子どもに合理性を押し付けすぎるのは酷だという話
僕は大学時代、経済学部に所属していました。
その4年間で学んだ学問の一つに、ミクロ経済学という学問があります。
(主に学んでいたのは経営や会計、統計などでしたが)
この学問では、局所的な視点で消費者や企業を見つめ、経済について考察します。
内容自体は面白いのですが、僕はこの学問をあまり好きになることができませんでした。
というのも、人間の行動が合理的であることが前提とされているからです。
この前提って実社会では成り立たないよなといつも思っていました。
僕は自分のことを、割と合理的な人間だと思っています。
実現したいことがあるから勉強をするし、
不必要な出費を抑えたいから、行きたくない飲み会はしっかり断るし、
恋人のことを大切に思っているから、他の女の子と遊びに行くことはしません。
長期的に見て自分の人生にプラスになる道を選び続けていると自負しています。
しかし、そんな僕も非合理的な行動をとることがあります。
サブスクで聴くアーティストのCDを購入したり
習慣化していたランニングを長期間さぼったり
コンビニでなくカフェで高いお金を出してコーヒーを買ったり。
そう、人間が常に合理的であることなんでできないんです。
人間はロボットと異なり、『心』を持ち合わせています。
これがあることによって、どんな場面にも合理性を当てはめようとすると辛く感じるのです。
それにも関わらず、教育の場面では合理性を押し付けすぎている場面が少なくない気がします。
・小学生はおなかを壊しちゃダメだからアイスは週一回だけ
・中学生は体づくりの時期だから運動部に入ったほうがいい
・高校3年生の夏休み期間は受験勉強を毎日10時間しなさい
ひょっとすると、こういった合理性の強制が、想像以上にその子を苦しめているかもしれません。
その子の中に非合理性が入る余地を奪っているかもしれません。
あなたは、子どもに対して「正しさ」を求めすぎていないでしょうか。
その押し付けは、自分がされたら嫌ではないでしょうか。
合理性は人生を切り拓く上で重要ですが、使いすぎると『心』の疲弊につながるので注意が必要なのです。
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