見出し画像

27年前の朝、1歳の息子が私を助けてくれた!ありがとうの日に待ち続けることを決意

息子の変化

「お母さんちょっと…」
今朝、またしても深刻そうな顔で息子が話しかけてきた。
(うわっ!なんでいつもこんな時に!?)

朝、卵焼きを焼いている時にだ(;^ω^)
下手に焼くとおばあちゃんがめんどくさくなる。

「ちょっと待ってな。」
そうは言っても、たぶん我慢できなくて話し続けるだろうな…
あれ?止まった?

「アッ!今忙しいんやね…」

!!
初めてといっても過言ではない。
息子は言いたいことがあると我慢ができなかった。
それが今、言葉を引っこめた。
それどころか、自らテーブルの上に箸を並べ始めている!


息子なりに聞いていたんだな

卵焼きが焼き上がり、お皿の上で切っている頃に息子が口を開いた。

「ネット記事でモヤモヤした気持ちを、また○○くん(唯一の友人)にぶちまけそうになったけど我慢した。○○くんも転職したばかりで大変やし、なんでもかんでもぶちまけたら疲れさせるだけやから…」

……嬉しくて涙が出そうになった。

つい先日まで息子は私にこう言っていた。
「僕は親しい人に対して思ったことを全部言わないと気が済まないところがあるって、自分でもわかる。」
「その人の状況とか考えられなくて、言い出したら止まらなくなるんやわ…」

なるべく冷静に、いやいや、メチャクチャ腹を立てながら私は何度も息子に言い続けた。相手の状況を考えなさいと。

正直なところ、発達障害の中で、多動・衝動性を主な特徴とするADHD気質を持っているので、私は息子の改善は難しいと考えていた。
ところが、息子は息子なりにこのままではいけない!変わろう!という意識がちゃんとあって、非常に時間はかかるが、変化できるものだと感じた。


自覚できるまでひたすら待つ

私は自分がイラチ(標準語でせっかち)だと思う。

今まで息子には、
「こうすべき!」「○○でないとダメ!」
と、初めから無理やりもっていくことばかりだった。

しかし、強制的にさせられることが身につくわけがない。
本人が自覚をもって、自分自身で感じて能動的に行うことでないと身につかない。こんな当たり前が私はわかっていなかった。

神様が、息子を通して私に「待つ」「寛容」を教えてくださっているのかな?と思ったりする。
いつになるのかはわからない。もしかしたら変化しないかもしれない。
それでも待つ、ひたすら待つ…


息子が助けてくれたあの日

話変わって27年前の今日、私と息子は北京から一時帰国をしていた。
兵庫県の主人の実家にいた。

1歳余りの当時の息子は、
阪神淡路大震災の3日前から、なぜか異常に早く起きていた。
朝の4時前には目が覚め、横で寝ている私の体を一生懸命ゆすって起こした。

無理やり息子に起こされた私は、寝ぼけながら隣の部屋へ行く。
そこは将来息子の部屋になるであろう部屋で、当時はおもちゃや絵本を置いている遊び場だった。
「朝早く起きて遊びたがるんですよね~」と、その頃はまだ敬語で話していた姑に朝ごはんを食べながら言った。

画像1

そして27年前の1月17日の朝、息子と遊んでいると大きな揺れが!
私はとっさに息子の上に覆いかぶさった。
まもなく姑が慌てて1階から上がってきた。
隣の部屋から「わ~!」という姑の声が聞こえた。

私たちがいる部屋に入ってきた姑がホッとした顔で言った。
「良かった!ここにおったんか!」
「あんたらが寝ていた枕元、エライことになっとう!」(~とう=神戸弁)

後で見てみると、洋服ダンスの上に置いていたガラスケース入りの日本人形が、ケースごと枕を直撃!割れたガラスが散乱していた。
箪笥の引き出しも一部が布団の上に落ちていた。
寝ていたら間違いなく怪我をしているところだった。

不思議なのだが、震災後は息子の起きる時間は元の7時前に戻った。



毎年言い続ける「ありがとう!」そして待ち続けることを決意


今日は(ゆっくりではあるが)息子の嬉しい心の変化を感じられた。
そして27年前のことを思い出した日だった。

息子は当時を全く覚えていない。
それでも毎年言おう!
「あの時はありがとうね!」と。

そして息子のゆっくりの変化を待とう、ひたすら待とうと決心した。














この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,418件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?