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正解のない世界で、選んでいくために

A案とB案、どちらを選ぶか。
ロゴには何色を使うか。
コピーはどんな表現にするか。


私たちは普段から、正解のないことばかり考えています。仕事に限らず、人生は「正解がない選択」の連続です。


どこで働くか、誰と働くか。
どこで暮らすか、誰と生きていくか。
今晩は何を食べるか、休日はどこへ行くか。


「選ぶ」とは、その結果を受け入れ、責任を取ることだと思います。

エルは個人の裁量が大きく、一人ひとりがプロとしてジャッジする機会が多くあります。たくさん案を考えても、選ばなければ前に進みません。正解がないなかで、「こっちだ」と舵を切る勇気と責任を持つこと。一つひとつ決めていくこと。その重要性を、日々感じています。

正解のない問いと向き合いながらも、「自分で選んでいく」ために必要なことについて、考えてみました。



前提の理解

何かを選ぶときにはまず、選ぶための前提条件が必要です。

たとえば、ロゴを決めるときは

・クライアントの要望
・コンセプト
・使用シーン
・あらかじめ決まっている制約

などを理解しておく必要があります。これらを理解していないと、手段にとらわれて迷走してしまったり、「好き・嫌い」で判断してしまったりします。

エルがデザイン前にコンセプトワークを重視するのは、この前提条件を明確にするためでもあります。デザインは正解がない世界のため、これから選んでいくためには指針が必要です。指針が定まっていると、「何を基準に選べばいいか」がわかるため、制作も議論がスムーズになります。

これは、仕事以外にも応用できると思います。たとえば、「何も選べない!」と混乱したときは、

・今、自分はどんな状況なのか
・その状況で、どんなことを感じているのか
・自分が嫌なことは何か
・自分が大切にしたいことは何か
・今できることと、できないことは何か

など、わかっている前提条件を整理していくと、選ぶための道筋が見えてくることがあります。私はいくつもの選択肢を前にすると「どうしよう選べない、うわあああ」となりがちなので、意識的に状況を整理するようにしています。


オリジナルの審美眼

何かを選ぶとき、「何をいいと思うか」の判断基準はとても重要です。いいものを選ぶためには、「いいものとはどんなものか」を見極める力がなくてはいけません。審美眼、と呼ばれるものです。

審美眼を磨くのに有効と言われるのは、その道のトップにいる人がいいと思うものを知ること。そして、自分もそれに触れることです。
毎日朝会時に行われる『一日一力』の時間は、メンバーがいいと思うものを知るいい機会だなあと思います。

この人は、どんなデザインのどんなところをいいと思ったのか。どんなことばが心に触れたのか。自分の感じ方と重なるところ・異なるところはどこか。誰かの感じ方を学びつつ、それを自分の感性で捉え直す。そうすることで、単なるなぞりではない、オリジナルの審美眼が鍛えられていく気がします。

オリジナルの審美眼は、何かを選ぶときに揺るぎない軸となってくれます。正解がない選択と向き合っていると、つい周りに流されてしまうこともありますが、自分の軸があれば、自信を持って選ぶことができます。


考え抜く根気強さ

選ぶためには、ただ考えるのではなく、納得できるまで考え抜くことが必要です。これはすごくすごーく、根気が要る作業です。

逆説的ですが、考え抜くことができているかの判断は、「決める」ことができているかだと思います。考えているようでただ悩んでいるだけだったり、考えているのに解決に向かっていなかったり…ただ頭の中でうんうん考えているだけでは、何も決めることができません(でももちろん、答えが出ない過程、悩んでいる時間も大切です。そこでしか得られない価値があります)。

「自分はどうして悩んでいるのか?」「どこが気になるのか?」「どんなことが解消されれば決断できるのか?」…とことん考え抜くのはくるしい道のりですが、諦めずに考えていると、「ああ、こういうことか」と視界が開ける瞬間があります。ここまで考えてたどり着いた答えなら、どんな結果になっても納得できる、そう思えたときにやっと、「考え抜いた」と言えるのではないでしょうか。


勇気と責任

とはいえ、考え抜くだけでは選ぶことができません。納得いくまで考え抜いたら、必要なのは選ぶ勇気を出すことです。

仕事では、アイデアを発散したあとに、絞り込んでいく過程があります。考えて考えて、必死に手を動かして生まれたたくさんの案を前にすると、どうしても捨てるのが惜しくなります。この中のどれがいい案なのか、果たしてそれをちゃんと選べるのか…不安や迷いも生じてきます。
しかし、ここで勇気を出して取捨選択できるかが、最終的なクオリティを左右します。

「AIが発達していったら、人間に残る仕事は、選ぶこと責任を取ることなんだろうね」。以前、先輩とそんな話をしました。大変な作業だけ残されてるじゃないか…!と感じましたが、本当にそうだなあと思います。こわくても、選んでいくこと。結果を受け入れること。前を向いて、選び続けること。そのために必要なのは、結局勇気なんだろうなあと思います。


判断の主導権

迷ったときは、誰かの意見を聞くことも大切です。実際、エルではメンバーと話し合いながら何かを決める場面が多くあります。

しかし、自分が選ぶべき場面で、判断の主導権まで相手に渡してはいけません。
「相手が言ったからそうした」のと、「相手が言ったことを踏まえて考え、そうすべきだと自分で判断した」のとでは、状況が全く異なります。前者は相手にゆだねていますが、後者は、相手の意見を判断材料のひとつとして受け入れながらも、判断の理由にはしていません。あくまで、自分の意思で選んでいます。

誰かに判断をゆだねてしまうと、仮にうまくいかなかったとき、相手を責めてしまう可能性があります。自分で納得して選んだ答えであれば、どんな結果であっても責任は自分にあります。責任が自分にあれば、そこからどうすべきかも、自分で責任を持って考えることができます

エルのメンバーは、誰かの相談を受けるとき「こうすべきだよ」ではなく「自分はこう思うよ」という言い方をします。あくまで決めるのはあなたであって、私はそのための手助けをする。そういう姿勢を互いに持ち合っているからこそ、一人ひとりが「自分で選ぶ」という自覚を持てている気がします。


選んだほうを正解にする覚悟

ここまで、選ぶために必要だと思うことを書いてきました。しかし、どれだけ考えて勇気を出して選んでも、人間は後悔する生き物です。
あのときあっちを選んでいれば、もっとああしていれば…。幸か不幸か、目に見える選択肢の数が膨大になった時代において、「こんなはずじゃなかった」からは逃げられないのかもしれません。

仕事だけで見ても、選択に葛藤する場面はたくさんあります。特に、案を絞るとき。たくさんのメモやラフの中から、何を選ぶか。何を捨てるか。私自身、いつもたくさんの文章を墓地送りにするし、デザイナーのラフ書きを見ると、膨大な案の元があって驚きます(ボツ案を供養する場所つくりたい…)。

提案できる案には限りがあります。世に出るのはひとつだけ。だから、選ばなければなりません。そして、その選択が正解か間違いだったかは、誰にもわかりません。
捨て案の中に、もっといい正解があったかもしれない。別のラフを選んでいたら、もっといいデザインが生まれたかもしれない。考え始めたらきりがない…だからこそ大切なのは、「選んだ方を正解にする」という気概ではないでしょうか。選んだほうを、信じて進むこと。

「どうせ何を選んでも何かしら後悔するのなら、選んだほうを最高にする!」。これは人生で大きな決断をするとき、いつも自分に言い聞かせていることでもあります。その覚悟があれば、選択にも責任を持つことができます。そしてここに至るためには、先に述べたように、納得するまで考え抜く過程が必要だと思っています。


自分で選んでいく、ということ

自ら「選ぶ」ことを意識するようになってから、世の中のすべてのものに敬意を抱くようになりました。

看板のロゴも駅広告も、あのサイトデザインもあのCMのコピーも、たくさんの「選ぶ」過程を経て、今ここにあるんだなあと。この案が世に出る前に、一体どれだけの案が生まれ、取捨選択されたのだろうと。何かが世に出るまでの過程に携わった、すべての人に尊敬の念を抱きます。

3月は出会いと別れの季節。新しい選択をした人もたくさんいると思います。選択に、正解や間違いという概念がないとしたら、大切なのは「自分で決める」ということなのかもしれません。自分で決めたことなら、自分で責任を持つことができます。結果が予期せぬものであったとしても、選択の主導権を自分で持っていれば、何度でも選び直すことができます。

今の選択が未来につながっていることを忘れず、自分の選択に誇りを持てるよう、一つひとつ大切に、選んでいきたいですね。



デザインスタジオ・エルは「超えるをつくる」を合言葉に「らしさ」をデザインするWeb制作会社です。
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