楽しみ。


ちなみに、病的なものではないものの
躁の症状が現れていることと
夜寝つきが悪かったり夜中に寝覚めてしまったり
することから

今まで落ち込みを回復させるために飲んでいた薬を
2錠から1錠に。

そして、ニュートラルな状態を安定させる効果、
兼眠くなる薬を1錠飲むことになった。

そして、今まで通りの眠剤を1錠。


きょう初めて眠剤について質問したのだけど、
眠剤は寝る直前に飲んですぐに
横にならないといけないらしい。(常識?)

私眠剤飲んでからnote書いたり
動画見たりしてたけど、目が冴えて
効果がなくなるからダメって言われた。

そりゃそんな万能じゃないよね。



というわけで今から眠剤を飲んで寝る。

おやすみなさい。

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