日日自炊自足【7月6日の夕食 と 自分を知るために必要な誰か】
・めかじき えのきだけ の煮物 小葱(味付:酒 ラカントS 醤油 みりん)
・さつま芋 の甘煮(味付:ラカントS みりん 塩)
・トマト(味付:塩)
・卵豆腐
先日のデート・・のその後の
思考の動きを書き残しておこうと思う。
(ここで書くデートの概念、に関しては ↑ 後半をご覧ください。デート相手を「彼」と書くことに抵抗があったため、以降仮名「だーさん」とします。あ、彼、彼女という関係でもありません。注意書きが多くややこしくてすみませんっ。)
デート中の会話で、わたしたちは好きなものや興味を持つものが近いことが分かった。
そもそも知り合った場所が「好きな本屋」であって、そこは有名書店ではなかったので、その店を探し当てて行くという行動を起こした時点で「そりゃ趣向が近いとて不思議はないよね」と思っている。
せっかくそういう人と知り合えたので、夕食に沖縄料理を食べた後「何か楽しそうな会があったら誘ってください。」と言うと「誘っていいんですか?」というので「もちろんです。」と答え別れた。
明日は喫茶店に行くと言っていた「だーさん」から、翌日「行ってきました。」と画像付きのメッセージが送られてきて、2言3言メッセージを送信し合った。
そして昨日、わたしが職場近くの喫茶店の画像を送り、また2言3言メッセージを送信し合った。
この間わたしの思考は、洗濯機の脱水のように高速で回転していた。
1度会ってその後数回メッセージを交換しただけにもかかわらず、思考を確認するとその内容は
「だーさん」の性格や生い立ちに関すること。
「だーさん」とわたしの関係について。
わたしが「だーさん」に取るべき態度や、向ける言葉に対する評価。
そして「だーさん」から見たわたし。
外側を観察してばかりの頃は、この洗濯機の脱水の中心に入り、自ら進んで高速回転させていたけれど(自力手動)
数年前その洗濯機に「あ、停止ボタンがあったんだ」ということに気が付いてからは
「自分を観察する」を習慣(このnoteのメインテーマのひとつ)にして、洗濯機の脱水の中から這い出すことに成功し、時にじっとその回転を見つめ、絡まった洗濯物(思考のひとつひとつ)を取り出して眺め
「これいる?ほんとに??」と、確認することができるようになった。
でね、わたしの場合この高速回転がどういうときに働くかと言えば
「不安な時」なんです。
わたし、人と食事に行くのが数か月ぶりだったんですね。
その上新しい人間関係というのも久しぶり。
それが異性というのもこれまた5万年振り(多分5年くらい)。
それで不安になっちゃったんでしょうね。
「自分はうまくやれているのだろうか。」
この思考は相手が男性でも女性でも、行動や場所やコニュニティー関わらず、必ず出てくる。
洗濯機の脱水の中から絡まった洗濯物(思考のひとつひとつ)を取り出して広げてみるとそこには
わたしが知るはずもない「だーさん」の人格や過去がどんどん作られていて
「だーさん」から見たわたしの偽物の印象が積み上げられていて
ありもしない、望んでいるかも分からない不確かなふたりの今後が、リアリティーのある映像で流れてくる。
でね、この脱水のいちばんの恐ろしさは、いつの間にか
「それが真実だと錯覚し、深刻になってしまう」ということなんです。(あくまでわたしの場合、です)
そしてね、この深刻さっていうのは、思考のネガティブ方面のガソリンになるんです。
わたしの場合、その燃料は主に自分を責めることに使ってしまう。
だからこれを解明したことで、ずいぶんと気持ちが楽になった。
という実感があるのです。
脱水の中に生み出された「そうかもしれない」は回転するたび言葉を変えて「きっとそう」になって最後は「そう!」という確信に変わる。
この工程を見逃すと、わたしが認識できるのは最後の「そう!」のみ。
相手の過去や考えていることなんてわかるはずもないのに、思い込みだけで「だってそうじゃん」と、それが真実みたいに塗りつぶされてゆく。
ひとりでいることはとても気楽で平和で、十分にしあわせだ。
でもひとりでいるとこういうこと・・自分の特徴や癖に気付くということが難しい。
それを知るために誰かといることはとても効率がいい。いやむしろ、ひとりでは自分を知ることができない。(あくまでわたしの実感です)
次回があるなら「だーさん」を通して、自分観察
を、続けよう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?