「東洋哲学の根本問題」斎藤慶典

だが、こうした「力」すら存在しない事態、すなわち言葉の厳密な意味での「無」は、もはやそこに理解しうる何ものも「ない」のだから、思考の限界を画するものとなるほかない。思考はここに至って思考にとっての絶対他者に直面し、そこから先に進むことはもはやできない。
思考は、そこから引き返すことしかできないのだ。だが、おのれがそこから引き返すほかない地点に直面したのは、間違いなく当のその思考なのである。その地点が「どこ」であるかをもはや思考は言うことができないのだが、にも拘わらず現に思考が引き返すことで、その地点におのれが逢着したことを(その可能性において)証しするのだ。

わ〜い!😄