ダビデの詩

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(メモ2024)

6/6 (ヘーゲル)(「ドイツ観念論」村岡晋一) ことばとは……他者にたいして存在するような…

ダビデの詩
5か月前
25

(シュタイナー)
感じとりなさい。天の高みで
自己存在が没我的に生きていけるのを。
自己存在が霊を受けて
思想の力の高まりについていこうとするとき、
勇気をもって言葉を聴きとる。
言葉は人間の真の本性の中に
上から恩寵となって響いてくる。

ダビデの詩
7時間前
5

(ヘーゲル)
ことばとは、自己意識を直接含んだままに存在するものであり、……魂が魂を失わずに存在すること

ダビデの詩
22時間前
5

「例外とは、推定不可能なものである」というのはドイツ・ワイマール時代に活躍し、ナチスに接近した法学者シュミットの言葉だ(『政治神学』)そして、そのような状況においてこそ「拍手喝采」による独裁が現れるとした(『独裁』)。日常が失われた時に秩序を作り出すことが求められるからだ。

5

ベルクソン「時間と自由」

芸術家は、これほどまでにゆたかで個人的で、新しい、この情動のさ中にわれわれをみちびき入れ…

8

自然は人間を介してはじめて完全にみずからに帰還し、それによって、われわれのうちにあって知性的で意識的なものとして知られているものと自然とが根源的に同一であることがあきらかになるのである(シェリング『超越論的観念論の体系』

10

(「ドイツ観念論」村岡晋一)
それでは、カントの精神とはなにか。フィヒテはこう語る。
〈関係こそが絶対的であるべきであり、絶対的なものは関係以上のものであってはならない。〉
(「全知識学の基礎」)

6

「死刑と正義」森 炎

原理的には、死刑は「正義」であり「善」であるとすることは可能である。しかし、そう価値判断…

5

ベルクソン「時間と自由」

要するに、行為が全人格から発し、それを表現し、人格に対して、芸術作品と芸術家とのあいだに…

8

たとえばj-pop(rock)の歌詞だけを眺めるとき

(grapevine「鏡」) 薄皮のように斜交い模様に 剥いで繋いで 押し花のように染み込ませる …

11

ベルクソン「時間と自由」

詩の魅力はどこからくるのか。詩人とは、その人の内部では、感情が像となり、像自体は、それを…

6

(沖本克己「禅」)そして思ったことは、多くの禅僧は「莫記吾語(私の言葉を金科玉条にするな)」と言い、時に「没蹤跡(痕跡を留めない)」の生き方を理想とする。そうであれば、他人の言葉を鵜吞みにして担ぎ回ったり、自らの行跡を誇るようなことはしてはならぬということである。

5

日本の神には神像をつくることがほとんどありません。日本では神々はそのままの姿ではなく「代」に依ってくるものなので、その姿を見せるということがめったにないのです。神は一本の依代があれば、そこに気配のようにやってくるものなのです。これをしばしば「影向」(ようごう)といいました。

7

「日本文化の核心」松岡正剛

日本が多神多仏の国であるとはいえ、もちろん「神」と「仏」にはかなり大きなちがいがありまし…

4

(松岡正剛)
それでは日本人はいつから神さまのことを「カミ」と呼んだのかというと、これははっきりしないばかりか、かなり多様な見方で呼ばれてきました。新井白石や貝原益軒は「上」から来たもの、本居宣長は「迦微」(微かにあらわれる)から来たものと推理した。

5

「アガンベン ホモ・サケルの思想」上村忠男

1970年、最初の単著『中味のない人間』を出版。現代の芸術家を「中味のない人間」、すなわち、…

ダビデの詩
10日前
5

(メモ2024)

6/6 (ヘーゲル)(「ドイツ観念論」村岡晋一) ことばとは……他者にたいして存在するような…

ダビデの詩
5か月前
25

(シュタイナー)
感じとりなさい。天の高みで
自己存在が没我的に生きていけるのを。
自己存在が霊を受けて
思想の力の高まりについていこうとするとき、
勇気をもって言葉を聴きとる。
言葉は人間の真の本性の中に
上から恩寵となって響いてくる。

ダビデの詩
7時間前
5

(ヘーゲル)
ことばとは、自己意識を直接含んだままに存在するものであり、……魂が魂を失わずに存在すること

ダビデの詩
22時間前
5

「例外とは、推定不可能なものである」というのはドイツ・ワイマール時代に活躍し、ナチスに接近した法学者シュミットの言葉だ(『政治神学』)そして、そのような状況においてこそ「拍手喝采」による独裁が現れるとした(『独裁』)。日常が失われた時に秩序を作り出すことが求められるからだ。

5

ベルクソン「時間と自由」

芸術家は、これほどまでにゆたかで個人的で、新しい、この情動のさ中にわれわれをみちびき入れ…

8

自然は人間を介してはじめて完全にみずからに帰還し、それによって、われわれのうちにあって知性的で意識的なものとして知られているものと自然とが根源的に同一であることがあきらかになるのである(シェリング『超越論的観念論の体系』

10

(「ドイツ観念論」村岡晋一)
それでは、カントの精神とはなにか。フィヒテはこう語る。
〈関係こそが絶対的であるべきであり、絶対的なものは関係以上のものであってはならない。〉
(「全知識学の基礎」)

6

「死刑と正義」森 炎

原理的には、死刑は「正義」であり「善」であるとすることは可能である。しかし、そう価値判断…

5

ベルクソン「時間と自由」

要するに、行為が全人格から発し、それを表現し、人格に対して、芸術作品と芸術家とのあいだに…

8

たとえばj-pop(rock)の歌詞だけを眺めるとき

(grapevine「鏡」) 薄皮のように斜交い模様に 剥いで繋いで 押し花のように染み込ませる …

11

ベルクソン「時間と自由」

詩の魅力はどこからくるのか。詩人とは、その人の内部では、感情が像となり、像自体は、それを…

6

(沖本克己「禅」)そして思ったことは、多くの禅僧は「莫記吾語(私の言葉を金科玉条にするな)」と言い、時に「没蹤跡(痕跡を留めない)」の生き方を理想とする。そうであれば、他人の言葉を鵜吞みにして担ぎ回ったり、自らの行跡を誇るようなことはしてはならぬということである。

5

日本の神には神像をつくることがほとんどありません。日本では神々はそのままの姿ではなく「代」に依ってくるものなので、その姿を見せるということがめったにないのです。神は一本の依代があれば、そこに気配のようにやってくるものなのです。これをしばしば「影向」(ようごう)といいました。

7

「日本文化の核心」松岡正剛

日本が多神多仏の国であるとはいえ、もちろん「神」と「仏」にはかなり大きなちがいがありまし…

4

(松岡正剛)
それでは日本人はいつから神さまのことを「カミ」と呼んだのかというと、これははっきりしないばかりか、かなり多様な見方で呼ばれてきました。新井白石や貝原益軒は「上」から来たもの、本居宣長は「迦微」(微かにあらわれる)から来たものと推理した。

5

「アガンベン ホモ・サケルの思想」上村忠男

1970年、最初の単著『中味のない人間』を出版。現代の芸術家を「中味のない人間」、すなわち、…

ダビデの詩
10日前
5