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都会と田舎、社会の広さ

あたしの学生生活は都会半分、ド田舎半分でした。神戸三ノ宮から数駅と離れていない駅前商店街のマンションに住み着き、阪急電車で京阪神をうろちょろ。かと思えば、週末にはゼミ活動で兵庫の山奥へ。というか兵庫って、日本の縮図と呼ばれてるくらいなんでもある。田舎も都会も、日本海も瀬戸内海も。

そんなあたしも今はまた地元に戻っているわけですが、そんなあたしの地元にIターンされた方のnoteをお見かけしたので、あたしのド田舎での体験を振り返ってみようと思いました。

つらつらっと特に練ることもなく書いているので、読みにくいことはお許しください(この記事に限らず)。


神戸からド田舎へ

大学が神戸にあったので、そのあたりに下宿していたわけなんですが、そもそも田舎育ちのあたしは段々都会に飽きてきました。そんな頃、3回生になってゼミを選ぶ時期に。そもそも真面目に座学なんて無理なタイプなんで面白いゼミないかなぁと思っていると、ありました。週末はド田舎でフィールドワークやりますっていう超不人気ゼミが。ここに入ったことが全ての始まりでした。

フィールドワークの舞台は神戸から高速道路を使って1時間半の兵庫県内の限界集落。高齢化率は7割くらいで集落内の半分弱が空き家。本当に兵庫県の広さを痛感しました。
※記事トップの画像は大学近くからの景色

限界集落、こんな感じ

田舎、おっきなキャンバス

3、4回生の2年間、この地域でいろいろとやってきましたが、本当にこの時期にしかできない、ここにきた人間にしかできない、もう今後の人生ですることもできないような体験ばかりでした。

集落にある古民家を自分たちで改修しながら寝泊まりして、山菜採ってきて天ぷらにしたり、夜には蛍を追いかけたり。夏には地域の人を巻き込んで夏祭りしたり、他にも色々やってたら地元の新聞に取り上げられたり。農家さんのお手伝いして野菜もらったり、チェーンソー持って山いって切ってきた木でBBQしたり。田んぼも全部手作業でやったなぁ。

本当にここではなんでもできました。この2年間がいまのあたしの考え方を作ったと言っても本当に過言じゃない。

山菜の天ぷら
めっちゃ手植え(稲刈りも当然手作業)

結局あたしは、卒論もこの地域で書くことになった。限界集落のそれぞれの自治会長にインタビューしながら、一軒一軒歩いて見て回りながら材料も集めた。いろんな人と出会い、いろんな職業の人と話し、いろんな昔話を聞いた。

世の中はでっかい

社会とは、自分が思っている何百倍も広くて深い。大学入学とともに都会に出て、いろいろ知った気でいたあたしはハッとさせられた。何気なく生きていたら、社会のほんの一部しか見ることもなく、なのに多くを知った気になることに気づいた。

都市での生活では当たり前だけど、お金を出せば欲しいものが出てくる。誰がこれを作って、誰が形にして、だれが運んで、なんてこときっと誰も考えないまま受動的になってる。お金さえあれば何でもできるけど、実はものすごく視野は狭くなっている。

地域で作って販売しているお寿司
(このきゅうりの農家さんのところにお手伝いに行った)

でも、ド田舎(というか本来動物は)では、能動的にならなければ何も手に入れることはできない。自分たちで食べ物を育てて、採って、寝床を改修して。時にはそれを生業とする人にいろいろ教わりながら。そんな体験を通して、普段何気なく享受している日常の、その当たり前の形になるまでの過程を目の当たりにした。誰かが採って、誰かが作って、誰かが運んで。物事は一人で完結しないということを、いろいろ自分でやってみて感じることができた。

社会には色んな人がいる。自分が見聞きしたものなんてほんの一部に過ぎない。こんな当たり前のことを、みんな忘れて生きている。あたしだって限界集落での経験がなければこんなこと考えもしなかった。色んな人が色んなことをしているから自分の生活がある。わざわざ物事の文脈を全部追う必要はないと思うけど、社会は思ったより広くて人や物事にはそれぞれ違う文脈があることを意識するだけで、人としてかなり豊かになる気がする。

だからあたしは今でも、目の前の人やモノだけを見るんじゃなくて、それぞれ違うその文脈を考えるようにしている。そして、それぞれ違う文脈をそれぞれに尊重したいから今の仕事を選んだ(休職しているのはまた別のお話ということで)。

本当に気持ちをデゴルジェしただけになりましたが、なんとなく、なんとなくでも言いたいこと伝わりましたでしょうか。

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