ダビデの詩

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(メモ2024)

9/21 (ヴェイユ) 美とは感知しうる永遠である。 下層部の意識の次元においては、神への真正な愛は人間への裏切りのように 見え(ヒッポリュトス)、人間への真正な愛は神への裏切りのように見える(プロメテウス)。キリスト は両方の愛を一致させる。 真空は至高の充溢である。しかし人間はそれを知る権利がない。その証拠にキリストでさえ、ある一 観そのことについて完全に無知であった。人間のなかのある部分は真空について知るべきであるが、他 の部分は知るべきではない。他の部分は低劣な次

    • 「星辰」 おまえたちは突然の輻射で魂を貫き、魂を押しひらく おまえたちは苦もなく魂を天に運びあげる。神のごとき星辰よ。 おまえたちはわれらを貫いて突然の輻射を投げかける。 われらはみつめる、おまえたちの輻射に釘づけられて われらはみつめる、おまえたちの輻射がわれらを釘づける・・・

      • 「カイエ4」ヴェイユ

        時間と永遠のとの混淆状態においては、歓びは永遠の要素の拡大に、苦しみは時間の要素の優勢に、 それぞれ対応する。にもかかわらず、美の感受性が苦しみを経ていっそう研ぎすまされるのはなぜだろう。 この地上においては時間と永遠のどちらかを選ばねばならない。ある意味では、この二者択一は歓びか苦しみかの二者択一に対応している。しかしながらこのことは一目瞭然ではない。どうしてだろう。

        • (ヴェイユ) 一晩じゅう漁をしたがなんの収穫もない。漁師の忍耐は、忍耐のひとつのかたち、ひとつの美しい表象イマージュである。(漁師に固有の霊性はこの点に基をおいて築かれるべきであろう。それぞれの生業における霊性)

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        • 「星辰」 おまえたちは突然の輻射で魂を貫き、魂を押しひらく おまえたちは苦もなく魂を天に運びあげる。神のごとき星辰よ。 おまえたちはわれらを貫いて突然の輻射を投げかける。 われらはみつめる、おまえたちの輻射に釘づけられて われらはみつめる、おまえたちの輻射がわれらを釘づける・・・

        • 「カイエ4」ヴェイユ

        • (ヴェイユ) 一晩じゅう漁をしたがなんの収穫もない。漁師の忍耐は、忍耐のひとつのかたち、ひとつの美しい表象イマージュである。(漁師に固有の霊性はこの点に基をおいて築かれるべきであろう。それぞれの生業における霊性)

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          走性。 (運動能力を備た動物が外界の刺激に反応して一定の方向に運動を起こすこと。光源に向かうなら走光性、熱源に向かうなら走熱性となる。同様の反応が植物にみられる場合は屈性または向性と呼ばれる。) (カイエ4 ヴェイユ)

          走性。 (運動能力を備た動物が外界の刺激に反応して一定の方向に運動を起こすこと。光源に向かうなら走光性、熱源に向かうなら走熱性となる。同様の反応が植物にみられる場合は屈性または向性と呼ばれる。) (カイエ4 ヴェイユ)

          (ヴェイユ) 超自然的なものとは、人間の行動と動物の行動とのあいだにある差異のことだ。この差異は無限に微小なものである。一粒の柘榴の実、または一粒の芥子種。

          (ヴェイユ) 超自然的なものとは、人間の行動と動物の行動とのあいだにある差異のことだ。この差異は無限に微小なものである。一粒の柘榴の実、または一粒の芥子種。

          あらゆる労働、労働におけるあらゆる行為あらゆる祝祭、社会の階層的秩序におけるあらゆる関係あらゆる芸術あらゆる科学そしてあらゆる哲学のなかに超自然的な真理が読みとれるようなそんな生きかた。 そうだ。しかし戦争はどうか。戦争のなかにも、悪にかかわる超自然的な真理を読みとらねばならない

          あらゆる労働、労働におけるあらゆる行為あらゆる祝祭、社会の階層的秩序におけるあらゆる関係あらゆる芸術あらゆる科学そしてあらゆる哲学のなかに超自然的な真理が読みとれるようなそんな生きかた。 そうだ。しかし戦争はどうか。戦争のなかにも、悪にかかわる超自然的な真理を読みとらねばならない

          「カイエ4」ヴェイユ

          それは真空に放たれた叫び、永遠に答えを得られぬ呼びかけである。 この呼びかけこそが神の栄光の祝歌ホギウタなのだ。われわれの苦悶の叫びが神をこと祝ぐのである。 十字架につけられ「わたしの神よ、なぜ、わたしを見棄てられたのですか」と言うキリスト。ここにこそ神の栄光の完全な祝歌がある。はかなくして無窮、無窮にしてはかないこの地上での滞留のあいだ、このように叫びつづけること、そして虚無のなかに消滅すること、これで充分である。これ以上なにを求められよう。神がそれ以上のものを与えるとし

          「カイエ4」ヴェイユ

          (ヴェイユ) 無条件な愛は三つしかない。神への愛、隣人への無名の愛、二人の聖人の友情。

          (ヴェイユ) 無条件な愛は三つしかない。神への愛、隣人への無名の愛、二人の聖人の友情。

          (ヴェイユ) 矛盾、不可能といったものは超自然の徴である。

          (ヴェイユ) 矛盾、不可能といったものは超自然の徴である。

          「カイエ4」ヴェイユ

          この世は、神のひそやかで超自然的な現存(その一つのかたちは世界の秩序と美であるが、他のものも列挙すべき)は別として、悪をおこなうかどうでもよいことしかおこなうことができない。 神に由来する善によって超自然的に保護されていないものすべてに、この世は悪のかぎりを尽くすことができる。 キリスト者であるとはこのことを信じることにほかならない。(?) テキストの美しさやテキストの冥想から得られる人間の条件についての光こそが信仰を惹起する。 人間の言語をもちいた物語が要請するもろもろ

          「カイエ4」ヴェイユ

          (ヴェイユ) 憐れみ深くあるためには、苦しみをこうむらない一点を魂のうちにみずから擁していなければならない。そして、他の部分はことごとく無防備のまま運命の偶然にさらされていなければならない。

          (ヴェイユ) 憐れみ深くあるためには、苦しみをこうむらない一点を魂のうちにみずから擁していなければならない。そして、他の部分はことごとく無防備のまま運命の偶然にさらされていなければならない。

          美、純粋な歓びとは、超自然的な同意の能力に魂の肉的な部分や「からだ」が荷担すること。これらは欠くことができない。十字架を召命として受けた者にとってさえもそうだ。 美の感情は、われわれには強制である必然が神には従順であることを、魂の肉的な部分のみならず「からだ」にさえも感じさせる。

          美、純粋な歓びとは、超自然的な同意の能力に魂の肉的な部分や「からだ」が荷担すること。これらは欠くことができない。十字架を召命として受けた者にとってさえもそうだ。 美の感情は、われわれには強制である必然が神には従順であることを、魂の肉的な部分のみならず「からだ」にさえも感じさせる。

          (ヴェイユ) 神のすべての属性のうちのただひとつだけが、この宇宙において、すなわち「みことば」の「からだ」 において受肉した。これが美である。

          (ヴェイユ) 神のすべての属性のうちのただひとつだけが、この宇宙において、すなわち「みことば」の「からだ」 において受肉した。これが美である。

          「中世思想原点集成 女性の神秘家」

          (ヒルデガルト「スキヴィアス(道を知れ)」)(翻訳されていない第一部の一部分概要) アダムもまた、自らの脇から生まれ出たエバ―――彼女の胎にはすべての人類が宿っているのだが――とともに蛇に唆されて神の命令に背く。 そのため彼は安定を失い、彼の内外にあるすべての元素 (elementa)は混乱に陥る。さらにこの幻視の下では、アダムとエバが主題とされることにより、性と結婚についての考察がなされる。 第三の幻視では万有が重層構造をもつ卵のような形で示される。最も外側にある燃え盛る

          「中世思想原点集成 女性の神秘家」

          ハデウェイヒの「ミンネ」が何を指すの かも研究者によって見解が分かれる。「神」、「キリスト」、「神の愛」あるいは「神への人間の愛」といった具合にさまざまである。

          ハデウェイヒの「ミンネ」が何を指すの かも研究者によって見解が分かれる。「神」、「キリスト」、「神の愛」あるいは「神への人間の愛」といった具合にさまざまである。