「小エンと僕」 アナザーストーリー「一起走吧」Ⅰ
「小エンと僕」のアナザーストーリー。
僕は小エンになるのだ。最初の日の朝、そう決意した。
寧夏から帰り、8月の終わり、二泊三日で中国の学生さんが僕の街に日本体験に訪れる。僕はボランティアとして参加することになっていた。
寧夏で見た小エンをそのまま真似しよう。いや、僕は小エンになるのだ。僕はこれに参加することを決めてからそう思っていた。それは単なるおもてなしではなかった。それは小エンとの約束のようなものだった。寧夏の小エンは、日中友好の懸け橋になりたいと言っていた。そのような朋友と仲良くなり、実際に優しさに触れたのだから、僕も小エンに見合った行動をしなければならない。小エンとした堅い約束を果たさなくてはならない。その方法が小エンになるということだったのである。
昼過ぎ、彼らが来るのを迎えた。老師を入れて15名。そして、食堂で顔合わせもかねて監督者、ボランティアの3名、そして学生さん、一緒に食事を食べる。まず僕は中国語で自己紹介をしようと試みた。なぜなら小エンは日本人と話すときは、日本語でしゃべっていたからだ。小エンのように流暢に日常会話はできなくても、せめてあいさつぐらいは中国語でしようというように考えていたのだった。
僕はたどたどしく中国語で「ファンインコンリン」「ウォーシー….」とあいさつを始める。しかし、それを聞いていた中国人の学生さんたちはぽかんとしていた。発音が悪いのだ。恐らく全く聞き取れていなかったのだろう。僕はここで簡単には小エンになれないと思った。しかし、小エンというリマインダーは、そして彼と交わした約束はこのようなことで僕をくじけさせない。
次に、僕らは海に行った。その時のバス移動はチャンスである。小エンは移動中、ガムやお菓子を様々な人に配っていた。僕もそうするのだ。僕はハッピーターンとガムを必死になって配ったのである。渡した人は笑顔になった。そして、少しコミュニケーションをとった。僕が少し小エンになれた瞬間だった。
海に着くと、中国人の学生さん(内陸部の方たち)たちは目に入る海に興奮を覚え、途端に砂浜を駆けだし、海に向かう。ここで僕は気の使えるカメラマンでもあった小エンにならい、海に入るかれらの写真をひたすら撮った。海に足をつける彼らはシャッターを向けると、とても笑顔になり、一緒に写真を撮ろうと促してくれて、一緒に笑顔で写真を撮れたりもした。
なんて、幸せだろう。広がる大海原、そしてあふれる笑顔。海の向こうには小エンがいる。しかし、ここにも小エンがいる。逆も言えるのではないだろうか、ここには僕がいて、海の向こうにも僕がいる。それは素敵で不思議な思いであり、小エンと交わした約束の内容でもあった。僕はこうして不器用ながらも、少しずつ小エンになってくのであった。
その後、夕食をともにした僕ら。それが終わり、彼らの宿に行くまでのところでコンビニに寄った。僕は小エンのごとく、日本の食材に興味を示す学生さんたちに以前よりは少しはましになりつつある英語と、全く歯が立たないと判明した中国語とジェスチャー(恐らくこれが一番の意思疎通の手段)で彼ら彼女らが興味を示し、正体がわからなそうにしている商品を説明した。小エンのように、うまく説明はできなかったが彼のどこか心の奥にあった良い物を買ってもらおうという精神は受け継ぐことができたようだった。
そして、レジではズーさんの姿が思い出された。僕に一元を出してくれた、あの女性だ。僕はレジで決済をする学生さんたちが何か困りごとはないかと彼らの横で決済を手伝った。特にはそこでトラブルは起きなかったのでズーさんのように手を差し伸べる瞬間はなかったが、寧夏で終始やさしかったズーさんのすがたが思い出されどこかほっこりとした気持ちになった。
彼らが泊まる宿の入り口で、一旦の別れだ。「チンハオハオシュウシ」僕は別れ際、学生さんたちにそういった。「シェイシェイ」……返答が何人からか来た、お、通じた。小エンになれた。よしっ。その興奮のまま一日目は終わった。
明日も僕は小エンになれるだろうか。
つづく
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