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「兵役拒否」 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 あらためて


はじめに

5日前に観たこのドキュメンタリー映画 "OBJECTOR", いま初めてその副題らしきものに意識が向かったのだが、"FROM AN ISRAELI RITE OF PASSAGE TO A BATTLE FOR HUMAN RIGHTS", これの意味するところは、直訳すれば、「イスラエル(イスラエル人)の通過儀礼から人権のための闘いへ」といった感じだろう。「通過儀礼」とは、ここでは当然ながら国民皆兵であるイスラエルにおける兵役もしくは徴兵のことを指しているわけで、これは確かにこの映画の内容そのものを一つのフレーズで表現していることになる。

さて、タイトルに「あらためて」と付したのは、4日前に一度この映画についての投稿をしているからなのだが、その中で筆者は 〜 このイスラエル映画「兵役拒否」は、視聴した者の心に強く印象づけられるシーンが非常に多い。言わば、鑑賞した側として語るところが非常に豊富にある映画である 〜 今日の note 投稿では、この映画についてのテキストはここまでとし、明日もしくは明後日以降、何回かに分けて、その他のシーンにも触れて連載的に書いていきたいと考えている 〜 と書いていた。

印象に残るシーンが多く、鑑賞した者として語るべきところが豊富にあるのは勿論その通りなのだが、そこは筆者がこの映画についてまだ観ていない人に伝えようとする際、悩ましいところでもある。

一つには、この映画には具体的内容を記したい衝動に駆られるような場面が随所にあり、この衝動に従って書いていると、結局、いわゆる「ネタバレ」的なテキストになってしまう可能性(結末をはじめ重要な部分を、というより注視すべきポイントとなる場面が非常に多く、それらを逐一晒してしまうことになる可能性)が高いこと。

もう一つは、筆者のように随分と前からイスラエルとパレスチナの間にある問題に関心を持ってきた人間としては、映画のコンテンツの方に直接触れるような書き方から離れ、その背景にあるイスラエルやパレスチナ、あるいは両サイドに跨がる問題やその歴史に関して併せて書くことの必要性を意識せざるを得ず、映画について書いているテキストなのか、イスラエル/パレスチナ問題について書いているテキストなのか、どちらに重きを置いているのか分からないようなものになってしまいがちであること。あるいは、主題は映画なのか後者の「問題」の方なのか、どっちつかずの中途半端なものになってしまうおそれがある、ということ。

一点目については、ある程度はやむを得ないと思って書くしかない。全シーン解説に近いような中身になることを避け、幾つかのシーンに絞ることで、懸念は払拭できるだろうと思っている(とはいえ、やはり最後の場面を含め、取り上げるシーンは多くなるだろうが)。

二点目の方が、書いていて、ある種の難しさを感じる。実際に観た者の感想として、このドキュメンタリー映画はまず映画それ自体として観る者に感動を与える素晴らしい内容のものだと評価しているのだが、上に書いたように、しかし、そのことだけでなく、この映画が伝えていることの背景にある事柄について書くことはどうしても避けられず、一方でそれを前面に出してしまうと、とりわけこれまでたまたまイスラエル/パレスチナ問題に関心を持って来なかった人からは、何というか、ネガティヴな意味合いにおいて狭義の「政治」的な映画なのかといった先入観を持たれてしまう可能性も考えられる。これは先に書いた通り悩ましいのだが、しかしやはり、筆者としてはこの映画を理解する上で必要な情報は書いておきたい。表現方法などに注意しながらそれを書くことで、上記の懸念は払拭したいと思う。

上で述べたようなことをつらつらと思案するうちに、4日前に「『兵役拒否』 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 その1 」と題して投稿したテキストの中では「明日もしくは明後日以降、何回かに分けて、その他のシーンにも触れて連載的に書いていきたいと考えている」と書いていたその時の考えを若干改めることにし、今日、前回の投稿にさらに幾つかのシーンに関することを加筆した内容のテキストを新たに投稿して、このイスラエル映画「兵役拒否」に関する note 投稿は一旦これで了とすることにした。

4日前の投稿内容との関連で言えば、その前回の投稿についてはこの間に触れる機会がなくて、今日のこの投稿で初めて筆者のこの映画に関する note 投稿をご覧になる方のために、前回の内容の中から多くの章について踏襲した上で、それに幾つかの章を追加する形をとって今日の投稿内容とすることにしたのだが、具体的には、本章の最後の二段落に示す通りである。

なお、章見出しにある「アタルヤ」とは、このドキュメンタリー映画の中の主人公で、2017年に実際に兵役拒否をし、110日間にわたってイスラエルの軍事刑務所に収監されたイスラエル人の若者 Atalia Ben-Abba さん(以下、敬称略)のことで、映画の日本語字幕において Atalia が「アタルヤ」と表記されているもの。

各章にアルファベット及び続き番号を付けたのだが、A1, A2, B1, B2(B2は「イスラエルにおける兵役拒否に関する、以前の note 投稿」なので前回投稿分に関しては追加している)、そして B4(「イスラエルの兵役拒否にみられるラディカルさ(シオニズムへの疑問)」)については、4日前の投稿において掲載した内容と同じである。

今回の投稿において追加したのは A3 〜 A8 と B3 および C1 の各章で、B3 については前回投稿の中でも同趣旨の章を設けたものの、その時の中身にさらにその後に得た情報を加えて内容を更新したものである。


A1. 一見、いや二見、三見の価値がある映画 〜 予告編付き

「同胞を裏切るのか」「恥知らずの反逆者め」などと罵倒されながら、母国イスラエルのパレスチナ占領政策への加担を拒否するイスラエルの若者たちを描いたイスラエル映画、「兵役拒否」(原題:OBJECTOR, 2019年製作)を観た。

彼らの中で特に2017年に兵役を拒否し、母国イスラエルの軍事刑務所に110日間にわたって収監された後に兵役免除を勝ち取った当時19歳の女性 Atalia Ben-Abba さんの例を取り上げた、ドキュメンタリー映画である(彼女の名前は、母語ヘブライ語によるヘブライ文字の名前を英語アルファベット化した場合、Atalia, Atalya といった表記上の揺れがあるようだが、以下のテキスト内ではこの映画の日本語字幕で使われていた「アタルヤ」というカタカナ表記を使うことにする)。


アタルヤの兵役拒否については、彼女がそのためにイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時から SNS上の様々な投稿やイスラエルのメディアの記事などを通じて知っていたのだが、イスラエルにおける兵役拒否の歴史は決して短くなく、また近年も決して少なくない若者たちが拒否者の列に加わっているので、この映画で取り上げられている兵役拒否者が、自分がその名も顔も知っていたアタルヤであることを知ったのは(しかしその名前と顔を忘れかけていた)、映画を観始めてからだった。当時のアタルヤに関する SNS 上の投稿例などは、本投稿における B1 章で掲載しようと思う。

筆者は5日前(2020年10月22日)に、株式会社アジアンドキュメンタリーズが配信するこの映画を観たのだが、視聴方法はシンプル。アジアンドキュメンタリーズに登録し(無料)、クレジットカードによる495円の支払いを済ませると、購入後7日間の視聴が可能になる。視聴前から良心的な価格設定だなと思っていたが、素晴らしい内容の映画を観終わった後になると、そのことが改めて、かつますます感じれられた、ということを最初に書いておきたい。

最初にそれを書くのは、以前からイスラエルにおける兵役拒否の運動を知る人であれ、知らなかった人であれ、十二分に観る価値がある映画なので、是非とも視聴を薦めたいからである。


A2. 「"敵"は軍隊さえ持っていない」(兵役拒否者 アタルヤ)、「ユダヤ人大虐殺がなければ状況は違ったかもしれん」(祖父)

映画で使われる言語は英語とイスラエルの母国語(「イスラエルの」と修飾した場合に「母語」と表記しないのは、占領地ではない同国国内領に同国のアラブ系の市民=パレスチナ人の市民も住んでいるから)であるヘブライ語と、映画に登場するイスラエルによる違法占領地に住むパレスチナ人が話すアラビア語(この文脈において言う「占領地」とは 1948年のイスラエル「建国」と第一次中東戦争でなく 1967年の第三次中東戦争以来の軍事占領地:具体的には東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区と現在はイスラエルによる軍事封鎖政策の下にあるガザ地区を指すが、この映画に登場するパレスチナ人はヨルダン川西岸地区に住むパレスチナ人たち)の計3言語。筆者が視聴したアジアンドキュメンタリーズ配信版では、これに日本語字幕がつく。

75分間の映画だが、観始めて最初の 1:15 辺りで、「エルサレム イスラエル」というカタカナ表記が現れる。エルサレムの少なくとも旧市街がある東エルサレムは1967年の戦争の際、イスラエルによる侵攻でイスラエル領に組み込まれた地域であり、この時の占領地は同年の国連安保理決議を含む複数の国連決議がイスラエルの撤退を要求している場所である。

その意味で、「エルサレム 」を無批判に「イスラエル」と表記していいものかという大きな疑問が湧く(以降も様々な地域に関して地域名の下に「イスラエル」あるいは「パレスチナ」と添えられて表示されていくので、これはオリジナルのイスラエル映画の版としてヘブライ語もしくは英語でそのように表記されていて、それを日本の配給・配信側が日本語に訳して表示しているものと推測されるのだが)。この点については、若干だけ詳しめに、本章のテキストの後に注釈をつけることにする(*1)。

上に書いたような疑問点は上記の一箇所だけだった。

ただ、字幕に関しては一点(細かいことを気にし出せばその他にもあるだろうが)、アタルヤが英語で明らかに "apartheid" と言っていると思われる何箇所か(発音をカタカナ表記すると「アパルタイトゥ」もしくは「アパーテイトゥ」といった感じ)、またヘブライ語でも発音の仕方から同様に言っていると思われるところ、そうした複数の箇所が、字幕では「人種差別」と訳されている。ここは本人が "racism" でなく "apartheid" という用語を使っているのだから、字幕でも「アパルトヘイト」を使った方が良かったのではないかと感じた(筆者としてはその点、強く感じた)。

この映画は冒頭から繰り返し記しているようにイスラエル映画ながら、1967年以来既に半世紀以上にわたってイスラエルが複数の国連安保理決議に違反して占領し続けている、パレスチナのヨルダン川西岸地区におけるイスラエル軍の暴虐ぶりや、違法占領地内にさらに国際法に違反しながら建設されたユダヤ人入植地に住むイスラエル人入植者たちによる暴力の事例などが、パレスチナ人たちの証言とともにきちんと紹介されている。

前者については例えばパレスチナ人家屋の破壊、後者についてはパレスチナ人の羊飼いの一家がイスラエル人(ユダヤ人)入植者たちに襲われ、牛が殺されたり、その一家の息子である少年が殴られたり、あるいは別のところではパレスチナ人がイスラエル人の違法入植地に湧き水すら奪われている例などである(イスラエル人入植者による暴力の例としては、この映画では取り上げられていないが、近年、パレスチナ人の農家のオリーヴの木がイスラエル人入植者たちによって根こそぎ抜き取られ、しかもイスラエル兵が事実上それに加担する例なども、イスラエルのメディア上を含め度々報告されている)。

14:50 辺りで、兵役拒否者であるアタルヤ自身が、イスラエルは「アラブ」という「巨大な敵」と戦っているかのように言われるが、実はその「巨大な敵」は「軍隊さえ持っていない」と語るシーンがある。

つまり、イスラエル人の眼前の「敵」である、占領地パレスチナ(のパレスチナ人たち)は実は「軍隊さえ持っていない」のだ。それは紛れもない事実である。

上記のことは例えば、映画で紹介されたものではないが、ユダヤ系アメリカ人で世界的に著名な知識人(言語学者、哲学者、認知科学者、歴史家)でかつ社会批評家・活動家でもあるノーム・チョムスキー Noam Chomsky も、如実に語っている。つまり、巨大な軍隊を持つ国家と軍隊を持たない他者との戦いは、戦争ではなく、(一方的な)殺人であると(*2)。

また、34:00 辺りで、アタルヤとの対話の中で、アタルヤの祖父がこう語るシーンがある(字幕より)。

「ユダヤ人大虐殺がなければ 状況は違ったかもしれん」
「大虐殺の後 ユダヤ人は自分達の国家を欲した」
(その際)「アラブ人側の犠牲など構わなかった」

ホロコーストがなければ状況は違った、というのは実際、その通りだろう。

1894年のドレフュス事件(世界史に残るユダヤ人差別事件、フランス)をジャーナリストとして取材した、ハンガリー・ブダペスト(当時オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルがその事件を切っ掛けにヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別の深刻さを改めて思い知り、そのことでシオニズム(言葉自体はオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案)に目覚め、その指導者として第1回シオニスト会議をスイスのバーゼルで開催するのは1897年のことだが、それから21年後の1918年時点のパレスチナ(という言葉は紀元前からあった呼称だが、16世紀以降その地はオスマン帝国の支配下、そして同国が第一次世界大戦で敗戦国となった後は1918年からイギリスが占領、1920年から1948年までは Mandatory Palestine (British Mandate for Palestine), つまり「イギリス委任統治領パレスチナ」)における人口は、同年実施したイギリスの人口調査によれば、アラブ人(今日言うところのパレスチナ人)が 700,000人に対してユダヤ人は 56,000人と、前者の 1/12以下に過ぎなかった。

それが、1947年に当時まだ欧米諸国が支配的だった国連総会で「国連パレスチナ分割案」(同案の中で国連の信託統治領とする計画だったエルサレムを除くパレスチナ全域の土地の 56%を、アラブ人=今日言う「パレスチナ人」の人口の半分に満たないほどの人口だったユダヤ人の国家の土地とするという、極めて不当かつ不公正かつ不公平な分割案)が採択される際の国連の報告書では、当時のパレスチナにおける人口は、アラブ人(同上、パレスチナ人)とその他(アルメニア人などの少数を指すと思われる)が 1,237,000人、それに対し、ユダヤ人は 608,000人で全体の33%程度になっていた。

つまり、翌1948年のイスラエル「建国」の直前の年であってもパレスチナにおける絶対少数派ではあったユダヤ人なのだが(数十年間で急拡大したシオニズムによる運動で人口が急激に増えた結果であったため、ユダヤ人側の土地所有率にいたってはパレスチナ全域のわずか 7-8%程度に留まっていた)、それでも、その時点でパレスチナにおけるユダヤ人の人口は、上に記した 20世紀初期と比べれば、ほんの30年程度の間に絶対数として 10倍以上に急増していたことになる。

もともとヨーロッパにおける長年にわたるユダヤ人差別の歴史的背景があって、19世紀末以降、シオン(旧約聖書にも登場するエルサレム地方の歴史的地名)の地にユダヤ人国家を作ろうというユダヤ人の運動が広まったわけだが、その後の「イギリス委任統治領パレスチナ」時代のパレスチナへのユダヤ人の移民の動きの加速度的拡大、その結果としての同地におけるユダヤ人の人口急増の最大の要因として、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人大虐殺」= ホロコーストを考えるのは、ごく自然な発想であろう。

念のために常識レベルのことを補足しておくと、ホロコーストはナチス・ドイツが行なった人類史に残る反人道的・人種差別的な犯罪・殺戮であって、当時パレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)にとっては全く預かり知らない犯罪である。

なお、上記の「旧約聖書」云々に関わって、アメリカ合州国のユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン Norman Finkelstein (因みに両親はホロコースト・サヴァイヴァー) の言葉を、本章の脚注で紹介しておきたい( *3)。

また、ホロコーストとの関連では、イスラエル人のジャーナリスト兼作家ギデオン・レヴィ Gideon Levy の言葉があるので、やはりこれも、脚注の中で紹介しておくこととする(*4)。

再び、映画「兵役拒否」のシーンに戻る。

上記のように、「ユダヤ人大虐殺がなければ 状況は違ったかもしれん」、「大虐殺の後 ユダヤ人は自分達の国家を欲した」、(その際)「アラブ人側の犠牲など構わなかった」などと述べたアタルヤの祖父に対し、彼の孫であるアタルヤは自身の主張を述べるが、祖父は笑顔でこう答える(この間、映画制作に協力してという趣旨か、二人はヘブライ語でなく英語で会話している)。

"So stupid." (日本語字幕では「私には理解できない」となっていた)

祖父が語った "So stupid" は言葉としては辛辣だが、上に書いたように、祖父はあくまで笑顔である。映画の終盤辺りのシーンまで、祖父によるアタルヤのアティテュードに対する理解はさして進まないように見えたし、先に精神科医の診断書でもって兵役を免れたアタルヤの兄とはもちろん、アタルヤの考えに対する理解を次第に深めていく彼女の両親との間でも、アタルヤの祖父の立場はかなり距離ができてしまう結果となるのだが、それでもとにかく、その祖父を含めて、アタルヤの家族には、常に対話、コミュニケーションがあるように見えた。そのことについては、彼女は恵まれていたと言えるかもしれない。

この対話を受け、アタルヤは次のシーンでこう語る(以下も字幕より)。

「祖父が私の年齢だった頃 パレスチナ人がトラックに積まれて強制退去されるのを見たらしい」
「それを見て悲しくなった反面 必要なことだとも思ったそうよ」
「友人や同志になれたかもしれないのに」

「この状況を変えるために 私に何ができるかを自問している」
「"拒否なら私にもできる" って気付いたの」

アタルヤの祖父がイスラエル「建国」当時(その前後を含む時期と思われる)、パレスチナ人がトラックに積まれて強制退去されるのを見たらしいという話、映画でアタルヤがそのことを語るシーンを見ながら、筆者はごく最近イスラエルのメディア Haaretz に掲載されていた記事を思い出していた。それを脚注の *5 で紹介しておきたい。

なお、アタルヤが言う "拒否" とはもちろん "兵役拒否", ひいては母国イスラエルによるパレスチナ占領政策に加担することへの "拒否" を指す。

「友人や同志になれたかもしれないのに」というアタルヤの感想は、それ以前の数十年間の歴史を冷徹に眺めるならば些か理想的に取られてしまうのだろうが、つまり、それは現実的にはかなりハードルが高いことだっただろうが、しかし、後に生まれて「いまを生きる」(「いま」とは映画で描かれたこの時点では2017年、それを今現在の2020年と捉えてもいい)、そして自身の人生においてこの先の長い歳月が残されているはずのアタルヤにとって、これまでの母国に関わる歴史や現実をそのまま受け入れて生きるだけではいけないという彼女の想いや決意は、ある意味、自然な発想から生まれているものなのかもしれない。

このイスラエル映画「兵役拒否」は、視聴した者の心に強く印象づけられるシーンが非常に多い、言わば、鑑賞した側として語るところが非常に豊富にある映画である。

今日の note 投稿においては、引き続き、登場する人物等の言葉に焦点を当てながらこの映画の中身を紹介し、さらにその後で、ドキュメンタリー映画「兵役拒否」の主人公アタルヤが実際に兵役拒否をしイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時の彼女に関わる SNS 上の投稿を紹介したり、イスラエルにおける兵役拒否の歴史に関わる事柄、アタルヤに続いた近年およびごく最近のイスラエルにおける兵役拒否者の一部等について、この映画が伝える内容の補足を兼ねて取り上げておくことにしたい。

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本章の脚注

*1 エルサレムは元々、1947年当時のイギリス委任統治領パレスチナにおけるアラブ系住民(今日言うところのパレスチナ人)とユダヤ系住民(ユダヤ人)の人口比や土地所有率の対比を無視した「国連パレスチナ分割案」(1947年11月29日国連総会で採択)においてすら、国連による信託統治領とするとされていた場所である。

その西側「西エルサレム」についてはイスラエル「建国」(1948年)時の第一次中東戦争でイスラエルが占領して同国領土として既成事実化したかのようだが、エルサレム旧市街のある「東エルサレム」(第一次中東戦争後はヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を統治していた)についても、1967年の戦争の際のイスラエルの侵攻によりイスラエルが占領して一方的に併合した上でその後そのエルサレム全域に関してイスラエルが一方的に「首都宣言」したものであって(国際社会はこれを認めておらず、アメリカ合州国もトランプ政権以前は在イスラエル大使館を他の国々同様にエルサレムでなくテルアヴィヴに置いていた)、少なくとも東エルサレムは、複数の国連安保理決議(1967年11月22日採択の安保理決議242号など)がイスラエルの撤退を要求している、パレスチナ(被)占領地 OPT (Occupied Palestinian Territories) の一部である。

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なお、以下はノーム・チョムスキーが語ったものではないが、具体的に関連する数値の一部を示したもの。ただし2017年以前のものであって、今日のイスラエルは F-16 同様にアメリカ合州国で開発・製造されたF-35戦闘機を保持している(因みに、日本の航空自衛隊も!!)。

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*3

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*4 以下は、イスラエル人のジャーナリスト兼作家 Gideon Levy の、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺)とイスラエルによるパレスチナの軍事占領、ヨルダン川西岸地区やガザ地区(後者は現在イスラエルの軍事封鎖下)に住むパレスチナ人に対する弾圧に関してのメッセージ / 主張 / オピニオン。2点目に置いたリンクの先にある記事(イスラエルのメディア Haaretz の 2020年1月23日付)は、彼が以下の意見を同オピニオン記事において述べたものである。

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"Go to Gaza and Cry ‘Never Again’"(Gideon Levy on Haaretz, January 23, 2020)


*5 以下の記事 3点は全て今月、2020年10月のイスラエルのメディア Haaretz 上の記事。1) については、上の *4 においてもその記事を紹介した Gideon Levy による同様の署名記事。

1) 2020年10月4日付の記事

なお、記事のヘッド(見出し)にある Ben-Gurion (David Ben-Gurion) とは、1948年にパレスチナの地(本章のテキスト内でも言及した通り、パレスチナという名称は遥か昔の紀元前からあったが、この当時、直前 1920年から1948年までの正式名称は「委任統治領パレスチナ」, Mandatory Palestine もしくは「イギリス委任統治領パレスチナ」, British Mandate for Palestine で、その直前に関しては 16世紀以降の長い支配が続いた「オスマン帝国」の統治下にあった地域)の上に「建国」されたイスラエルという名の新興国家の「建国の父」であり、初代イスラエル首相であった人のこと。

これも本章のテキスト内でも触れたが、当時の「パレスチナ」地域におけるユダヤ人の人口は、それ以前の数十年間にわたるシオニズムによる移民の(ナチス・ドイツによるホロコーストの影響をも受けた)結果としての急激な人口増加の経緯があっても、依然として同地域に住むアラブ人 = 今いうところのパレスチナ人 = の人口の半分にも満たず、そうした歴史的経緯があったため土地所有率に至っては実に 7-8% に過ぎなかったにもかかわらず、イスラエル「建国」前年の1947年11月29日に当時まだ欧米諸国が支配的だった設立間もない国際連合の総会で採択された「国連パレスチナ分割案」は、その案において国連の信託統治下とするとしていたエルサレムを除く「パレスチナ」全域の土地の 56% をユダヤ人、つまりその案が新たに建設されるものと内定していたイスラエルという名の「新興国家」に与えるという、極めて不当・不公正・不公平な内容のものだった。

そして、そのイスラエルという名の「新興国家」は、1948年5月14日の一方的な「建国宣言」(一方の当事者であるアラブ系、現在いうところのパレスチナ人たちの意思を無視したわけだから一方的、イスラエルはこれを「独立宣言」と呼ぶが、上にも書いたように、それ以前にそこにあったのはオスマン帝国の支配が終わった後のイギリス委任統治領パレスチナ = その人口の圧倒的多数はアラブ系、いま言うところのパレスチナ人 = であって、その地において当時イスラエルという名の国やあるいは名前は別としてもユダヤ人の国がイギリスの植民地下にあったというような事実は全く、文字通り全く無い)とその直後の第一次中東戦争の結果によって、パレスチナ地域において、上記の前年1947年採択の「国連パレスチナ分割案」における不公正・不公平な内容のものよりも更に広い土地を得ることになった。

以下の記事についてあらためて。ヘッド(見出し)は、Even Ben-Gurion Thought ‘Most Jews Are Thieves’

本文の冒頭は、The quote in the headline wasn’t uttered by an antisemitic leader, a Jew hater or a neo-Nazi. The words are those of the founder of the State of Israel (David Ben-Gurion), two months after it was founded (on May 14, 1948) ... ( ) は筆者が加筆(May 14, 1948 は "it was founded" の日として、上記のイスラエルの一方的な「建国宣言」の日を付した)。


2) 1) に関連して、2020年10月3日付の記事

3) さらに関連記事もう1点、2020年10月5日付の記事


A3. 「恥知らずの反逆者め! 同胞を裏切るのか?」「イスラエルが嫌いなら出て行け」「ベルリンで水っぽいプリンでも食べてろ」(「同胞」であるイスラエル人からの罵倒)

映画の 38:40 過ぎ、徴兵当日を迎えたアタルヤは、父が運転し、助手席に母が座る車の後部座席の兄の横に座り、キャンプ・ドーリという名のイスラエル陸軍基地に向かう。

車を降り、陸軍基地の前に立つと、既に兵役拒否の意思を示しているアタルヤの言わばイスラエル人「同志」たちが彼女を応援するために上げる声が聞こえてくるのだが(チャント, 「アタルヤ 諦めるな」「占領行為を終わらせよう」)、そこに右派シオニストと思われる同じイスラエル人の若者が現れ、彼らに向かってか、アタルヤに向かってか、感情的には双方に対してなのだろうが、罵声を浴びせて去っていく。

その若者が放った言葉が、「恥知らずの反逆者め! 同胞を裏切るのか?」である。

この他にも、この映画の中で、アタルヤたち兵役拒否者と同じイスラエル人による、彼らに対する反発の声が紹介されている。

反発は何も右派シオニストからだけでなくイスラエルの一般の人々の中に比較的広くある感情なのではないかと思うが(ある意味、一般の人々のマジョリティは「右派」なのだが)、占領に反対する人々の集会やデモなどに抗議するために集まってくる人たちは日頃から「確かな」感情・反感を持っているというレベルの「右派」なのかもしれない。映画の中では、イスラエルが占領行為を止めることを求める人たちのデモや集会の場に現れて、参加者が持つプラカードを奪って地面に落としたり、プラカードを奪った上でそれを破り捨て、踏みつけるといった乱暴な行為に出る人たちの存在も「生の」映像を通して確認できる。

以下は、アタルヤの兄が、アタルヤに伝えるネット上にある声(あるいは SNS などで彼ら兵役拒否者に直接投げかけられた反発の声かもしれない)。

「イスラエルが嫌いなら 出て行け」
「ベルリンで 水っぽいプリンでも食べてろ」

国の政策を批判したりあるいは批判する行為に出ると「嫌いなら出て行け」と言われてしまうのは、イスラエルだけの話ではない。アメリカ合州国でも現在のトランプ政権を批判する人に時としてトランプ派が投げつける言葉がそれであり、日本においても時の政権を批判する在日朝鮮人・韓国人などの在日の外国人だけでなく日本国籍を持つ日本人に対しても右派の人たちがしばしば投げつける言葉がそれである(在日外国人にこれを言う時点で既にあざとく、あくどい罵声であるが)。

「ベルリンで 水っぽいプリンでも食べてろ」に関しては、こうした罵詈雑言を言う人間は、ベルリンという言葉で70年以上前の戦前のナチス・ドイツの時代を想起させようとしているのだろうかと推測する(これについては後述)。

映画の終盤で見られる兵役拒否者やサポーターの人たちの該当集会と思われる場所では、やはり反発する右派のイスラエル人たちがやってきて(上にも書いた通り極右もしくは右派だけでなく、一般のイスラエル人にも広く見られる反感を表現したものである可能性が高いように思うが)、彼らにこんな罵声を浴びせる。

「犯罪者め」
「占領 占領 うるさいぞ」
「お前らのせいで兵士が死ぬんだ! ちくしょう!」
「ここは左派ではなく ユダヤ人の国だ」
「左派はユダヤ人ではない」
「反逆者はベルリンへ!」

上のネット上の声の例の中には「ベルリンで 水っぽいプリンでも食べてろ」、ここでは「反逆者はベルリンへ!」、どうやら一部の右派シオニストには「ベルリン」がキーワードにもなっているのかなと思わせられるほどである。

上にも書いたが、こうした愚劣な声を投げる人たちは、「ベルリン」という言葉で70年以上前の第二次世界大戦前のナチス・ドイツの時代を想起させようとしているのだろうかと思える。

ナチス・ドイツのホロコーストが人類史に残る犯罪、人種差別による大規模な殺戮行為であったことは確かだが、言うまでもなくホロコーストはナチス・ドイツがヨーロッパにおいて行なった犯罪であり、中東パレスチナに住むアラブ人(パレスチナ人)にとってその犯罪は預かり知らないことである。ヨーロッパにおける何世紀にもまたがるユダヤ人差別や20世紀のナチス・ドイツによる「ホロコースト」の犯罪の代償を中東パレスチナのアラブ人(パレスチナ人)が払わなくてはならない理由など一つもない。

19世紀末から始まったシオニズムによるヨーロッパのユダヤ人のパレスチナへの民族移動は、20世紀半ば近くになってナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を背景として加速度的にその勢いを増したわけだが、そのことでユダヤ人が中東のパレスチナの地のアラブ人(パレスチナ人)の土地を奪ってよい正当な理由など一つもないし、パレスチナ人が今もって 1948年に作られたイスラエルという国の占領下を生きなければならない理由など一つもない(イスラエルのパレスチナ人に対する人権弾圧とパレスチナ人が何ら責任のないナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺=ホロコーストとの関連については前章のテキストとその脚注*4でももう少し具体的に触れている)。

イスラエルにおいてイスラエルのパレスチナ人の土地における占領政策に反対する人たち、それに抗議して兵役を拒否する人たちに対し、「嫌ならベルリンにでも行け」という趣旨の右派の反発の声は、全くもって非合理的な、愚劣なものである。


A4. 「私達はシオニズムのために殺さないし 死なない」(イスラエルの「占領」政策に反対するイスラエル人のグループ)

映画の 45:47, 画面にイスラエル第6軍事刑務所が映し出される。そこに、アタルヤの兄を含む、アタルヤの兵役拒否を応援する人達が集まっている(アタルヤの母や父も来て見守っている)。横断幕に書かれたヘブライ語の意味は、字幕によれば、「占領は戦争犯罪を生み出す」。

サポーター達のチャントは、「私達はシオニズムのために殺さないし 死なない」。

シオニズムは1948年に「建国」されたイスラエルという国の「建国神話」ならぬ「建国思想」のようなものであって、この思想がなかったら今のイスラエルは無いと言えるようなものだから、こうした場で「シオニズム」への言及があることは特筆されるべきところではあるだろう。

ただ、実のところ、というか当然ながら、彼らのこの表現だけでは、彼らがシオニズムに対してどのような考えを具体的に持っているのか、それは分からない。

シオニズムが他民族を支配する道具になっているのではないかという疑念は持ち、少なくともイスラエルの1967年の戦争以降の「占領地」を念頭に置いた上で他民族の土地を「占領」する母国イスラエルの政策とシオニズムとの関連について批判的思考をしているのは確かだろうが、シオニズムそのものについて彼らがどこまで批判的あるいは否定的なのか、それはいまひとつ掴めない。

おそらくイスラエルの兵役拒否者やそのサポーター達の中にはシオニズムそのものに対し強い疑念を抱く、つまりシオニズムと呼ばれる思想に対して極めて否定的な考えを持っている人はいるのだが、実際、本投稿の後の章(B4)に掲載する18年前の筆者の日記においても触れているように、そういう考えの人は既に当時からいたのだが、そうしたシオニズム自体に否定的な人は彼らのうちのどのくらいを占めるのか、そこが分からない。おそらくは少数派なのではないかと筆者自身は推察するのだが、断定するに足るような確たる根拠がない。何処かにその種のことが分かる調査結果のようなものがあれば見てみたいのだが。

このドキュメンタリー映画の主人公アタルヤも、映画の中で様々なことを語り、とりわけイスラエルによるヨルダン川西岸地区の「占領」に関して明確に反対していることは分かるのだが、彼女のシオニズムに対する考えに関してまでは、この映画の中では分からないのだ(それはこの映画において主題にまでなっていることではないから、そのことでこの映画の価値が下がるようなものではないのだが)。

ここで、シオニズムに関連して、前の前の章(A2)のテキストで書いたことを、以下にあらためて記しておきたい。

1894年のドレフュス事件(世界史に残るユダヤ人差別事件、フランス)をジャーナリストとして取材した、ハンガリー・ブダペスト(当時オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルがその事件を切っ掛けにヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別の深刻さを改めて思い知り、そのことでシオニズム(言葉自体はオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案)に目覚め、その指導者として第1回シオニスト会議をスイスのバーゼルで開催するのは1897年のことだが、それから21年後の1918年時点のパレスチナ(という言葉は紀元前からあった呼称だが、16世紀以降その地はオスマン帝国の支配下、そして同国が第一次世界大戦で敗戦国となった後は1918年からイギリスが占領、1920年から1948年までは Mandatory Palestine (British Mandate for Palestine), つまり「イギリス委任統治領パレスチナ」)における人口は、同年実施したイギリスの人口調査によれば、アラブ人(今日言うところのパレスチナ人)が 700,000人に対してユダヤ人は 56,000人と、前者の 1/12以下に過ぎなかった。

それが、1947年に当時まだ欧米諸国が支配的だった国連総会で「国連パレスチナ分割案」(同案の中で国連の信託統治領とする計画だったエルサレムを除くパレスチナ全域の土地の 56%を、アラブ人=今日言う「パレスチナ人」の人口の半分に満たないほどの人口だったユダヤ人の国家の土地とするという、極めて不当かつ不公正かつ不公平な分割案)が採択される際の国連の報告書では、当時のパレスチナにおける人口は、アラブ人(同上、パレスチナ人)とその他(アルメニア人などの少数を指すと思われる)が 1,237,000人、それに対し、ユダヤ人は 608,000人で全体の33%程度になっていた。

つまり、翌1948年のイスラエル「建国」の直前の年であってもパレスチナにおける絶対少数派ではあったユダヤ人なのだが(数十年間で急拡大したシオニズムによる運動で人口が急激に増えた結果であったため、ユダヤ人側の土地所有率にいたってはパレスチナ全域のわずか 7-8%程度に留まっていた)、それでも、その時点でパレスチナにおけるユダヤ人の人口は、上に記した 20世紀初期と比べれば、ほんの30年程度の間に絶対数として 10倍以上に急増していたことになる。

もともとヨーロッパにおける長年にわたるユダヤ人差別の歴史的背景があって、19世紀末以降、シオン(旧約聖書にも登場するエルサレム地方の歴史的地名)の地にユダヤ人国家を作ろうというユダヤ人の運動が広まったわけだが、その後の「イギリス委任統治領パレスチナ」時代のパレスチナへのユダヤ人の移民の動きの加速度的拡大、その結果としての同地におけるユダヤ人の人口急増の最大の要因として、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人大虐殺」= ホロコーストを考えるのは、ごく自然な発想であろう。

念のために常識レベルのことを補足しておくと、ホロコーストはナチス・ドイツが行なった人類史に残る反人道的・人種差別的な犯罪・殺戮であって、当時パレスチナに住んでいたアラブ人(パレスチナ人)にとっては全く預かり知らない犯罪である。

さて、上に書いたように、当時はオーストリア帝国の一部であった現在のハンガリー・ブダペスト生まれのユダヤ人テオドール・ヘルツルが、1894年のフランスにおけるユダヤ人差別(冤罪)事件をジャーナリストとして取材し、ヨーロッパにおける長年のユダヤ人差別と当時の反ユダヤ主義的な動きという時代背景のもとシオニズムに目覚め、1897年には第1回シオニスト会議を開くことになるのだが、そのシオニズムという言葉自体は、同時期つまり1890年代にオーストリアのユダヤ系思想家ナータン・ビルンバウムが考案したものだった。

当時はオスマン帝国の支配下にあり、第一次世界大戦における同帝国の敗戦以降は「イギリス委任統治領パレスチナ」となる同地域(「パレスチナ」という呼称自体は遥か紀元前からあり、同地域に住んでいたペリシテ人の名が由来と考えられている)へのユダヤ人の移民を促すことになる「シオニズム」という思想のその名前は、旧約聖書のゼカリヤ書にある文言から発想されたものだった。

「主はこう仰せられる。『わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。』」(旧約聖書, ゼカリヤ書 8章3節)

つまり、「シオニズム」の「シオン」とは、旧約聖書に登場する、当時の「エルサレム」地方を指すことになるのだが、本章の脚注として 2点を付しておきたいと思う。

1点目は、やはり前の前の章(A2)にも掲載したもので、「旧約聖書」云々に関わって、アメリカ合州国のユダヤ系アメリカ人政治学者で反シオニズム活動家でもあるノーマン・フィンケルスタイン Norman Finkelstein (因みに両親はホロコースト・サヴァイヴァー) の言葉。

2点目は、今日の「エルサレム」に関して。

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本章の脚注

*1

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*2 東エルサレム(エルサレム旧市街があるエルサレム市内東側)、もしくはエルサレム(西エルサレムと東エルサレムを合わせたエルサレム市全域)に対する、イスラエルの兵役拒否者やそのサポーター達の考えに関して

イスラエルの兵役拒否者やそのサポーター達が、イスラエルが1967年の戦争によって占領したパレスチナ人の土地に関して、「占領」および「占領地」と呼び、イスラエル政府の「占領」政策に反対していることは確かなのだが、彼らは東エルサレム、もしくはエルサレムについてはどう考えているのか、実はその辺はよく分からないことで、これはこの2019年製作のイスラエル映画「兵役拒否」を観ても、そこまでは掴めない。当然ながら個人個人で考え方は異なり、彼らとして一様ではないのだろうが、いずれにしても、具体的にどう考えているのか、全く掴めない。

1967年の戦争でイスラエルが「占領」したところは東エルサレムとヨルダン川西岸地区(共に1948年の戦争の後 1967年まではヨルダンが統治していた:因みにヨルダン川西岸地区という呼称は東エルサレムを含んで同地域を指すことが多いが、歴史的に単独で重要な為か東エルサレムを同地区から分けて考える場合も少なくない)、そしてガザ地区(1948年の戦争の後は1967年までエジプトが統治、イスラエルは現在この地区に対しては封鎖政策をとっている)、それからシリア領だったゴラン高原の一部、そしてエジプトのシナイ半島で、これら1967年6月の戦争による「占領地」からの撤退を、同年1967年11月22日採択の国連安保理決議242号を始めとする複数の国連決議がイスラエルに対して要求しているが、これまでの半世紀を超える歳月の間にイスラエルが実際に撤退したのは、シナイ半島のみである。

このうちパレスチナに関わる東エルサレムとヨルダン川西岸地区、ガザ地区のうち、東エルサレムに関して、彼らイスラエルの兵役拒否者やサポーター達はどう考えているのか、その辺りが、なかなか掴み難い(そういう意味では、ゴラン高原についても同様なのだが)。

もう少し言うと、エルサレムは元々、1947年に当時の国連総会で採択された「国連パレスチナ分割案」(それがいかに不当かつ不公正かつ不公平なものであったかについては上述の通り)においてすら、イスラエル領ではなく国連の信託統治領となることになっていた地域ながら、1948年のイスラエル「建国」に伴う戦争によってイスラエルが西エルサレムを占領、残る東エルサレムも1967年の戦争でイスラエルが占領したものである。

したがって、前の前の段落に書いたことに関し、「東エルサレム」を「エルサレム」に置き換えて、別途考えてみることにも意味はある。つまり、彼らイスラエルの兵役拒否者やサポーター達は、エルサレムの地位についてどう考えているのか、その辺りはよく分からないということ(因みにアタルヤが両親や兄と共に住む家はエルサレムにある、おそらくは西エルサレムだと思うが)。


A5. 「"占領" という表現を使うな」(アメリカの団体)、「一体何のゲームをしているのかしら? 解決を目指すならそのまま表現すべきよ」(アタルヤの母)

映画の 47:15 過ぎ、アタルヤの母がこう語っている。

(以下、字幕より)

「アタルヤの拘留期間中 何度か旅行をしたの」

「南ヘブロン丘陵の占領地域も見に行ったわ」
「案内してくれたアメリカの団体の担当者が言った」

「この旅行について書く時は "占領" という表現を使うなって」
「"占領" という言葉を使わざるを得ない" と言ったら "遠回しに伝えて" と言われたわ」

「一体何のゲームをしているのかしら? 解決を目指すなら そのまま表現すべきよ」
「私は "占領" と表現した」

「禁止された 2文字を使わせてもらったわ」
「アメリカ人はすごく嫌がってたけどね」

この話は面白いのだが、この「アメリカの団体」とはどの団体のことなのか、知りたい気はした。映画の中ではそれは説明されないのだが、例えば、少なくとも近年、イスラエルの「占領」政策に反対するアメリカのユダヤ人団体であれば、「占領」という言葉は躊躇なく使う。少なくとも Jewish Voice for Peace や IfNotNow などはそうだが、しかしそもそも彼らはイスラエル国内に入ることも困難である場合が多く(単純な話、イスラエルの国家が彼らを入れたくない)、ここでいう「アメリカの団体」とは、例えばイスラエルの「穏健」左派 NGO である Peace Now のアメリカ支部のような組織を指すのかもしれないが、その彼らが「占領」という言葉を回避したがるのかどうか、その辺りは筆者もよく分からない(少なくとも占領地へのイスラエル・ユダヤ人の入植活動には強く反対しているはずだが)。

場合によっては、アメリカのイスラエルを宗教的熱情で支持する福音派キリスト教徒 Evangelical christians の団体なのかもしれないが、しかし彼らなら、「占領」, "Occupation" という言葉は、"遠回し" であっても使うなと言うだろうし、そもそも「占領」や「占領地」を認めず、最初から「ここはイスラエルです」と言うだろう。 

因みに、この後、アタルヤの母や兄が参加する「占領」反対の集会・デモの模様が映し出される。そこには明らかにパレスチナ人と思われる人の姿も見える(イスラエルの市民権を持つアラブ人=パレスチナ人なのか、占領地のパレスチナ人なのか、それは分からないが、その場所が彼らが住むエルサレムであって、デモの場所が東エルサレム地域であるのならば、後者であることも考えられる。イスラエル人/ユダヤ人による抗議活動に加わっているのではなく遠目に見ているのだと推測されるが)。

反発するイスラエル人(右派だけでなく残念ながら一般のイスラエル人の中にも反発するような人が少なくないような気がしているが)も来ていて、イスラエル国旗を身体に巻いた女性が、参加者に対して指(非常に細かいことを言うと、このシーンでは中指でなく人差し指)を突き立て、参加者のプラカードに手をかけて奪おうとするようなシーンもある。

アタルヤの兄もデモに参加している。「占領行為 反対!」と呼びかけるチャントが聞こえ、アタルヤの母も唱和している。

デモ行進の中で、パレスチナの旗とイスラエルの旗が並んで動いていくのが映し出され、そのシーンも強く印象に残った(48:56 ~ 49:00 過ぎ辺りまで)。

彼らイスラエルの兵役拒否者やサポーター達、イスラエルで「占領」反対を唱える人達は、イスラエルとパレスチナの間の二国家間解決案 "Two States Solution", それに対して二つの民族が一つの民主的な国家で平等な権利を享受するような国を目指そうという考え方、それらについてはどう考えているだろうか。

本章の脚注として、以下の 2点を付しておきたい。

1点目は、3つ前の章(A2)の脚注 *4, *5 で紹介したイスラエル人のジャーナリストで作家の Gedeon Levy のスピーチから。

2点目は、イスラエル人の人権活動家 Hagai El-Ad のツイートから。

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本章の脚注

*1 Gedeon Levy のスピーチ。Palestinian Revolutionary United Front という名のパレスチナ解放運動を支援する活動家の集まりのインスタグラムに投稿された(2020年1月18日付)、彼らが主催するシンポジウムでのスピーチにおいて Gideon Levy が "Two States Solution" が既に実効性のないものになっていることを語った部分。この投稿には Gideon Levy のスピーチの全体が聴ける YouTube 上のヴィデオへのリンクが置かれているのだが、これは今 YouTube 上で見ることができなくなっている。というのは、既に彼らの YouTube アカウント自体が削除されているため。筆者は以前その YouTube 上のヴィデオを Facebook 上でシェアしたことがあるので知っているのだが(ヴィデオは 2020年1月17日に YouTube にアップされ、筆者が Facebook 上でシェアしたのは 2020年2月23日)、いつそのヴィデオ、そして彼らの YouTube アカウントが削除されたのかは知らない。

筆者は YouTube 上のアカウントが削除されていることを今日(2020年10月27日)に知り、事情は全く分からないが、YouTube にしろ Facebook にしろ Instagram にしろ、また Twitter でもそうなのだが、パレスチナを支援する人達もしくは組織のアカウントがそうした SNS の管理者によって停止もしくは削除されることはそう珍しいことではない。世界的に著名なメディアでなければそれはしばしば報告され、例えば Jewish Voice for Peace のような団体の Facebook や Instaram でもそれは報告されているのだが、メインストリームのメディアにおいてもたまに記事になることがあり、ほとんど周知の事実である。背景にはイスラエル・ロビーなどが活躍・暗躍した SNS 上の検閲の動きがあると思われるが、そのことに直接関連した Facebook 上の投稿をこの下に付しておく。


(以下は、If Americans Knew による「イスラエルのインターネット検閲戦争」と題した Facebook 上の投稿。このヴィデオは一時 YouTube 上にあったが、視聴制限がかかり、抗議を受けて制限が解かれ、しかしその後、今度は YouTube 上から削除されるということが起きている。彼らの YouTube アカウント自体は今もあるが、このヴィデオはいまだ削除が解かれていない。これもイスラエル・ロビーの YouTube に対する抗議を受けてのことと思われる。なお、If Americans Knew はパレスチナ/イスラエルを中心とした中東地域に関し主としてアメリカ合州国の政治や外交上の問題を扱う団体。かつて、2015年に Jewish Voice for Peace が If Americans Knew の創立者 Alison Weir をユダヤ人に対する偏見があるのではないかと批判するが、これに対して Alison Weir は「イスラエルが行なう誤った行為をもってイスラエルと "Jewishness" (ユダヤ人性, ユダヤ人であること) と同一視することこそ、最も狡猾で陰湿な反ユダヤ主義 "anti-Semitism" である」とする考えを表明して反論、Jewish Voice for Peace のメンバー多数を含む活動家ほか 2,000人以上が Alison Weir を支持する公開書簡にサインするということがあった。以上、参考まで)


*2 イスラエル人の人権活動家で、イスラエルの「占領」政策に反対し、占領地におけるイスラエルによるパレスチナ人の人権弾圧などについてリサーチしているイスラエルの NGO である B’Tselem の Exective Director をしている Hagai El-Ad のツイート(2018年12月26日)から。なお、いくつか前の章(A2, A3)でホロコーストに関連したことを書いた部分があるので、そのことに関係するイスラエルのメディア Haaretz 上の Hagai El-Ad のオピニオン記事(2020年1月23日、「ネタニヤフはホロコーストをパレスチナ人に対する人権弾圧のために利用している」)も、併せて、この下で紹介しておく。

以下は、Haaretz, 2020年1月23日付の  Hagai El-Ad によるオピニオン記事。


A6. 「一方で立派な看守 でもパレスチナ人の囚人に対しては違うだろうな」(アタルヤの兄)

これは、アタルヤがイスラエルの軍事刑務所から 110日間の拘留の後に釈放された後の、アタルヤとアタルヤの兄との会話から。

アタルヤが軍事刑務所に拘留されていた間につけていた日記を見せながら、その時の様々な思い出を語る。その話を熱心に聞きつつ、アタルヤの兄が言う。

「なるほど 興味深い話だね」
「一方では立派な看守」
「でも ... パレスチナ人の囚人に対しては違うだろうな」

「うん そうだと思う」(アタルヤ)

因みに、2020年9月末現在、イスラエルの刑務所には 4,400人のパレスチナ人が収監されている。以下は、ADDAMEER Prisoner Support and Human Rights Association (ADDAMEER は「良心」, "conscience" を意味するアラビア語) という、パレスチナ人の政治犯(イスラエルの刑務所、もしくはパレスチナの刑務所に収監されている政治犯)を支援することを目的とした、パレスチナの非政府の市民団体(ヨルダン川西岸地区のラマラーに本部)の 2020年10月12日付リポート。


A7. 「もしあなたが17歳でパレスチナに住んでいたら イスラエルの占領行為による暴力を日常的に受ける(ことになる)」(アヘド・タミミ、抵抗運動を続けるパレスチナ人少女)

アヘド・タミミ Ahed Tamimi は、パレスチナ問題に関心を持っている世界中の人々の間でかなり以前、つまり彼女が子どもの頃から、その名前を知られたパレスチナ人の女性で、2017年12月、自宅敷地に侵入してきたイスラエル兵を殴り、かつ蹴り、その後、イスラエル占領当局に拘束され、刑務所に収監された人である(この映画でも言及されている通り、それ以前に、彼女の従兄弟がイスラエル兵にゴム弾で頭を撃たれている)。

アヘドは、2001年1月生まれなので、2020年10月の今現在 19歳。このイスラエルのドキュメンタリー映画「兵役拒否」の主人公アタルヤより若干若いが、ほぼ同世代である。

映画の中では、アタルヤがスマートフォンでニュースをチェックしていて、アヘド・タミミが逮捕される映像を見るシーンが映される。アヘド・タミミの父バッセム・タミミもパレスチナ問題を知る人にはかなり有名な人だが、彼が拘束されている自分の娘アヘドに声をかけるシーンも、この映画の中で紹介される。

映画では、イスラエル軍に家を壊されたパレスチナ人青年の姿、イスラエル人(念のために書くとイスラエルの少数派アラブ系市民=パレスチナ人でなくユダヤ人)入植者達に羊の放牧のための牛を殺されたパレスチナ人の羊飼いの一家の息子で自身もイスラエル人入植者に頭を殴られたパレスチナ人の少年達の姿が映し出され、そこにアヘド・タミミに関する映像や彼女の声がかぶさっていく。

その中の一つが、「もしあなたが17歳でパレスチナに住んでいたら イスラエルの占領行為による暴力を日常的に受ける(ことになる)」。

この後、アタルヤが兄と共に、アヘド・タミミの家を訪ね(彼女はその時、イスラエルの刑務所に拘留されている)、アヘドの父、バッセム・タミミと会って対話するシーンがあり、アタルヤはバッセム・タミミに対し「結束を表明しに来ました」(字幕では「結束」、アタルヤは英語で "solidarity" と言っていて、筆者の日本語の好みでは「連帯」の方がいいけれど)と言って、「これはイスラエルの兵役拒否者63名からの手紙です」「皆 入隊を拒んだ人達です」と言いながら手紙を手渡す。

バッセムは、「勇敢な世代を育てたいんだ」「信念と自信を持っている子供がいれば 占領を終わらせることができる」「アヘドはそれを自分の役割 義務 そして責任だと考えている」と応じる。

アタルヤ自身に対しては、「君が信念のために犠牲を払って闘ってくれることに感謝する」と述べ、アタルヤは「大変ですが 思いは強くなる一方です」「自分が心から信じることをしているから」と応えている。

この後、バッセムは、「苦労なくして利益なし」「相手が怒るのは正しい方へ進んでいる証拠だ」と、笑いながら、アタルヤや彼女の兄に語っている(穏やかに話しているが、この時、彼の娘はイスラエルの刑務所に収監中である)。

ここでは、脚注として、以下の 3点を付しておきたい。最初の 2つはイスラエルによるアヘド・タミミ逮捕やパレスチナ人の少年少女の拘束・拘留についてのヴィデオで、3つ目は、イスラエルでの8ヶ月間の刑務所収監を経て釈放された後のアヘド・タミミが、フランスの公共放送の国際放送 France 24 のインタヴューを受け、イスラエルの若者に呼びかけているシーン(FRANCE 24 English が 2018年9月18日に Facebook に投稿したもの)。

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本章の脚注

*1 以下の Middle East Eye の Facebook 上でシェアされたアヘド・タミミについてのヴィデオ(2017年12月21日投稿)は、Facebook のくだらない検閲のためにちょっとした視聴制限がかかっているが、見るのは簡単。ただクリックするだけで直ぐに見られる(例えば英語仕様の Facebook をやっている人の場合だと "See Video" をクリックするだけ)。

*2 以下は、2018年3月22日に Al Jazeera が Facebook 上でシェアしたヴィデオ。

*3 FRANCE 24 English, 2018年9月18日付の Facebook 上のヴィデオ。

 

A8. 「他の民族に対する残酷で暴力的な占領は 彼らを傷付けるだけでなく 私達を堕落させます」(アタルヤ) 

ところで、徴兵当日にキャンプ・ドーリと呼ばれるイスラエル陸軍基地で兵役拒否を表明したアタルヤは、110日間の拘留を経て最終的にイスラエルの軍事刑務所から釈放されるのだが、彼女はイスラエル軍当局によって「良心的兵役拒否者」と認められたのかというと、それがそうではなかった。

イスラエルで兵役を拒否した人間が「良心的兵役拒否者」として認められ解放されるためにはイスラエル軍の「良心委員会」の審査を受けなければならないのだが、映画では、2017年6月27日に行なわれた「良心委員会」によるアタルヤに対する聴聞会の模様が紹介されている(ここは流石に映画制作のためのカメラが入るのは不可能で、この部分のみ、「記録に基づく再現」とのテロップが流れるが、アタルヤに関してはアタルヤ本人が演じている)。

自己紹介から始まって様々なやり取りがあるのだが、アタルヤはこの中で、「ある民族が他を支配することは人種差別であり 残酷で 搾取的な行為だと考えています」「そうした誤った行為に加担したくありませんでした」と率直に語っている。因みに、ヘブライ語でのやり取りだが、英語の "apartheid" と非常に似た発音なので、本人は「アパルトヘイト」という用語を使っているのだと思う(字幕では一般的用語の「人種差別」となっていた)。

しかしながら、軍の委員会は最終的に「どちらを選びますか?」「社会変革を起こすか 自分の良心を貫くか」と尋ね、アタルヤが「その2つには関連性があります」と正直でかつ賢い回答をすると、委員会はさらに「この2択です」「自分の良心を貫くのか 政治的ビジョンを貫くのか 選んで下さい」とたたみかける。

アタルヤは「違いが分かりません」と応じるのだが、委員会はあらためて「占領の終息か 兵役免除か どちらを望みますか?」と詰問し、アタルヤは「占領の終息を望みます」と答え、それを委員会側がメモする。

結局、イスラエル軍の「良心委員会」は、アタルヤを「良心的兵役拒否者」と認めなかったのだが、一方で "態度の悪さ" を理由として、アタルヤは兵役には "不適当" とのジャッジを下し、彼女は 4ヶ月近くに及んだイスラエルの軍事刑務所での拘留生活を終え、釈放されることになった。

この映画の中でアタルヤが語っている言葉の中に印象的なものは多いが、その全てを記すことはもちろん無理で、以下、幾つかにしぼって掲載しておこうと思う。

前章でパレスチナ人の同世代の女性アヘド・タミミの逮捕について知るアタルヤのことに触れたが、そのシーンの後でアタルヤが語った言葉。

「私は迫害する側の国の人間」
「自分で望んだわけではないけど 私も占領者なの」("occupier" と言っている)

その後、アヘド・タミミの解放を求める横断幕を持って、集会の場に立つアタルヤの姿が映し出され、アタルヤの声が再び流れる。

「いつかイスラエルが今持っている特権を放棄して 占領行為に終止符が打たれることを願う」

占領行為に終止符が打たれるとは、具体的にはヨルダン川西岸地区の軍事占領とガザ地区の軍事封鎖が終わることを指しているわけだが、前者に同様に1967年の戦争以来イスラエルが違法占領を続け複数の国連安保理決議がイスラエルの撤退を要求している「占領地」の中にある東エルサレムが含まれているのか、また、アタルヤが言う「占領行為に終止符」が打たれた後のイスラエルとパレスチナとの関係についてはどんな考えなのか、二国家間解決案 "Two States Solution" は今も有効だと考えているのか、それとも一つの国家の下で二つの民族が平等に暮らす理想を描くのか(A5 の章の終盤とその脚注 *1, *2 参照)、その辺りは分からない。

しかしながら、イスラエルにおいてこれだけの意識を持つことは容易なことではなく、それを公にする行為が、かなりの勇気が要る行為であるのは確かだろう。

アタルヤは、上に記した言葉に続けて、こう語っている。

「道は険しいけど パレスチナ人の苦しみはその比ではない」

映画の最後、アタルヤは西エルサレムで開かれる集会に向かう。集会には、彼らに反発する右派のイスラエル人も大勢来ている。

集会参加者に向かって、「犯罪者め!」「占領 占領 うるさいぞ」「お前らのせいで兵士が死ぬんだ! ちくしょう!」「ここは左派ではなくユダヤ人の国だ」「左派はユダヤ人ではない」「反逆者はベルリンへ!」、といった誹謗中傷の限りを尽くした罵声を浴びせる右派。

アタルヤはマイクを持って、こう語っている。

「アタルヤ・ベン・アッバです」
「軍事刑務所に 110日間いました」

「平和と平等に対する信念を持ち 刑務所を離れました」

「私達は生まれながらにして 平等です」
「他の民族に対する残酷で暴力的な占領は 彼らを傷付けるだけでなく 私達を堕落させます」

「本当に安全な暮らしは 他の民族への迫害では 手に入らない」

「この場を借りて 感謝を伝えたいです」
「ここで共に闘ってくれている勇敢な人々と そして今後協力してくれる勇敢な人々に」「ありがとう」

その後、他の人のスピーチを聴くアタルヤと思われる女性が持つプラカードが、右派のイスラエル人女性に奪われ、破られ、踏みつけられるシーンが流れる。さらに右派のイスラエル人男性がやや高い場所に上がって、「反逆者はベルリンへ!」と叫ぶシーンも(ここでアタルヤの母はアタルヤに「本物の愛国者は私達よ」と語りかけている)。

「他の民族に対する残酷で暴力的な占領は 彼らを傷付けるだけでなく 私達を堕落させます」というアタルヤの言葉は、特に印象に残った。


B1. 映画「兵役拒否」の主人公アタルヤ 〜 兵役を拒否してイスラエルの軍事刑務所に収監された2017年当時の SNS 上の投稿から

当時、イスラエル人やパレスチナ人の他、アメリカ合州国でパレスチナ人の人権擁護や彼らの民族自決権、イスラエル・パレスチナ地域に住む人々の平等や平和のために声を上げている人たち(ユダヤ系アメリカ人を含む)、そして日本を含むその他の国々においても多くの人々が、アタルヤの兵役拒否と軍事刑務所収監に関する SNS 上の投稿やその他のメディアの記事を頻繁にシェアしていた。

以下は当時、筆者が Facebook 上でシェアしたアタルヤの写真と投稿3点。

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2017年6月、ガザ地区に住むパレスチナ人の投稿をシェアしたもの。

同年12月にあらためてシェアしたもの。

同上、さらにもう一度シェアしたもの。


B2. イスラエルにおける兵役拒否に関する、以前の note 投稿

以下の筆者の note 投稿 2点は、今日の投稿で取り上げたイスラエル映画「兵役拒否」が紹介している 2017年のアタルヤに続き、2018年以降にアタルヤと同様、イスラエルにおいて、母国イスラエルによるパレスチナ軍事占領に加担することを拒否し、兵役を拒否した複数のイスラエルの若者たちの写真を掲載しつつ、今日の note 投稿の後の章(B4)においても転載している、以前からイスラエルにおいて兵役拒否の運動があることを示す筆者の18年前のホームページ上の日記を併載したもの。

なお、その後の 3点目は、4日前、2020年10月23日に一旦投稿した、今日の投稿で取り上げたイスラエル映画「兵役拒否」に関するテキストで、これに大幅に加筆したのが今日の投稿である。


B3. Hallel Rabin 〜 イスラエルの若者による兵役拒否、2020年の直近事例

以下は、最近、新たに兵役拒否を表明したイスラエル人の若者 Hallel Rabin さんについてレポートするインスタグラム上の投稿からの 4点と Facebook 上の投稿 1点, さらに本投稿をアップした後になって見つけた YouTube 上の 1点(計6点のうち後半の 3点は Hallen Rabin さんが決意を語っているヴィデオ)。

IfNotNow も Jewish Voice for Peace も、イスラエルの占領政策に反対し、パレスチナ人の人権擁護や彼らの自由、かの地におけるイスラエル人とパレスチナ人の間の平等や平和の実現を目指して活動している、ともにユダヤ系アメリカ人の団体。因みに前者は、より若者中心の団体である。+972 Magazine はイスラエルで10年前に発刊されたイスラエルのメディア。ライターは若い年代が中心で、パレスチナ人も含まれる。Yesh Gvul は複数あるイスラエルの兵役拒否者および支援者の団体のうちのおそらくは最も長い歴史を持つ組織もしくは最も古い組織のうちのひとつ(1982年創立)。

Israeli conscientious objector Hallel Rabin answers the question, “Why are you refusing to enlist [in the Israeli army]?” 

Rabin, age 19, was incarcerated in military prison for the third time on Wednesday (October 21, 2020) after the military denied her exemption on the grounds of conscience.

“The fact that we are occupying territories, there is a siege on Gaza, and shocking discrimination has reinforced my decision not to take part in this. Because the military is subject to a policy that oppresses, discriminates, conquers, and oppresses a people.”

以下は、イスラエルの兵役拒否者および支援者の団体のうちの一つ、Yesh Gvul の Facebook 上に投稿されたもの。ヘブライ語で話しており、字幕もヘブライ語なので、筆者も全編を理解することはできないが、上の Jewish Voice for Peace の動画(英語字幕付き)はこれの一部。なお、この下の YouTube 上のヴィデオは全編に英語字幕が付いているので、是非ご参照を。

本投稿をアップしてから、YouTube 上の全編英語字幕付きのヴィデオを見つけた(2020年10月29日)。Social TV というのはこの YouTube アカウントの説明によれば、イスラエルの社会における変革や人権擁護、平等などを促進させることを目的とした独立系メディア, NGO とのこと。


B4. イスラエルの兵役拒否にみられるラディカルさ(シオニズムへの疑問)

アジアンドキュメンタリーズのウェブサイト上のイスラエル映画「兵役拒否」視聴ページには、「『兵役拒否』は、イスラエル社会の変化の予兆」との見出しとともに、次のように書かれている箇所がある(以下、転載)。

「イスラエルで、少しずつ兵役拒否が広がりをみせています。イスラエルによるパレスチナ占領政策に対する反対、そしてユダヤ人とパレスチナ人が平等に暮らす国を求める考え、さらには、軍隊そのものを否定する徹底的平和主義や、イスラエル建国のシオニズムに対する根源的な疑義など、イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状は、今後イスラエル社会にもたらされる大きな変化の予兆と受け止めることができるのではないでしょうか。そして実際に、軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動きが出てきています。ささやかな反抗が、共感を生み、やがて社会の変革へとつながっていくのです。」

ほぼ共感するのだが、「 ... イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状は ... 」、あるいは「軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動きが出てきて」といったくだりに関しては、筆者として若干補足したい。

イスラエルにおける兵役拒否は実は今世紀に入る前の時期にまで遡るほど決して短くない歴史があり、今世紀に入ってからとなると、「イスラエルによるパレスチナ占領政策に対する反対、そしてユダヤ人とパレスチナ人が平等に暮らす国を求める考え、さらには、軍隊そのものを否定する徹底的平和主義や、イスラエル建国のシオニズムに対する根源的な疑義など、イスラエルでは〝危険思想〟とさえ受け止められる考えをごく一部であっても高校生たちが議論し始めている現状」、そして「軍の予備役の士官たちにも、パレスチナ占領地での軍務を拒否する動き」といったものは、既に今から18年前の 2002年において、まさしく、まさしく文字通り、イスラエルにおける当時の時点の「現状」としてあったことである。

以下に、その18年前の当時の模様が、今日の note 投稿で取り上げた映画「兵役拒否」が描いている2017年以降の今現在とまるで重なるように思えてくる、2002年3月23日付の筆者のホームページ上の日記を、当時の文のまま転載するが、では逆に、当時も「大きな変化の予兆」と思われたものが 15~18年経ってもその先に進んでいないのかというと、そう決めつけるものではないと思う。

パレスチナ問題を継続してウォッチしたり、あるいは時としてパレスチナ支援に直接関わることがある人間の眼からすると、この間のアメリカ合州国におけるトランプ政権の登場とそのアメリカによるイスラエル政府の政策に対する支援の強化、そしてイスラエルにおける右派ネタニヤフ政権の長期化といった背景もあって、イスラエル社会がますます右傾化している面は見られるし、パレスチナ占領の実態は、パレスチナ人に対する人権弾圧にしても、入植地の建設拡大、占領地ヨルダン川西岸地区の一部のイスラエルへの併合の動きなどを見ても、ますます劣悪なものになっている。

その中で、しかし、イスラエルの若者の世代に、イスラエルによるパレスチナ軍事占領に加担することになる兵役を拒否する運動がこの間もずっと引き継がれ、それが弱体化することがなく、かつ今日の note 投稿で取り上げた「兵役拒否」のような映画もでき、支援者も増え、そして、この映画「兵役拒否」においても確認できるように、被占領地に住むパレスチナ人と占領者側イスラエルの市民の対話、連帯の動きも以前より目立つようになってきている。

70年以上にわたり、あるいは歴史的に見れば既に1世紀以上にわたり自らの郷土において苦難の歴史を経験してきたパレスチナ人の側からすれば、「一体いつまで時間がかかるのか」という想いはあるに違いないが、しかし長い眼で見れば、イスラエルの若者の「兵役拒否」運動の拡大やパレスチナ人側との連帯・結束の進化は、イスラエルにおける社会変革の流れ、パレスチナの解放、かの地における自由や平等・平和の確立などに向かって、ポジティブなものであることは確かだろうと筆者は思っている。

以下、18年前の筆者のホームページ上の日記から。

2002年 3月23日(土) シオニズムへの疑問(イスラエルの兵役拒否にみられるラディカルさ)

今日の朝日の朝刊の 9面に、17日(日)の「日記」で取り上げた、イスラエルの高校生による兵役拒否に関する記事が大きく掲載されている。当初62人だった賛同者の数は現在105人にまで膨らみ、このうち数人に既に召集通知が来ているとのことで、記事では、召集所で改めて兵役を拒否して軍刑務所への収監、出所、召集、収監、出所と繰り返し、今、三度目の召集命令を待つヤイール・ヒイロ氏(18歳)、現在裁判闘争中のアミル・マレンキ氏(18歳)、今年7月に召集される予定のハガイ・マタル氏(18歳)の 3名が紹介されている(17日のNHKスペシャルで特に特集されていたのはヒイロ氏とその父)。

ヒイロ氏はユダヤ人とアラブ(パレスチナ)人が平等に暮らす国を求め、マレンキ氏は全ての軍を否定する徹底的平和主義を主張し、マタル氏はパレスチナ国家を認めたうえでイスラエルとの共存の道があると訴える。マタル氏の主張はおおむね現在国際社会が求めている線に一致する考えだが、前の2者は思想的にその先を行っている(別にどちらが優れているということではないが)。マレンキ氏の考えは場合によったらガンジーやキング牧師にも通じるかもしれない非暴力思想とも取れ、十分ラディカルではあるが(とりわけイスラエルのような「紛争」の絶えない国では相当にラディカルである)、残るヒイロ氏の言っている内容はそのままシオニズムに対する根源的な疑義であり、ことイスラエルにおいてはあまりに「過激」かつ「異端」思想として受け取られるものであって、このような考えをイスラエル人高校生がイスラエル国内で堂々と主張しているという事実自体が、これまでのイスラエルの歴史からすれば極めて驚くべきことと言っても過言ではない。

彼は言っている。

「私はユダヤ人が自分たちの国をつくるというシオニズムに強い疑問を持っている。私が支持するのは、ユダヤ人とアラブ人が平等に暮らす一つの国をつくることだ。」

後半の考えは、残念ながら、多くの人が、実現困難な理想であり、少なくとも短期的には実現不可能な夢だとみるだろう。パレスチナの「紛争」の激しさをテレビでよく眼にする人にはそう取られるだろうし、パレスチナ問題をよく勉強し、両民族の共存を願う人からしても、より現実的に深刻に、当面実現は極めて難しいのが実態だと受け取られるだろう。しかし、私が注目するのは、ここでは、むしろ発言の前半である。

この主張はイスラエルにおいては「危険」思想扱いをされる程度のものと言ってもいいだろう。例えて言えば、戦前の日本国内において日本人高校生が日本の「建国神話」を否定する考えを堂々と主張するという例え方も可能かもしれない。

しかし、シオニズムは神話というよりも、現実の、現代のイスラエル建国の背景にある思想、国の成り立ちを定義づける思想である。世界中に離散していたユダヤ人(今もそうだが)に「シオンの丘に還ろう(そしてそこにユダタ人の国を建設しよう)」と呼びかけるシオニズムが思想的バックボーンとなり、世界のユダヤ人差別が結果としてこの思想による運動を強め、またナチスのユダヤ人虐殺がこれも結果として運動を加速度的に強化することになり、そして長年のユダヤ人迫害を懺悔する一方で問題を内部に抱えたくない当時の欧米社会の強力な支持を得ることによって、現代のイスラエルは建国されたのである(バルフォア宣言に代表されるイギリスの二枚舌外交 <<転載にあたっての注: 厳密に言うと「三枚舌外交」*1>> は この建国前史の系譜にあり、また、現在PLOをしばしばテロリスト呼ばわりするイスラエル政府だが、イスラエル建国運動の中でもテロは重要な戦術の一つとして採用され実際に行なわれていた)。

イスラエルの多数を占める保守派からすれば(ここでのこの範疇には労働党などの革新政党も含まれてしまう)、シオニズムの否定は現代イスラエルの国家そのものを否定しかねない極めて「危険な」思想に映るはずだ。その意味で、今回の高校生ヒイロ氏の主張は、先の戦前日本の例えなど及びもつかないほどのラディカルな思想だと言っていいだろう。

一方、兵役拒否に賛同する高校生のそれぞれは、実際には、イスラエルという国の在り方や軍に対して、さまざまな考え方を持っている。そのなかで、シャロン首相らへの手紙では、みんなが共通して賛成出来る「占領拒否」とそれにつながる「兵役の拒否」だけを掲げたということだ。極めてラディカルな思想を内包しつつも、現実社会にアプローチする際のこうした「行動の柔らかさ」、この辺りも今回の兵役拒否の動きにおいて注目すべき点ではないだろうか。

(ちなみに、ヒイロ氏は中学生の頃からアラブ人 (転載にあたっての注: ここで言う「アラブ人」とはイスラエル国内のアラブ系市民 = これも視点によってはパレスチナ人と呼ぶことが可能だが = を指す) やパレスチナ人と交流する平和団体の活動に参加しており、昨年夏に交流キャンプでマタル氏らと出会った後、首相ら宛てに「兵役拒否」の手紙を送ることにしたという。こういう平和団体がどれだけの困難のなかで活動しているのか、そこにはおそらくは僕らの想像を超える厳しさがあるに違いない。)

今日の記事に紹介された、昨年夏のイスラエル人高校生62人(当時)の、シャロン首相ら宛て「兵役拒否」の手紙の「要約」を、ここにそのまま引用したい。

「私たちはイスラエルで生まれ、育ち、間もなく軍の兵役招集を受ける若者です。私たちはイスラエルの人権侵害に反対します。

土地の強制収用、家屋の破壊、パレスチナ自治区の封鎖、拷問、病院に行くことの妨害など、イスラエルは国際人権法を侵害しています。これは市民の安全確保という国家目標の達成にもなりません。安全はパレスチナ人との公正な和平によってのみ達成されます。

良心に従い、パレスチナ民衆の抑圧にかかわるのを拒否します。」

彼らはこの間、国内で右派から「裏切り者」呼ばわりされ、一般市民からも「臆病者」と批判され、和平派の左派政党メレツ(規模としては弱小政党)からさえ「占領には反対だがイスラエル社会唯一の共通基盤である軍を否定すべきではない」との忠告を受けた。彼らはあくまで「異端」であり、少数である。

しかし一方で、今年1月末からは、軍の予備役の士官たちが占領地での軍務を拒否する運動を始め、 軍務拒否の予備役兵の数は既に300人を超えているという。イスラエルの中で、何か大きな変化が始まろうとしているのかもしれない。高校生の兵役拒否は、これから始まる長い変化・改革あるいは革命の時代の予兆であるかもしれないのだ。

彼らは僕らと同時代を生きている。このことをどう捉えたらいいのだろうか。アメリカという大国に庇護されながら国際社会の一角におさまり、世界中にモノを売りまくってきた日本というクニの僕らは、間違いなく彼らとも同時代を生きている。僕らはどこでどう繋がっているのだろうか。

.....................

*1 イギリスの「三枚舌外交」とは、以下のものを指す。

1915年の中東地域におけるアラブ独立を約束した「フサイン=マクマホン協定」,
1916年のフランス・ロシアとの間で締結した中東地域を同三カ国で分割支配することを秘密裏に決めた「サイクス・ピコ協定」,
1917年のイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが公にしたシオニズムを支持しパレスチナの域内でユダヤ人の国を作ることの支援を約束した「バルフォア宣言」

*2 上の日記は自分のホームページ上に2002年3月23日当日にアップし、これまで掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする場合がある。パソコンであれば、Google, Safari 他、大抵のブラウザ上で閲覧可能なはず。


C1. アメリカ合州国における2020年のジョージ・フロイドと白人警官を想起させる、2019年イスラエル映画の中のパレスチナ人とイスラエル軍兵士

イスラエル映画「兵役拒否」は2019年製作の主として2017年の出来事を描いたドキュメンタリー映画なのだが、この映画の 39:50 辺りで、徴兵日にイスラエル陸軍基地の前に立つ主人公アタルヤの近くで、既に兵役拒否の意思を示している彼女の言わばイスラエル人「同志」たちが彼女を応援するために声を上げるシーンがあり、その際、彼らが持つプラカードが映る。それが、以下のもの。

画像8

これを見て、思い出すものがあった。

アメリカの警察が、イスラエルのパレスチナ違法占領において「活躍」する治安部隊であるイスラエル国軍と長い間、トレーニングのための交流をしているのは既にアメリカ国内でも多くの人に知られ始めていることで、Jewish Voice for Peace などの組織がかなり以前からこれを批判・非難し、止めるよう声を上げている。

アメリカの警察が(とりわけ黒人容疑者に対して)しばしば見せる逮捕者の首を膝で押さえつける kneeling は、イスラエル軍が違法占領地で(犯罪者でもない)パレスチナ人に対して頻繁に行なっていることで、前者は後者からそうしたテクニックを学んだのではないかという声すら出ている。

画像8

上記に関しては、2020年10月5日付の「ルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg) という人は、本当に称賛・礼賛一色で済ませていいほど立派な人だったのか?」とのタイトルの筆者の note 投稿の中で、その「付録」2点(ボブ・ディラン批判とユヴァル・ノア・ハラリ批判)の前の最後の章、「コリン・キャパニックの反人種差別・抗議行動を非難し、イスラエルによるパレスチナ人に対する深刻な人権侵害に関しては沈黙したルース・ベイダー・ギンズバーグ 〜 そんな彼女を称賛・礼賛しかしない自称『リベラル』メディアに送りたい二つのイメージ」、の中で掲載した。

その投稿は以下。


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