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不登校から考える、学校に行く意味と行かない意味。


こんばんは。
オマメの心理部屋を訪ねてくださり、
ありがとうございます。

今日も、臨床心理士として日々考えることを
書きます。

世は大不登校時代である

現在スクールカウンセラーとして4つの学校に
勤めていますが、
どの学校でも年々明らかに増えているのが
「不登校に関する相談」です。

昭和における「不登校」より認知度も高まり、
いまや珍しいものではなくなってきました。

相談に来るのは生徒さんだけでなく、関係者や
保護者であることも多いです。
通常はそれぞれの立場での葛藤を抱えており、
なんとかしようと思って相談室に来ます。


最近は価値観が多様化してきたからか、
「親も子も困っておらず、そもそも葛藤がない不登校ケース」に出会う機会も増えました。
(そういう場合は、親も子も困っていないのに
学校だけが頭を抱えているという変な状況に
なっていたり…)

それに関して言いたいこともありますが、
今回は、親御さんやお子さんに葛藤がある
不登校ケースにかかわる中で考えてきたこと
を纏めたいと思います。

不登校に関する教科書的な知識は
調べれば出てくるので、ここではあくまで
私の個人的見解を述べます。


小中学校へ行かないことへの不安


不登校ケースの保護者面談でほぼ100%語られるのが、学校に行かなくて本当に大丈夫なのか
という疑問です。

小中学校に行かないことで、なにか人として
大切なものが抜け落ちたりしないのか?
という
不安が生じることがあります。

とくに、
・義務教育期間中に不登校になった
・親御さん自身には不登校経験がない
という場合には、不安になり易いようです。

『義務』教育と銘打たれているために、
親として行かせなければならないプレッシャー
を感じたり。

日本では義務教育から外れた場合の別ルートが用意されてこなかったことからか、「不登校でも大丈夫だった」という成功事例の知らなさ
不安を呼ぶところもあると思います。

ともあれ、
この「なんかまずいんじゃないか」という不安に私が向き合っていくには、
小中学校に行く意味ってなんだろうな?を深く
考えておく必要がありました。


現段階での私の見解はこうです。

①小中学校でしか得られない経験は"ある"
②それと同等に、不登校でしか得られない経験も"ある"


それぞれ詳しく説明していきます。


①小中学校でしか得られない経験とは


まず、小中学校でしか得られない経験というのは、やはりあるだろうと思います。

それはずばり、
・集団で色々なことに"耐える"経験
・学校あるあるを知ること
この2つではないかと考えました。

改めて考えてみると、小中学校って、かなり特殊な環境だなぁと感じます。

部屋いっぱいギチギチに詰められた机と椅子。
1m四方の空間から一定時間は自由に動けず、
選べない科目をただやらされるしかない。
苦手な人と近距離になっても堪えるしかない。

あれ、結構きつい?と思うわけです。

集団で何かを強制されるところに、どうしても
軍隊みを感じてしまうというか。
(先生方の工夫とは別次元の構造的特徴として)

伝統的な「学校」って、自衛隊や警察みたいな
特殊組織の一つともとれる気がします。
その中に独特の文化があって、その機関に入ることでしか訓練されないものがある。
特殊組織に適応することでしか身に付かない力ってのはありますよね。

学校の場合、それは「集団で抱える辛抱強さ」なんじゃないか
と考えました。

満員電車で気が狂わずにいられる人が多くて、
災害時にもパニックにならずにいられる。
「皆でじっと待つ」力が集団で持てたのは、
戦後の学校教育の産物
じゃないでしょうか。
戦後の日本を建て直すためには、皆で一致団結して耐える力が必要だったのかもしれません。

この"耐える力"は筋トレ的に育っていくので、
"これだけ多くの人が耐えてるから、まぁ自分も耐えとくか"みたいな感覚を肌で育てるには、
学校という場所が一番効率的
とは思うのです。

ところが、令和になると価値観が変わり、
家の中でも抑圧的な(我慢させられる)事象が
減ってきた流れの中で、
"否応なくなにかに耐えさせられる環境"に苦しさを感じる子どもが増えたのは納得
できます。

そういうわけで、
集団でなにかに耐えるという経験は、
学校でしか得られないものかなと考えました。

あとは、学校あるあるを知ることです。

最近は学校の伝統も徐々に変わっていますが、
"多くの人の共通体験である"という点はやはり
強み
なんだろうと思います。

運動会の話って、おばあちゃん世代の人とも
できたりしませんか?

世代を超えて、他者と繋がれるための共通認識(前提)を育てるのに、
"皆で一斉に同じことをする/してきた"という
学校体験は一役買っている
とは思います。

②不登校でしか得られない経験とは


学校でしか得られない体験があるように、
不登校でしか得られない体験もある筈です。

それはずばり、
・多くの人は持たない葛藤を抱え続ける経験
・学校に行かなかった者の視点を得ること
この2つだと考えます。


まず、不登校の対応には、正解がありません。

学校に行くべきなのか、行かせるべきなのか。
正解が分からず、すぐには解決しない葛藤を
親子それぞれに抱え続ける
ことになります。

不登校の葛藤は、24時間続くんですよね。


学校はある意味「正解を教えてくれる場所」
ですが、それとは対照的な学びがあります。

最近はネガティブ・ケイパビリティ(不確実な事象に耐える力)の概念も出てきましたが、
不登校の中に身を置いて悩み続けることは、
個人で正解のない問いに持ち堪える力をつける
訓練になります。

今後はさらに多様化が進んでいくだろう社会で
生きていく時に、答えの分からない問いに向き合える力は、集団で何かに耐える力より役立つ可能性すらあるのでは?
と思います。

そんなわけで、まず大前提として、
不登校を真剣に悩んでいるだけで心につく筋肉がきちんとあるということを伝えたいです。


それから、
不登校になったから得られる視点というものは
絶対にあります。

「普通ってなんだろう」
「自分って(子供って)なんだろう」
「なんで皆と同じことができないんだろう」

不登校ケースの生徒さんや親御さんは、自然と
こういうことを考え始めます。

これらの問いに向き合わざるを得なくなると、
哲学的な姿勢の素地
になりますよね。

「小中学校は行くもんだ」というある種の前提
が崩れると、常識を批判的に検討し直す必要が
生まれます。
また、他人の苦しみを想像できる幅が増える
可能性もあると思います。

たとえば、「皆」から外れる不安や怖さを肌で知っているひとは、誰かの痛みに寄り添える力を持てる可能性が高まると思うのです。

不登校になった人だけが到達できる視点を得る
ことができるのも、不登校でしか得られない
体験ではないでしょうか。


学校に行く意味と行かない意味とは


これまでの主張をまとめると…、

小中学校に行く事でしか得られない体験
 ・集団で色々なことに"耐える"経験
 ・学校あるあるを知ること

不登校になることでしか得られない体験
 ・多くの人は持たない葛藤を抱え続ける経験
 ・学校に行かなかった者の視点を得ること

こんな感じです。一覧してみると、
学校は"集団知"、不登校は"個人知"を深め易い
環境
とも考えられるかもしれません。

場合分けしてここまで考えてきましたが、
私が一番言いたかったことは、
"どっちにしたってそこでしか得られないものはあるんだ"ということです。

そもそも、
「なにかをした人にしか得られないもの」
って、人生は全部そうなんだよなと思います。

母親になった人にしか得られないもの。
母親にならなかった人にしか得られないもの。
1日中仕事した人にしか得られないもの。
1日中雲を眺めた人にしか得られないもの。
核家族で暮らした人にしか得られないもの。
祖父母と暮らした人にしか得られないもの。
学校に行った人にしか得られないもの。
学校に行かなかった人にしか得られないもの。

これらはすべて、並列のものですよね。


大事なのは、その場所でしか得られないものを
見つけること
だと考えます。
そして、自分とは違う場所で他人は何を得ているのか知ろうとすることではないでしょうか。

そのためには真剣に悩むことが必要だろうし、
自分とは違う境遇の人と対話ができると尚、
いい世界になってくると思うんですよね。

「登校できた人とできなかった人」ではなく、
"登校経験がある人"と"不登校経験がある人"で
知見を交換できたらいい
と思います。

そのためにはコミュニケーションの力が双方に
育っているといいし、
お互いが"今の自分で良い"と思えていることも
必要ではないでしょうか。

そうなると、
不登校支援の指南書ほぼ全てに書かれている
"不登校を受け容れる"にも繋がってきます。

不登校を受け容れる="何も考えなくて良い"
"頑張らなくていい"ではないとは思いますが。


まだまだ言いたいことがありますが、
一旦ここで締めたいと思います。

不登校の窓から見える景色と学校の窓から見える景色は、対等に一つの視座なのである。

そんな主張でした。

書ききれなかったことがあるので、今度、
不登校ケースでよく出てくる親御さんの疑問を
抽象化してご紹介しようかなとも思います。

では、今日はこの辺で。
また別のお部屋でお会いしましょう。


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