四季を感じながら死期を見つめる
三島由紀夫『春の雪』を読んで
三島由紀夫はなぜ死を意識して小説を書いたのだろう。僕はその謎を解くため豊饒の海第一巻『春の雪』を読んだ。流麗な文体と華族の恋愛というテーマの折々に死がちらついている。僕は中盤まで観念的理想が描かれたこの小説の世界に没頭してのめり込むように入っていくことができなかった。しかし、最終節に向かうに連れて気持ちの良さというかカタルシスを感じていくようになっていって自分でも驚くほどのスピードで読み終えることができた。僕は満足してしまってこの後に続く奔馬、暁の寺、天人五衰へと続く豊饒の海を読むモチベーションがなくなった。それくらいこの小説は不思議な快楽を得られる他に類を見ない傑作である。大正時代の侯爵家と伯爵家の恋愛を描いたものだが八識論をとり入れた描写には仏教を信じる人なら共感するだろうし清顕のまた会うぜ、きっと会うという言葉には三島由紀夫本人を重ねてしまうだろう。
この小説は昭和において最高峰の作家が書いた最高到達点であると言っても過言ではないだろう。
現代人の知識からしたら稚拙な部分も見受けられるし三島由紀夫は社会経験の少ない高等遊民であることはこの小説から散見されるのはひとえに労働者が出てこない労働というものが出てこないということ以上に雅語的な言葉遣いや美麗な文体によるところが大きいように感じる。
この小説は小説としてなんの瑕疵もないし破損はないのだがどこか子供らしさや政治に対する未熟を感じてしまう。
もっと三島由紀夫が長生きしたとして労働者の観点や庶民の暮らしといったものにも注意がむけばトルストイのような世界文学史に残る作家になったことは間違いない。
ただ彼は楯の会を作り外野から政治を動かしクーデターを起こさせようとした点で完全に庶民から遊離してしまった。
庶民の過半数は戦争や自衛隊が軍隊になることなど望んでいないし自民党に投票しているのも対抗馬となる党がいないからで彼らの政策に全面賛成しているわけではない。
金持ちで労働者になったことのない人に市井の暮らしがわかるわけがない。
現代の文学者の問題を丸ごと抱え込んだのが三島由紀夫である。
つまり学歴が高く頭の良いものが文学を書きそれを世間の人が無知蒙昧から支持するという構図を最初に作り上げたのは三島由紀夫だろう。
金で苦労したことがなく娯楽として書いた小説でメジャーデビューする作家は戦後の日本文化の崩壊を招いた。
これは芸能の分野にも言えることで養成所やダンススクールに小さい頃から通えた者が俳優、アーティストになれるそれを庶民がルックスと演技力だけで評価する。
統計データは持っていないので自分の憶測だが文化人や芸能人は現代の華族なのではないかと思う。
小説やドラマで稼げる人間は人口の一%に満たないほど稀有である。
三島由紀夫はテレビ黎明期の作家である。
その当時作家はスターであり石原慎太郎や古井由吉など文学で出世した人は数多い。
石原裕次郎や菅原文太などもこの時代に有名になって小説を原作にした映画に出演した。
三島由紀夫はエンターテイメントばかり求める庶民に辟易しているとともに合わせようともする。
中間小説という新しいジャンルにも挑戦した。
しかし文学の改革だけでは満足できず政治行動に打って出る。
政治家になればよかったのにそれをしなかったのは政治では日本の世の中を変えることができないとどこかで悟ったからだろう。
三島由紀夫は太宰治を批判するが二人とも自決の運命を辿ったり幼少期身体が弱かったり共通している点も多い。
三島由紀夫が一番好きな作家は太宰治だったのではないかと憶測できるがその証拠はない。
二人は正反対に見えながら同時代を生きる者として同じ想いを抱えていた。
それは戦争で死ねなかった後悔と作家としての自分のアイデンティティの揺れである。
三島由紀夫は英霊の声など戦争を文学に書いているし太宰治もお伽草子やトカトントンなどで戦争に触れている。
二人にとっては戦後の思想の転換や戦争で死んでいった者への懺悔など抱えているものが文学に昇華されていながら消化しきれないわだかまりのようなものがあっただろうと推察する。
だから太宰治は水死したし三島由紀夫は割腹自殺したのである。
この春の雪を読んで三島由紀夫の並々ならぬ死への渇望と悲哀とが奥底から読みとれた。
三島由紀夫は春の雪で自らの後悔と生き残ってしまった罪悪感を払拭したかったのではないだろうか。
だからこそ時代を戦争が始まる前の大正に搾り束の間の幸せな時間を書いたのではないか。
この後三島の作品豊饒の海は崩壊と破滅へと向かっていく。
そして天人五衰で究極の死のために文学を書き切って著者が死ぬ。
市ヶ谷駐屯地での自決は文学を完成させるためのものだったのである。
三島由紀夫のことをナルシストとか変態と言って片付ける人もいるが彼は昭和の体現者であり日本が世界に誇る大作家だと私は信じて疑わない。
彼がまだ生きていたら言うだろう。
日本はずっと子供のままだったと。
そして訴えるだろう。
俺の文学は永遠に残り続ける。
誰がなんと言おうと。
そう言う気がしてならない。
春の雪は本当に素晴らしい小説だった。
自分の文学への情熱を高めてくれた。
ここから何かの扉が開くような思いがした。
挑戦し続けることで未来は開くという希望をこの小説から受けとった。
私は侍なのだ。天下をとらなければならない。そのために生き抜いて実証を示し切って大団円を迎えるのだ。
新たに決意して今日から出発する。
この湯冷めするような冷たさを持った春の雪よ。三島由紀夫さん、
書いてくれてありがとう!
自分自身の仮面の告白
僕はここで自分の告白をする。
僕は精神疾患を患っていてでデイケアの活動の一つでこの作品を読んだ。デリケートな問題なので詳細は控えるが周りには不思議な人がいっぱいいる。
それを吐露する場がないのも事実であるし、吐露してはいけないのかもしれない。
今の病院で治療が始まってから二年が経った。その間体重が二〇キロ程増えた。タフになった部分もあるしメンタルも丈夫になった。入院も三回した。
今思えば大したことないがSEKAINOOWARIの深瀬さんが体験したようなこと——藤崎沙織さんのふたごに書いてあるようなこと——を経験した。それが映画になればと思って比較的文才がある方なので小説にしている。
運が良ければデビューできるかもしれない。
僕は光と影なら影、陰と陽なら陰を選んできた。
光りすぎても眩しいし暗いところの方が落ち着くからかもしれない。
こんな大人が子供たちに希望を届けられるかと言ったら疑問だし僕に希望なんて語る資格はないのかもしれないけれど子供たちに言いたい。
未来には希望しかない。
大人になっても夢を見ることがこの国では許されている。と。
まだ子供だった僕は知らないだろう。
こんなにSNSを使いこなすN21の帽子をかぶった大人になっていることを。
ケーキ屋さんになりたいと願った雄飛よ、いつでもケーキを食べられるようになったぜ。
誰にも文句を言われず黒服に身を包んで指輪四つつけるようになるぜ。
驚くべきことばかり起きることを子供の君は知らない。
三島由紀夫なんて難しいと嘆いていた雄飛よ、春の雪を二週間で読めるようになるぜ。
日本から出ようとした君、埼玉県と東京都を行ったり来たりしながら人生の盤面に文字を刻みつけるからね。
そして文豪を全員論破して新たな文学を書くよ。君は最強で言語の神のように言葉を駆使して生きていくようになる。
芸能プロダクションに所属しアイドルと仕事するようになる。UNIQLO TOKYOで働き月間MVPをとることになる。それらは子供の時に想像していなかったことだ。
新鮮な息吹と恋に焦がれた過去は消えて幸せだと思える境遇にいる。
誰かに批判されても周りが支えてくれるからいつだって大丈夫。この世界はダンスホールだ。踊りながら生きることが許されている日本で文学を綴る。
これ以上幸せなことはない。
治療が困難で再発率の高いこの病気を全てコントロールするのは無理かもしれない。だけど二一世紀旗手として生きるからには伝説を残してから死にたい。日本では道半ばで死を選ぶ人が多い。それは個人の選択の自由なのかもしれないけれど僕は許すことができない。生きづらさという言葉一つで考えられる問題ではない。個人に罪はないし死んでしまった人を悔いても仕方ない。本人にも葛藤があったのだろう。その点は認めるし難しい問題なのもわかる。けど、生きなければ自分の言葉を証明できないしすべて嘘になる。僕はどれほど苦しくても文章を書くようにしている。たとえ批判されても発信するようにしている。まだそれは小さな火種かもしれない。いつか大きな打ち上げ花火になるように書き続けている。
三島由紀夫の春の雪を読んで一番考えたのは死ぬ時に自分がどういう人間になっていたいかということである。
世の中には無数の職業があってその一つ一つで第一人者とされる人達がいてその下に何千も何万も雇用されている人がいて日本人であることと共に死を意識しながら何かの分野でトップになることを自分はしたいのだと思う。大谷翔平さんや羽生結弦さんと同世代の僕としてはまだまだ自分はできるという気でいるけどこのまま終わるのかもしれないし顔も薬の副作用で澱んでいるし最悪なことばかりでいま自分が幸せかと言われると自己肯定感を保つことができない。早く寛解したい早く仕事がしたい早く東京に住みたいと思っていても相当長い道のりだぞと思えてきて自信を失っている。それでも文学を手放すことができなくて小説のようなものを書き続けている。誰も自分を褒めてくれる人がいない中で一人黙々とiPhoneと向き合っている自我は不毛に感じる。そうだとしても書き切らなきゃ最後までやり遂げなきゃという気持ちが強い。宮沢賢治のように死後有名になった人もいる。ゴッホのように苦しみの人生の中で絵を描きあげた画家もいる。僕は彼らのように自分の人生を賭けて文学を書きたい。死んだ後も現世で認められなくてもいいからとにかく書きあげたい。話は変わるがもっと綺麗な顔になりたいという風にもたまに思う。髪の毛や服装にこだわっても綺麗な顔でなくてはカッコいいと思われない。アイドルを見て「カッコいいなあ」と思うのは顔がいいからだ。スポーツ選手を見ても俳優を見ても成功している人はほとんどがビジュアルがいい。そう言う僕の顔は二流どころか三流、四流、五流の部類に入る。暗くて目が死んでてオーラを感じない。薬のせいかもしれないし自分のせいかもしれない。こうやって書いてて辛くなってきた。三島由紀夫が不満だったのは自分自身が変わらないことや老いだったのではないか。それで決起して自決するのは話が飛躍しすぎているがそういうことはあるのかもしれない。モデルや女優のようなピチピチとした肌になりたい。モチモチした肌になりたい。僕は文学と芸能の他に美容にも興味がある。ソフティモの洗顔フォームとニベアはかかさずやっている。それだけでも充分だと思うがほんとうはあと化粧水と乳液も追加したい。資生堂エリクシールのものがよかった。シャンプーとコンディショナーはビオリス。ボディーソープはナイーブ。何を使ってるの?と聞かれたこともある。個人個人、人それぞれ合うものは違うので僕はこれを使っていると言うだけである。最初の方でも言ったが僕は二年間で二〇キロ程増えた。具体的に言うと六〇キロから八〇キロになった。多分筋肉もあると思うし体脂肪だけではないと思うので一概には言えないけれど食生活は何も増えていない。運動量は増えた。簡単に言えば大谷翔平さんの日本ハム時代とエンジェルスでの現在の体格くらい違う。顔も少し丸みを帯びて腹部に脂肪がついた。腕立て伏せ五〇回と腹筋一〇〇回と散歩一時間はルーティンとしてやっていてそれをやり始めてから急激に体重が増えた。基礎代謝も二〇〇〇キロカロリーくらいあるので平均以上だと思う。僕はスポーツ選手ではないのでメンタルやフィジカルのコーチはいないから自分の好きなトレーニングをしているだけだが間違ってはいないと思う。四股を踏んだり、テッポウをしたりして朝起きてご飯食べて稽古して寝るという相撲取りと変わらない生活をしていたらそれだけ太った。寝る時間は九時寝六時起きで七時間から九時間は寝ている。痩せている人にとって痩せたいと聞くと嫌な気分になるかもしれないけど僕は痩せたいと思っている。あと一〇キロくらい痩せて顔色も良くしたい。多分憶測だけど病気に抵抗するためにタフにならなければならないから強くなろうとして身体がデカくなったのかもしれないなとは思う。「自分でどうにかするしかねえ」と基本的に僕は思っているので人の力は最近頼らなくなってきた。それを継続していると人間的な力はパワーアップするし精神の力も強くなる。『限界を超えて強い自分になる』というメッセージを三島由紀夫からもらった。僕は認められなかったとしても文学を書き続ける。そして世界的な文豪に並ぶくらいの人間として活躍し政治や文化の力を日本にとりもどし世界をよくしたい。それを僕は「世界中へ善の連帯を拡げ、人類益に貢献する」と呼んでいる。僕に関わってくれる現代を生きるみんながより楽しくよりしあわせに生きられれような文学を作りたい。三島由紀夫が死を意識するほど強くこだわった文学を読んで自分を改革したいと強く思った。四季折々の花を見つめながらいつか訪れるであろう自分の死を感じることが文学するということなのだと思う。いま自分を支えてくれる文学はいつか自分の小説の下地になるだろう。それまで僕は小説を書き続けてたい。
2023年7月13日
木下雄飛
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