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カッパドキア(トルコ) 〜 1983年9月1, 2日

1983年4月26日に日本を出て, ソ連・ヨーロッパを旅し, ギリシャからトルコに入ったのは同年8月11日(アテネからイスタンブールへの2泊3日, 列車の旅)。イスタンブールには3週間滞在し, 8月31日夕刻6時にバスでイスタンを発ってユルギップ(ユルギュップ, Ürgüp)へ。夜行バスは進み, 夜明けの大地を走り, 乗客は「最高に美しい」(と38年前の日記に書いてあった)日の出の光景を眺め, そしてネヴシェヒルからはミニバスに乗り換え。当地に着いたのは, 9月1日朝8時ごろ。

カッパドキア とは

カッパドキア(ラテン語: Cappadocia, 英ウィキペディアによれば Cappadocia もしくは Capadocia, 古代ギリシャ語および現代ギリシャ語では Καππαδοκία, ローマ字化すると Kappadokía, 由来は古代ペルシャ語 𐎣𐎫𐎱𐎬𐎢𐎣, ローマ字化すると Katpatuka, アルメニア語では Կապադովկիա, Գամիրք, ローマ字化すると Kapadovkia, Gamirk', トルコ語では Kapadokya)は, 現在のトルコ中央部, 中央アナトリア地方にある歴史的な地域で, より広くは, やはり同地方に位置する首都アンカラの南東にある, アナトリア高原の火山が今から300-400万年前に噴火を繰り返し, その間に堆積した火山灰や岩が幾世紀もの長い歳月をかけて浸食されて出来た大地。言わば, 悠久の歴史が創った大自然の「傑作」。

この地域は紀元前の昔, 古代のペルシャ帝国の支配が及んでいた時期があり, カッパドキアの名前は上記の通りで, 古代ペルシャ語に由来し, その意味は「美しい馬の地」(英語で言えば ‘the land of beautiful horses’)だとか。

以下は, 筆者がフォローするインスタグラム・アカウントにたまたま, ごく最近 登場した カッパドキア の風景(ちらり)。

というわけで, カッパドキアの光景, まずは 38年前じゃなくて今, いま。そもそも拙者, いわゆるひとつの(「昭和」世代しか分からない「長嶋茂雄」語!), じゃなかった, いわゆる「貧乏旅行」のひとりのバックパッカーだったわけだから, こんな豪勢な食事とったはずがない(笑)。まぁ兎にも角にも, いつから兎に角が生えてしまったのか, だいぶ前からカッパドキア上空バルーンツアーが流行って「しまって」いるようで。「しまって」というのはつまり, まぁどうなんでしょう, ってか, 前から思っているんだけど, これはこれで乗ったら面白かったり, 見物して「おおっ」という光景かもしれないけれど, せっかく古代の火山の噴火が元になって長い長い歳月をかけて生まれたという, 言わば大自然の創造物である カッパドキア の奇景を観にきたというのに, 見上げたら大地のカッパドキアの奇岩の数に負けじと無数の熱気球が, 何というかドヤ顔で大空を所狭しと飛び交っている, それ見てナン(はインドの美味しいパン!)つーか, 興醒めしたりしないんだろうか(笑)。いやいや 笑えりゃまだしも, 太古からの自然の姿の移り変わりやこの地における人間の歴史などに想いを馳せようと カッパドキア を訪れてみたらコレって, まじでがっかりする向きも多いのではと思うのだが。人それぞれだろうけど, 自分ならちょっと嫌だなぁ。このインスタ・アカウント自体は好きでフォローしてるけど(笑)。

Two fun facts about Cappadocia:
Three to four million years ago a series of volcanic eruptions shook the Central Anatolian area, forming what we now know as the Cappadocia fairies or ‘Cotton Castles’.
The name Cappadocia derives from the Persian word Katpaktukya, which means ‘the land of beautiful horses’

(上で引用した英ウィキにある古代ペルシャ語のローマ字化綴りとやや違う)

因みに, カッパドキアは 1985年, ユネスコ(国連教育科学文化機関)により, Göreme National Park and the Rock Sites of Cappadocia, 「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群(岩窟群)」として UNESCO World Heritage Site 世界遺産の複合遺産(自然プラス文化)に登録されている。

https://kotobank.jp/word/カッパドキア-45347 から一部引いておくと, 

トルコ、アンカラ東南部にある世界遺産カッパドキア。まるで地の果てを思わせる不思議な奇岩群がひしめきあう風景は言葉を失うほどの迫力です。古代噴火によって堆積した火山灰や岩が長い歳月をかけ浸食されて生まれた風景です。初期キリスト教の時代には多くのキリスト教徒たちが迫害や弾圧を逃れ、この地下に隠れ住んだといわれ今も残る岩窟教会などがその歴史を物語っています。地下8階にもなるという迷路のような地下都市デリンクユ、未だ研究が続けられている地下都市カイマクル岩窟教会を博物館にしたギョレメ野外博物館などが見どころ。
小アジア東部の高原地帯(現在のトルコ東部)の古代地名。南はトロス山脈、北は黒海、東はアルメニアおよびユーフラテス川、西はトゥズ湖に接している。ただし北部はカッパドキア・ポントゥスまたは単にポントゥス、中部と南部は大カッパドキアとよばれるようになった。紀元前15~前12世紀にはヒッタイト王国の中心となり、前6世紀よりアケメネス朝ペルシア帝国のサトラピ(州)となった。アレクサンドロス大王の征服後、前301年独立王国が建設されたが、しだいにローマの勢力下に置かれ、紀元後17年ローマ帝国にその一州として併合された。

ではでは, ここから先はフォローしてるインスタではなくて, 筆者がカッパドキアで撮った写真です。それも 38年前, 1983年9月1日と9月2日のカッパドキア。

「セピア色」化した昔の写真だし, あんまりよく撮れてはいないけれど!

写真, および旅日記・抜粋(1983年8月31日, 9月1-3日)

旅日記は 7ページ分(からの抜粋)。8月31日は 3週間滞在したイスタンブールを発った日。9月3日(次の訪問国シリアとの間のトルコ側国境の街アンタクヤに向かってカッパドキアの地を発った日)については冒頭のみ。写真は 9月1日と 9月2日に撮った計8枚

日記はいつもながらの 殴り書き。旅先のいろんなところで腰下ろして書いたり, 刺激的なものばかりで楽しい旅ながら, そりゃそこそこ疲れてバックパッカーが泊まる安宿に帰ってから就寝前とかに書いたりした, そんな感じなんだから, 丁寧な字で整った文章を書くような類ではなく。ってわけで旅日記 殴り書きメモ。

日記 1) 1983年8月31日

日本を発ったのは 1983年4月26日。ソ連・ヨーロッパ各国各都市を旅した後, ギリシャ・アテネからの2泊3日の列車旅でトルコ・イスタンブールに着いたのが, 同年8月11日。それから 3週間滞在したイスタンブールを, 8月31日夕刻6時発のバスで発った。

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日記 2) 1983年9月1日・1/3

バスは夜明けの大地を走る。日の出は 最高に美しい。ネヴシェヒルから ユルギップは ミニバス。8時頃 ユルギップ着。ホテルは エルシエスパンション(300T.L.)

ユルギップは Ürgüp, 「ユルギュップ」と書いた方がトルコ語の発音に近そう。宿代の 300T.L. は, 当時のトルコリラと日本円のレートでいうと, 1泊300円程度ということになる(1US$が 250円ぐらいだった時代の話)。 

ユルギップ 0901-1

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日記 3) 1983年9月1日・2/3

途中, 旅芸人(ジプシー?音楽)のような集団 10人ぐらいを見た。出会う人々にマルハバ! (ろば donkey だったと思う, に乗ってる人 多し) みんな愛想いい。
このへんにくると 顔を下半分隠した女性を 多く見る。

ユルギップ 0901-2

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日記 4) 1983年9月1日・3/3

当然ながらこの辺りにもモスクがあり, 拡声器からクルアーン(コーラン)の「読経」(って仏教用語だね, ってなわけで鍵括弧つけた!)のようなもの。「の・ようなもの」は 1981年の日本映画。脱線! 速攻で 1983年のカッパドキアでの話に戻す。夜は相部屋のアメリカ人やイギリス人, そして部屋を訪ねてきたトルコ人学生などと懇談。

ユルギップ 0901-3

日記 5) 1983年9月2日・1/3

カイマクリ, デリンクユの地下都市へ。

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日記 6) 1983年9月2日・2/3 

岩窟教会など見物し, 宿に戻った後は, 同室のイギリス人バックパッカーと懇談。彼とは旅のこと, 各国の文化のこと, 国際政治の話題, そしてパレスチナ問題, いろんな話をして, かなり意見が合った。

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日記 7) 1983年9月2日・3/3 および 9月3日付冒頭

前頁からの続き。「イエニペンション(パンション)」はイスタンブールで泊まっていた安宿(1泊200T.L., 当時のトルコリラと日本円のレートで計算すれば1泊200円程度)の名前。イスタン思い出しメモが書いてある。

9月3日 朝8時半発のバスで ユルギップを発った, その目的地は, シリアとの国境の街 アンタクヤ(アンタクヤにしばし滞在した後, 陸路, シリアに向かった)。

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さてさて, 次は ♫

Crises 〜 Mike Oldfield's 1983 album ♫

1983年に訪れた, トルコの中央アナトリア地方のカッパドキア。そこで観た奇景は大自然の悠久の歴史が創り上げた「傑作」。カッパドキアはもちろん一見の価値あり, 面白いところで, 宿で出会ったイギリス人等との会話も有意義だった。で, そのカッパドキアって, その昔, 迫害された人たちが移り住んだところでもあるよね, ってわけで, なんとなんと強引にもここでは, イギリスのミュージシャン, マイク・オールドフィールド 1983年リリースの「傑作」アルバム Crises を!

因みに, もともと レコード(LP)の A面が, アルバムのタイトル・トラック Crises という曲なんだけど, 以下の YouTube 上のクリップでは(いきなり 一瞬出てくるアメリカ国旗が正直 邪魔 だけど, マイク・オールドフィールドはイギリス人), レコードの B面 の収録曲を先に持ってきてあって, Crises は最後の曲になっている。もひとつ因みにアルバム Crises の北米ヴァージョンではタイトル・トラック Crises が B面だったけれど, そのヴァージョンに収録されていた "Mistake" という曲は以下のクリップにはないし, 曲順も違う。

このクリップには 1983年にイギリスでリリースされた本作の収録曲が全てアップされていて, ただレコード A面だった Crises を最後に回してあるというところだけが相違点(Crises 以外の5曲はアルバム収録順通り)。 

CrisesMike Oldfield's eighth studio album released on May 27, 1983

"Moonlight Shadow" (Oldfield) – 3:34 (vocals by Maggie Reilly)
"In High Places" (Oldfield, Jon Anderson) – 3:33 (vocals by Jon Anderson)
"Foreign Affair" (Oldfield, Maggie Reilly) – 3:53 (vocals by Maggie Reilly)
"Taurus 3" (Oldfield) – 2:25 (instrumental)
"Shadow on the Wall" (Oldfield) – 3:09 (vocals by Roger Chapman)

"Crises" (Mike Oldfield) – 20:40

.. ♫ ♫ ♫ ..

日本を発ってからトルコ・カッパドキアに着くまで 〜 ソ連・ヨーロッパを旅し, ギリシャからトルコへ, トルコではまずイスタンブールに3週間滞在, そこまでの128日間

以下, 前説的なざっくり説明の後に, 過去 note 一部へのリンク。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し, さらに南下しながらヨーロッパ諸国の旅を続け, ギリシャにはアテネとサントリーニ島に計30日滞在。そこまでのそれぞれの旅 note リンク等については以下リンク *1*2 の中にあり, 

その後, ギリシャ・アテネからの 2泊3日の列車旅で トルコ・イスタンブールに着いたのは, 1983年8月11日。この時の 1度目の イスタンブール には3週間滞在。そのイスタンブール旅 note 第1編, 第2編, 第3編は 以下のリンク *3,  *4, *5

続く *6 は番外編「イスタンブールで同宿した, イラン・イスラム革命4年のテヘランを脱出したイラン人兄弟の話」。イスタンブールを 8月31日に発った後は, ユルギップ(ユルギュップ, カッパドキア見物, 今日の本 note)と アンタクヤ(アンタキヤ, 次回 note)に滞在し, その後は シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, そして イスラエルによる軍事占領下のパレスチナ・ガザ地区から エジプトへと引き続き陸路で旅し, エジプト・カイロからこの旅で初めて飛行機を使って トルコ・イスタンブールに戻っていて(1983年10月26日), その 2度目のトルコでもイスタンブールで再びそこそこの長居をし, その後, トルコ国内を今度は東へ東へと陸路の旅を続けて イランに向かっている(引き続きイラン, パキスタン, インド, タイ, 韓国を旅)。

今年2021年4月からあらためてこの旅を振り返る note を 38年前の同時期に合わせるかたちで「ほぼ」連続投稿(ときどき別件 note してる, 笑)してきたけれど, トルコを発った後の旅の模様(シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, エジプト, 再びのトルコ, 続いてイラン, パキスタン, インド, タイ, 韓国)も, 2021年4月以前の各種 note で取り上げていて, それは note マガジン *7 + α ♫ 

*1 ソ連から北欧, ヨーロッパ南下, イタリアの旅に至るまでの各国各都市の旅 note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第3章以降。

1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連(当時はあったソヴィエト連邦!)を旅した後は北欧に出て, その後もヨーロッパ各国を旅しながら徐々に南下, 7月10日にはイタリア・ブリンディジからフェリー1泊2日の船旅でギリシャ・パトラへと向った。

*2 ギリシャには 1983年7月11日に入国, 8月9日にトルコ・イスタンブールに向かう列車でアテネを発つまでの ギリシャ30日の旅, アテネ 5編やサントリーニ島 1編などの note それぞれへのリンクは, 以下リンク先 note の第2章に。

さてさて, 中東 の旅, ってか「中東」ってのは西洋から見た言い方で, こちら式に言い換えるなら, 西アジア の旅へ, いざ! .. というわけで, 以降はしばらく トルコ の旅。

*3 トルコ・イスタンブール 第1編: ガラタ橋で眺めた夕日 〜 1983年8月15日, 日本を出国して112日目(イスタンに着いたのは 8月11日, 日本を出て108日目)

*4 トルコ・イスタンブール 第2編: 1983年8月16-17日, Sultan アフメト・モスク, ボスポラス Straits 〜 Sultans of Swing, Dire Straits ♫

*5 トルコ・イスタンブール 第3編: 1983年8月18-31日, イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街

*6 トルコ・イスタンブール 番外編: 1983年8月, イスタンブールで同宿した, イラン・イスラム革命後4年のテヘランを脱出して来ていたイラン人兄弟から聞いたイランやイスラム革命などについての話を, 当時の旅日記で振り返る

(タイトル上の写真は, 1983年11月16日のイラン・テヘラン市街, 筆者撮影)

*7 note マガジン: 1983-1984, 海外「放浪」もどきの旅

ざくっと飛ばして振り返り ♫ 海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳つき!]


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