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小説『オールド・クロック・カフェ』 3杯め 「カマキリの夢」(3)

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<あらすじ>
『不器用たちのやさしい風』で明るい脇役として登場した松尾晴樹。茨城県北部の日立市から、婚活失敗の傷心を癒そうと夜通しバイクで駆けてきた晴樹は、『オールド・クロック・カフェ』にたどりつく。32個の柱時計に興奮する晴樹。そのうちの一つ、祇園祭の山鉾を模した30番の長刀鉾の柱時計に選ばれ、時のコーヒーを飲むことになった。
<登場人物>
茨城のライダー:松尾晴樹
晴樹の元恋人:由真 
カフェの店主:桂子 
カフェの常連客:泰郎  
 晴樹の元同僚:森本達也


* * kon・chiki・chin * *

 通り庭の開け放たれた窓から、時おり風がそよと流れ、斜めに射し込む朝の陽ざしを軒の簾がやわらげ、テーブルに模様を描いていた。
 晴樹の向かいに、泰郎がにこにこしながら座っている。相席することを許した覚えは、まったくない。どうすっかな、この人。

 晴樹は、だいたいにおいて愛想がいい。というより、無駄に明るい。初対面の相手にも軽口をたたく。「ノリだけで生きてるんやから」由真にもよく言われた。「でもさぁ。明るい晴樹って、外面(そとづら)モード発動中のときやね」つきあい初めてすぐ、由真はナゲットを齧りながら、いともあっさりと晴樹の本質をついた。

 茨城からバイクで夜通し駆けたため、アラフォーの体力は限界に近い。できることなら無駄な電源は落としたかった。ようやく腰を落ち着けた籐の椅子は、クッションが良く、痛みの残る尻にも心地いい。エンジンを切って、無口でぶっきらぼうな素の自分にもどるには最適だ。それなのに。
 常連らしいおっさんが、さも当然のように、はす向かいに腰かけている。相手しなきゃ、だめかな。やれやれ、晴樹はそっとため息をついた。

 ちりん、ちりん。
 窓辺の風鈴がゆれる。胴がぷくりと膨らんだ釣鐘形のガラスに、緑と水色の細い筋が交互にてっぺんから滴のように垂れている。
「いい音ですね」
 時候の挨拶ぐらいのつもりだった。
「あれな、俺がこしらえたんや」
 まるでパンケーキでも作るような口調だ。
「えっ、この風鈴を、おっさ‥、あなたが作ったんですか?」
「そないにかしこまらんでも、おっさんで、ええで」
「近くの茶わん坂でガラス工房をやっとるんや」
 ああ、それでか。厚い手の感触に納得がいった。
「ガラス作家さんかぁ。マジすっげぇ。そんな人、はじめて会いました」
 いつもの明るいノリで驚いてみせる。
 泰郎は晴樹に静かに目をやり、「無理せんでええで」とやんわり諭す。
「俺がおったら落ち着かんのやったら、カウンターにもどる。まだ、訊きたいことあるんちゃうかと思って、座っただけやから」
 晴樹は、あっと言葉を呑んだ。明るくて軽い「松尾晴樹」という仮面を、あっさりと見破られた。由真以外では、はじめてだ。そうか、この人の前では素でいいんだ。ギアをあげなくてもいいんだ。

「じゃあ。『時のコーヒー』を飲むと、どうなるんですか? あの女性は夢を見るって言ってたけど」
 晴樹はカウンターで豆を挽いている桂子に視線を向ける。
「眠とうなってな。気づいたら、自分が登場してる過去の映像を見てる感じやった」
「映像‥」
「そや。夢みたいにおぼろげやなくて。クリアなんや。自分が主人公の映画を観てるみたいやったなぁ」

 コーヒーの香りが風に乗って微かにただよいはじめた頃あいで、桂子が盆を提げてきた。
「お待たせしました。クロックムッシュです。時のコーヒーは、今ドリップしてるんで、もう少しお待ちくださいね」
「泰郎さんのトーストとコーヒーも、ここで、ええ?」
「ああ、ここに置いてんか」
 この店に入ってから、どこか懐かしい気がしていた。肌になじんだシャツのような。それが何かわからずにいたが、ふたりの会話を聞いて、はっとした。由真の口調と同じやわらかなイントネーション。いっしょに暮しているうちに、ときどき晴樹もよく似た語尾になることがあった。もう、使わなくなったけれど。それが耳に心地よかったのだ。

 熱あつのクロックムッシュにすぐさま齧りつく。長く伸びるチーズと格闘している晴樹に、泰郎が話しかけた。
「ひとつ、言い忘れてたんやけどな」
「時計がさしてる時間も関係あるんや」
 えっと顔をあげ、2口めのクロックムッシュでいっぱいの口をもごもごさせる。泰郎が長刀鉾(なぎなたぼこ)の柱時計を見あげる。
「1時7分か。この時間に覚えはないか?」
 ようやく咀嚼し、グラスの水をあおる。
「時間が‥関係‥あるって‥どういうことっすか?」
 ときどきむせながら、晴樹が問う。
「この時間に起きた何かを忘れてるいうことや」
 ますます、わからない。
「まあ、じきにわかるわ。時計にまかしといたら、ええ」

 コンチキチン、コンチキチン。
 長刀鉾の柱時計が、そうや、とでもいうようにお囃子を鳴らす。

「お待たせしました。30番の時のコーヒーです」
 桂子が涼しげな青磁のコーヒーカップをテーブルに置く。
 これが『時のコーヒー』か。見た目はふつうだ。ふだんインスタントしか飲まないから、コーヒーのことはよくわからないけれど、いかにも本格的な深い香りが湯気とともにゆらりと立ちあがる。

「どうぞ、ごゆっくり」
 泰郎は気を利かせたのだろう。新聞を広げてトーストをほおばる。
 晴樹は、おそるおそるひと口めをすすった。
 何を思い出させてくれるのだろうか。俺にとってだいじなこと。昨日までは婚活だったけど。それにしても、うまいなぁ、このコーヒー。

 コンチキチン、コンチキチン。あ、また、時計が鳴ってる。
 晴樹の意識があったのは、そこまでだった。 


* * Time  Coffee  * *

 コンチキチン、コンチキチン。コンチキ‥‥。
 一定のリズムで繰り返される鉦(かね)の甲高い金属音が、潮の引くように遠のいていく。代わりに雑多な音の重なりが鼓膜をゆらしはじめた。さざ波のようなざわめきに、チャイムのメロディー、トーンの高い機械的アナウンスに、がなるような声が不規則にかぶさる。それらがボリュームを上げ増幅する。不協和音が最高潮に達したそのとき、音だけだった画面の中央を左から右へと、すーっと長くて白い流線形の何かが滑りこんで来て止まった。
 それが合図だった。舞台のライトがいっせいに点き、突然、視界が明るくなった。

 カメラは引き気味で、新幹線の白くて長い躯体をとらえていた。立ち止まって電光掲示板を確かめる人。足早に通り過ぎる人。たいていはスーツを着たサラリーマンだが、笑いあう女子大生のグループもいる。平日の昼間だろうか。ホームはそれほど混雑していない。
 五分袖の白いワンピースの裾を風に踊らせてたたずむ女性の後ろ姿が見えた。傍らには赤いキャリーバッグ。入ってきた新幹線の風圧にあおられたセミロングの髪を右手で押さえながら、斜め後ろを振り向く。
 由真だ。
 そうか、これは5年前の新幹線東京駅の19番線ホームだ。
 あの日、由真と俺はここで別れた。


 ひと月ほど前だった。いつもなら晴樹より先に起きて朝食をこしらえている由真が起きてこない。シャワーで寝汗を流した晴樹は、髪をバスタオルで拭きながら寝室をのぞいた。
「調子悪いのか?」
「ちょっと」
「じゃあ、今日は休むって言っておくよ」
「うん、お願い」

 その日、由真のことが気になった晴樹は残業も早々に切りあげて帰宅した。ダイニングに明かりはついていたが、由真の姿はない。寝室の扉は閉まっている。テーブルの上に「カレーを温めて食べて」とメモがあった。
寝室をそっと開けると、由真は寝ていた。晴樹は静かにベッドに近寄り、額に手をのせると、由真がうっすらと目を開けた。
「起こしちゃったな。熱は‥」
「熱はないよ。ごめん。カレーあっためて、食べてくれる?」
「ああ、気にせず、ゆっくり寝とけ。明日はどうせ休みだ」

 翌日の土曜には由真の体調は良くなっていたが、前日のこともあるからと、ツーリングにも出ず、一日ふたりでだらだらと部屋で過ごしていた。

「あのさぁ。うちら、もう終わりにせぇへん?」
 ベランダから西日が射し込む。グレープフルーツをスプーンですくいながら、由真が「今日の晩ごはん何にしよっかぁ」ぐらいのノリで言う。格闘ゲームに興じていた晴樹は、手に握っていたコントローラを落とした。
「いやいや、いや。ちょっ、待て。今、なんて言った?」
「うん。せやから、別れへん? 言うてんけど」
「お、お、俺、何か怒らせるようなことしたか? 浮気もしてないぞ」
 落ち着いている由真とは対照的に、晴樹は左右の手を意味なくばらばらに動かし、あげくの果てに、ソファテーブルの上の缶ビールを倒した。
 ぷぷっと、由真が吹き出す。
「なんや冗談か。マジかと思って、びびったわ」
 晴樹が、ほっとした顔をする。
「冗談やないよ。笑ったのは、晴樹の慌てっぷりがおかしかったから」
 由真はこぼれたビールを拭きながら、晴樹の顔をのぞく。

「お正月に京都に帰ったら、見合い写真と釣書の束が用意されててん。親戚のおばさんとかにも、この人はどうぇとか。もう、あっちからも、こっちからも言われて」
「それで、お前、帰ってきたとき元気なかったんか」
 帰省から戻ってしばらく、由真が不機嫌だったことを思い出した。
「最近、親からしょっちゅう電話がかかってくるんよ。あの人はどうやとか。お前のこと気にいった言うてくれはる人がおるとか。適当にかわしとってんけど。いっぺん京都に帰って来いって、うるさなって」
「まあ、考えたら、もうすぐ30の大台やしね」
 由真がいつになく早口でまくしたてる。晴樹は「いや」とか、「ちょっ」とか割って入ろうとしたが、それを許さない。
「子どもの産める年齢考えたら、潮時かなって」

 そこで言葉を切って、晴樹をじっと見つめる。
「私と結婚は‥‥、でけへんよね」
 由真の切れ長の目が、晴樹の虹彩を射る。あ、これは、ごまかしが効かないときの目だ。

「ごめん」
 晴樹は由真の前に正座して、頭を下げた。
「前にも話したと思うけど。いつか茨城に帰って親の会社を継ぐ。その時には、会社のために見合い結婚する。それが俺を養子にして育ててくれた親へ、俺ができる唯一のことだから」
「うん、それはわかってるよ」
「つきあう前に、ちゃんと、そう言ってくれたやん。それでもええ、言うたんは私やもん」
 それは、そうなのだが。後さき考えずに同棲に持ち込んだのは自分で。女性の体にはタイムリミットがあることなど、考えてもみなかった。何とかなるさと、ずるずると決断を先延ばしにしていた。何ともならないのにな。

 由真が結婚を口にしたのは、後にも先にもこの一度きりだった。

 別れると決めてからの由真の動きはすばやかった。週明けの月曜には辞表を提出し、仕事の引継ぎのあいまを縫って、引っ越しの準備やらアパートの契約解除やらを済ませていった。
 晴樹も同じ日に退職して茨城に戻ると決めてはいたが、辞表を提出しただけで、事務手続きを着々とこなす由真の有能さを眺めるばかりだった。


 キオスクでお茶と由真の好きなアーモンドチョコレートを買って戻ると、乗車がはじまっていた。
「じゃあ、晴樹も元気でね」
 由真はにっこり微笑むと、赤いキャリーバッグに手をかけ、背を向けて乗車口に向かう。晴樹はたまらず、後ろから抱きしめた。
「ありがとう。由真といた5年間は‥‥最高やった」
 由真の耳もとで声をふりしぼる。由真にいつも笑われていたけれど、いつのまにかなじんだ関西弁に、5年分の想いをこめた。
 由真は晴樹に抱きしめられたまま、背を向けて言う。
「もし‥もし、やけど。いつか私に会いたくなったら、『祇園祭のカマキリ』って覚えといて」
「え? 何て?」
 出発を知らせるアナウンスが重なる。
 キャリーバッグを持って、由真はタラップに足をかけた。

「祇園祭のカ・マ・キ・リ!」
 振りかえって謎のことばを叫ぶと、ゆっくりと「のぞみ」の扉が閉まった。ステンレスの安全扉も閉まる。
 ホームの時計は、1時7分を指していた。

(to be continued)

(4)へ続く→



本作の主人公、松尾晴樹が脇役として登場する、さわきゆりさんの『不器用たちのやさしい風』も、あわせてお愉しみください。

https://note.com/589sunflower/m/me08a78c52363


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