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「憧れ」こそ生きる力——森村桂『天国にいちばん近い島』【書評】

拝啓

心惑いながらも一つひとつ言葉を紡いでいるあなたの手紙、とても嬉しく拝読しました。

そして、「お」の抽斗に入りそうな本はどれだろうかとじっと眺めたとき、森村桂の旅行記『天国にいちばん近い島』ではないかと感じました。あなたの手紙に「いつか海外へ旅に出るという楽しみをくれた」とあります。この本から抱いた「憧れ」こそ、あなたをつくったものだと感じたのです。

さっそく古書店に注文しました。しかし、なかなか届かない。じれったく待つ間に、原田知世主演の映画も観てみました。1984(昭和59)年の公開当時、とても話題になったのは知っていますが、上の世代のことなので、原作も映画も今回が初めてです。

ずっとずっと南の地球の先っぽに、神さまのいる天国からいちばん近い島がある。

筆者が幼い頃に、亡き父親に語ってもらった島の話。どの島だという名前すら教えてくれなかったけれど、ずっと胸に残ります。本当は全文引用したいくらい。まるでダイヤモンドのようにきらめく話です。筆者はたまたま耳にした南太平洋の島々、フランス領ニューカレドニアがその島だと直感します。それがすべての始まりでした。

鉱業会社の運搬船に乗せてもらう幸運と、東奔西走してかき集めた資金を握りしめ、いざニューカレドニアにたどり着きます。でも当初は、期待と現実とのギャップに落胆する日々。ただ、筆者は追い込まれると真の力を発揮できるのでしょう。滞在中ずっとお世話になる日系の林さん一家や、同じ日系ながら無国籍のワタナベさん、さらにウベア島の酋長の息子であるレモなど、多くの幸せな出会いがあります。毎日届けられるヤシの実に閉口したり、急性の盲腸炎で手術をすることになったりと七転八倒しながらも、父親の話していた「天国にいちばん近い島」は本当にここなのだろうか。そんな問いに対する答えさがしは着実に進んでいきます。

招かれたウベア島の海岸で、泳げないのに潮に流されそうになりながらも、ついにここが「天国にいちばん近い島」と確信する。そのくだりでは、それこそ天国で見守っているであろう筆者の父親のように、よかったね、それでいいんだよと、思わず声をかけてしまいました。

本書が世に出たのは1965(昭和40)年。まだまだ海外旅行も一般化していない時代で、ましてや20代前半の女性が観光地でもない南の島へ一人旅をするなんて、まったく理解されないご時世だったはずです。そこを好奇心と行動力で切り拓いていく。当時は青春のバイブルだったと語られていたというのも分かる気がします。それからずっとずっと後であろうあなたの学生時代でも、海外へ旅する憧れを抱く気持ちは、きっと普遍的なものだったのだろうと察します。

一方で現在は、憧れを持たない、持てない時代なのかもしれません。海外の情報も、イメージも、物そのものも、どれも簡単に手に入ります。実際に海外へ旅に出ることも(コロナ禍でなければ)とても易しくなりました。人は物心両面で、欲望を簡単に満たせる時代になったのでしょう。

しかし逆の見方をすれば、欲望を抱きづらい、いや、欲望を奪われている時代だともいえます。筆者やあなたのように、「憧れ」を持つことが生きる力になるならば、現代はその「憧れ」を奪われている。すなわち、生きる力を持つことが奪われているといっても過言ではありません。

かつて、あなたが「憧れ」を育んでくれる本と出会えたのは、本当に幸せなことなのだと感じました。

映画の『天国にいちばん近い島』は原作から20年近く後のものなので、ストーリーもまったく異なります。原田知世を前面に出すという意図もあり、原作と映画はまったくの別作品といえます。

映画で感心したのは、太平洋戦争下のニューカレドニアで、旧日本軍の潜水艦が沈没した史実に言及し、ドラマ化していることです。現地の日系人が二つの祖国の間でどのような扱いだったのか。原作ではワタナベさんが無国籍になった事情が触れられていた程度です。映画では戦争を悲劇として描くのでも、美談として飾り立てるのでもなく、そうやってニューカレドニアと日本は関わりが存在していたのだと描く大林宣彦監督の手腕に深く感じ入りました。

私にとって冒険心をかきたてられたのは、上温湯隆の『サハラに死す』です。大学受験に失敗したあとの浪人時代、予備校の講師に勧められ、むさぼるように読みました。あれから数十年。いまだに「いつかはサハラに」という思いを抱き続けています。学生時代に一人で放浪したのは、上温湯隆が歩いたサハラ砂漠ではなく、反政府ゲリラのニュースが流れるメキシコでしたが。

今回のような旅行記でも、随筆でも、小説でもかまいません。あなたにとって「自分をつくった一冊」を教えてください。手紙と合わせて、あなたをもっと知りたいと思っています。

敬具

既視の海

今回はかなり手を加えました


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