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向かいの人 観察日記(仮) ハルミさん退職まであと・・

職場で向かいの席に座るハルミさん(もちろん仮名)は、感情表現が豊かな人だ。
わたし(石崎秋子)から見てそれはオムツのない排泄行為、「おもらし」である。

ハルミさんを観察するようで
臭いや音、表情でおもらしに気が付くと、心のおしりふきが自動反応してしまうわたしを観察する日記。

前回の記事から、あれこれこねくり回したものを長々と書いては下書きに保存していたのですが
全部「ぽいっ」とすることにしました。

わたしはまた「外側の観察」に没頭していることに気が付いたからです。

だからそれをぽいっとして「自分を観察する」に戻ることにしました。

たまたま見た動画で、こういうことは脳の特性 だということがわりました。
動画の中で精神科医の方が

脳の最初の状態を「新雪の丘」と表現していました。
そこを初めてソリが滑ると跡が残る。
→何かが起こった時の最初の反応。
次のソリは最初のソリの跡を滑るのが楽なので、そうしていくうちにそこが道になっていく。
→何度も同じ反応をしてしまう。

というような解説をしていました。
きっと「最初のソリから何度も同じ場所を滑る状態」が起こるのは何も知らない幼少期・・でしょうから、それが道になる頃には体は大人になっている。
だから新雪に初めてソリを置いた日から、経験や体験によって思考のマイナーチェンジができても良いと思うのだけど・・

無意識(幼少期)のうちについた習慣を変える、ということは
脳の構造上、とても難しいこと なんだなぁ。
だからこそ思考の癖を変えるには意識して、跡のない場所でソリを滑り続けなくてはならない。
新しい道ができるまで。


じゃぁわたしにとって
滑り慣れた道はどんな道か

ハルミさん・・本当は感情を抑えられないというよりも
困ってパニックになっていたんじゃないだろうか
という
「いつも相手の立場に立って考えてしまう 思考」

わたしがあまり話さなくなったことで
ハルミさんを追い込んでしまったんじゃないか
という
「現実ではない想像上の 不安」

2人にとって他の・・
もっと良い方法はあったんじゃないか
という
「できもしない したくもない いい人(偽善)的 理想」

ではまだ一度も滑った跡のない場所はどんなところか。
実験しながら・・もしも心地良いと思う感情が生まれたら
そこを何度も何度も滑ってみる。滑り慣れた道にソリを置く前に。

今わたしが滑っている場所は

「今この状態が最善だった」と考えること。
わたしがいつも同じ場所にソリを置いてしまうのは
「もしかして他の方法、可能性があったんじゃないか」
という迷いを入り口に始まる。

でも
「これしかない」と考えたとき、思考がとても静かになったのです。
諦める と調べて出てきたのは

「諦める」という言葉は、現在では、「自分の願望が叶わず仕方がないと断念する」というネガティブな意味で使われています。 この言葉の語源は「明らむ」、つまり、「つまびらかにする、明らかにする」ことだと考えられています。

「明らかにする」ということ。

今この状態がわたしにとっての最善である。
他にやりようはなかった。
ということを明らかにする。

それでも誰かに優しくできなかった自分を責めてしまうときは
優しさを向ける場所が分からなくなってしまったときは

「自分に優しくする」

それが唯一の正解だと諦めて。
わたしが向けた優しさが、誰にとってもそうだとは限らない。
だとしたら、自分に向けてりゃ間違いない よね。


ハルミさん退職まで あと3日。


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