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よそじの台所から【12月22日の夕食 と 一人で過ごす、年末年始のこと】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・里芋 人参 牛蒡 イカ の煮物(味付:ラカントS 醤油 みりん)
and
・鯵の塩焼き
・ブロッコリーの卵とじ(味付:麺つゆ)
・稲荷寿司(テイクアウト)
・いちご大福

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年末年始のことを考えている。
今年ももちろん出掛ける予定などない。
きっと「初詣にでも行くかー」と思いながら、やっぱり寒いから外に出るのやめよーっと・・という毎年恒例の流れになることを予想する。

わたし自身、親戚の少ない家庭で育ったため「正月は帰省すべし。集まるべし。」という習慣を持っていない。
なので、結婚した娘も正月だからと言って「お母さんのことろへ行かなくちゃ」という考えがない。
ゆえに出掛けず訪問者もなく。普段と変わらぬ食卓に、やたらと餅が登場する。くらいの日々だろうと思う。

それが寂しいか・・と言えばそうでもない。
とはいえ、そうだ(寂しい)と思っていた時期もある。

でも・・よくよく自分を観察していると「寂しいというスパイス」をいろいろな料理(状態)に混ぜがちだったな。と思う。
要するに「わたしは、寂しい」と勘違い(思い込んでいた)していた部分が大いにあった。

スパイスはそれ自体が料理のメインではない。
料理をつくる際に必要なあくまで「副材料」であるのに、そのことを忘れ
スパイス自体が料理名だと思い込んでいた節があるのでは?と気が付いた。

ではその料理名は何か、と言えば

「暇」

そこに「寂しい」という感情のスパイスがある。

「暇」は状態。
「寂しい」は感情。

「寂しいと思う」とき、を観察してみたら、ほぼ「暇な時」だったんです。
これはセットになりがちだけれど、必ずしもそうしなくてもいいよね?

どういうこと?というあなたの疑問は、そのまま今のわたしの疑問でもありまして・・。
今その点について実験中なので「なるほどこれか」と思ったときにまたあらためて書いてみようと思います。

でね、年末年始の話に戻るんですけど。

忙しかったら寂しいは不要なんじゃないか。の検証をしようと思うのです。
ただ、外に出ないでひとりで「忙しい」を作るのって難しいでしょ?

だからですね


一人用ボードゲームっていうものを買ってみようかなーと思っています。

けっこうあるみたいなんですよね。
それに慣れたらボードゲームカフェ、なるものに行ってみても良い。

とにかくどうしたら「ひとりで忙しく」が作れるか、が、今年の年末年始のテーマです。




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