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日日自炊自足【5月11日の夕食 と 懐かしいと思えたこと】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・茹でたブロッコリー(味付:自家製醤油麹 鰹節)
and
・鰤 長葱 椎茸 を煮たもの(味付:砂糖 醤油 酒 みりん)
・豚汁(テイクアウト に コチュジャン を足したもの)
・稲荷寿司(テイクアウト)

昨日職場でちょっとした・・トラブルがあった。
わたしは当事者ではなかったので、そのことを客観的に見ていた。
きっかけは些細なことだったのだけど「問題」となっていることに対して

解決したいと思って話している人と、責められたと思って話している人

では、目指している目的地が全く違っているので
まー噛み合わない。

それは

今だけのことを話している人と、これまでとこれからのことを話している人の会話でもあって

「いや、今その話じゃなくて」という人と
「でも前は〇〇でしたよね?じゃぁこっちが全部やればいいんですね?決めて下さい。」という人。
そして
「こっちが選んでいいの?」
「はい」

こういうやりとりで
自らそう言っておいて「押し付けられた」と落ち込んでいた、過去の自分を思い出す。
でも相手は後日「あの時はそっちが全部やるって言ってた・・」というから、そりゃぁすれ違う。

でね、今ならわかるんですよ。
相手はわたしの「やる」を尊重して「じゃぁお願いします。」と言っていたことが。



かつてわたしの半分は被害者意識で出来ていた。ちなみに残り半分は自己嫌悪。
自分の考えと違うということの全てを「責められた」ととらえて、そこから逃げることに必死。過去や未来の話しをしがちなのは、責められる今からの逃避だったのかもしれない。そりゃ当然かみあわない。


「こうして欲しい」という希望を伝えることや
「あぁしてみたいけどどうですか?」と相談する
なんていうコミュニケーションは、被害者の中には存在しない。
それはキリンの長い首みたいに別の生き物の機能であって、わたしには与えられなかったものだと信じ込んでいた。

わたしは「じゃぁこっちが全部やればいいんですね?決めて下さい。」みたいな強い言葉を使うこともできず、心は絶えず梅雨。常にじめじめといじけていて、今思えば「話し合う」ということが出きていない、どころか
そもそも「話し合う」ということがどういう状態なのか、ということが分かっていなかった。
でも当時はできているつもりで常に

相手が話し合えない人 だって 思っていたんだよーー!(はずい


だからねぇ、昨日は少し懐かしかった。
そう思えたってことは、わたしはその場所から離れられたという証拠でもある。
今でも責められた!と被害者になったり、自分を責めたり、いじけたりもする。
でもその時間は圧倒的に減ったなと思うし、そのことで不安が減り、以前よりもずいぶんと楽に生きられるようになったなという実感があるのです。


何かがあった時、外側や誰かを観察するのではなく自分を観察する。
相手に責められたと思ったら「どうしてあの人は・・」と相手の気持ちを考えることではなく
自分はどうして責められたと考えるのか。ということに時間を使い、それは事実か?と自分に問いかける。
そうするとほとんどんことが「わたしの想像上のこと」だということが判明する。
「不機嫌そう」は本当に不機嫌か。不機嫌だと言われていないのに、どうしてそう思うのか。

それがこのnoteのプロフィールに書いてある「自分を観察する」です。
そしてなぜそう感じたのか、そう思うのか。その答えがどんなに美しいと言われるものや醜いと言われるものになったとしても、ジャッジや判断をしない。言葉に感情をのせない。
夏休みの朝顔の観察と同じように、観察したそのままを言葉にする。

このnoteは「自分を観察する」そのために書き続けています。

でね、そういうことを続けていると、察する察してほしいではなく、聞こう伝えようって思うようになったんです。

※この件の当事者が被害者意識を持っていたかのように書いていますが、それもまたわたしの想像でしかない。
だから今日の日記は、この出来事でたまたま自分の過去が思い出された、ということでなのございます。


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