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よそじの台所から【4月11日の夕食 と 「いいこと」の分量を増やす】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

・鶏肉 じゃがいも 玉ねぎ 人参 の煮物(味付:出汁 ラカントS 醤油 酒)
・トマト スナップエンドウ(味付:塩)
・米 麦 納豆 キムチ
・種なしぶどう

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昨日書いたnoteの、ちょこっと続き。

わたし(人)が出来事に感じるのは大きく分けて
普通のこと いいこと 嫌なこと
があると思う。

例えば

目が付いていることは 普通
ぱっちり二重でまつげが長くて黒目がくっきりしているのは いいこと
その目に埃が入って痛みがあると 嫌なこと

みたいな感じ。

こうして分けてみると、普段の生活でそこまでいいことってそんなにないし、普通のことってイコール当たり前のことだから気付けなくて、むしろなくなってこそ、その良さを感じたりする。(健康など)

でも悪いと判断することにはとてもとても敏感で、その上「悪」と判断したことはどこまでもいつまでも持ち運ぶ。

だから、嫌なことを感じる回数自体は多くはなくても
考えてしまう、感じてしまう時間は長いのだと思う。

これを回避するため、昨日書いた「罪悪感や嫌なこと、の使い道」に加えて
「ふたつに分ける」の練習もあわせてしたいと思う。

それは

普通のこと いいこと 嫌なこと
の3つではなく
全てを
いいこと 嫌なこと に分ける。

そうすると、普通のことはどうしたっていいこと、に分類されるわけだから、同じ日常でもいいことの分量が増える、というわけ。
この仮説。

キミはどう思う?


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