見出し画像

向かいの人 観察日記(仮) わたしたちが絶対に分かり合えない理由 その2

職場で向かいの席に座るハルミさん(もちろん仮名)は、感情表現が豊かな人だ。
わたし(石崎秋子)から見てそれはオムツのない排泄行為、「おもらし」である。

ハルミさんを観察するようで
臭いや音、表情でおもらしに気が付くと、心のおしりふきが自動反応してしまうわたしを観察する日記。

わたしたちが絶対に分かり合えない理由 その 1は
わたしたちの「相性が良すぎる」ということでした。

今日は
わたしたちが絶対に分かり合えない理由 その 2を書く予定ですが
その前に・・・


2021年11月16日に書いたnote
「被害者と加害者の話」をおさらい。

この中でわたしは

世の中には「加害者と被害者」しかいないと思っていたけれど
どうやら世の中には「対等」というコミュニケーションがあるらしいぞ。
ということに気が付いた、と書いています。

そう気が付いたからと言って、怒りの渦中にあるハルミさんに
「なんで怒っているの?」なんて冷静に聞けるわけもなく
いつしかまた、被害者風な立ち振る舞いに戻っていました。
そうなってしまうのは
身体に染み込んだ「思考と行動の癖」があるからです。
癖というのはやろうと思ってするものでも、思考が先で行動が後ということでもなくいつの間にか始まっているものです。
だから始まる瞬間を捉え続けなければ、変えることが難しいということなのです。


向かいの人 観察日記(仮)は
ハルミさんを観察するようでわたしを観察する日記。なのですが
ある時ハルミさんを見ていてふと


もしかして?どうやら??そうなのか???
と思うことがあったんです。
それは・・・


また少し後で書くことにします。



話は変わらないようで変わりますが
先日Twitter上である投稿を見かけました。

女性一人で運営する6畳ほどの小さな雑貨と本の店に訪れた中年男性が、
1時間ほど立ち読み。
その後店主が注意した所、それに対する男性の反応に恐怖を覚え
近隣店舗の助けを借りた・・という内容。

しかし、それは店主にとっての現実で
男性は男性で「自身が現実と思っていること」を長々とツイートしていました。

これは当人が直接会話しているわけではなく
お互いそれぞれの場所でそれぞれの主観を書いているだけであって・・
立ち読みの時間やそのことにどう声をかけたか、かけられたかも、互いの書いていることにはだいぶ差がありました。

そこにフォロワーやら通りすがりの第三者が私見を述べて、もはや現実と想像の境界線が分からない状態。

でね、これをね
どちらかが被害者 どちらかを加害者
と決められれば解決・・というか
ある程度の人は納得できて、納得できると収束に向かうと思うんですね。
(その後の誹謗中傷はあるかもしれませんが、それをするのはごく一部)

本当はね、納得なんてしなくていいと思うんです。
だけど人は「納得したい生き物」だとも思うんです。
だから、他人ごとに第三者が私見を述べる、ということが起こる。

逆に言えば

納得できない = 被害者と加害者と決められない

となると、この関係は何か。本屋も男性も


被害者と被害者。


わたしにはそんな風に見えた・・というか、互いに「自分は被害者である」という主張をしているように感じたのです。

なぜ互いが自分を被害者である、としているかと言えば
被害者というフィルターを通すと、ある程度の言い訳が・・
更にはちょっとした攻撃すら正当化できちゃう。ということがあるなと思うんです。

それを世の中では

情状酌量

と言って、犯罪を犯した者の刑が軽くなる、なんていうことがあります。
(もちろん本屋も男性も犯罪を犯したわけではありません。、これは例えの話です。)
加害行為があったとしても、それ以前に被害者だったのなら
同情して?刑を軽くしましょうねっていうことです。


話をハルミさんとわたし、に戻しましょう。

わたしは常々
公共の場所で感情をあらわにできる人、のことを不思議に思ってきたんですね。
それはまさにハルミさんのような人のことです。
こういう人にとって怒りって、当たり前みたいな感覚なんですよね。
観察しているとね、全く躊躇がないんです。
どうやらそれは、いくつかの怒りや苛立ちが重なって窮屈になってようやく外に出すとか
思考を重ねて重ねて重ねた上で、それでもどうしてもたまらなくなって出てしまうとか
みたいな構造じゃなさそうなんですよね。

小さな怒りが集まって、ようやく外に出すという構造で怒るタイプのわたしは、公共の場で瞬間的に怒りをあらわにすることを悪だとか、恥ずかしいことだ、と思っているので、それがなかなかできません。

でもハルミさんは違うんです。
桜の花びら1枚程度の「嫌」を感じると、それが怒りとなって外に出てきます。
怒りが外に出るとき、1枚だった花びらは満開になっています。
だから「あれがそんなに嫌だったの?」と不思議なほどなのです。
でね、ハルミさんはどうやらそれを悪だとも恥ずかしいとも思っていない様子、なんですね。(全ては「わたしにはそう見えている」という話です)
それがどうにも不思議でした。

基本的に人は自分が、悪だとか恥ずかしいと思っていることはたやすく実行に移すことができませんよね。

でもハルミさんはできるんです。
「すみません、口が悪くて・・」とは言うものの、感情的になると出ちゃいます。だから
「すみません、口が悪くて・・」というのは周囲に対する言い訳で、建前で、本当は悪いとは思っていないんじゃないかって思うんです。

じゃぁハルミさんはどんな心理状態なのか、といえば


ハルミさんも
「自分は被害者である」という思いを持っている、という仮説。


だから多少の怒りは情状酌量。
むしろ、こんな仕打ちを受けているわたしが怒るのは当たりまえ!とすら思っているのだとしたら。
公共の場所で怒りを出すことに躊躇がない、ということにようやくわたしも納得ができるのです。

まぁ・・それでもわたしは出(せない)さないけど。


続きはこちらから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?