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Give Peace A Chance (John Lennon) 〜 歌詞和訳

Give Peace A Chance (歌詞和訳) 〜 平和に機会を

確か邦題は「平和を我等に」だったと思うが、自分がこの歌の歌詞を訳した時はあえて直訳的に「平和に機会を」とした。言わずと知れた(と言いたいところだけれど最近はもう忘れられてるのかも)半世紀ほど前の時代における平和運動にとっての象徴的な歌、要するにアンセムだった "Give Peace A Chance" はジョン・レノンが作って、1969年7月にシングル・リリースした曲。ビートルズ解散前ではあったが、レノンの最初のソロ・シングルだった。

この歌の歌詞は、2001年10月6日に訳した。ほんの 3週間ほど前に起きて世界を揺るがした 911 アメリカ同時多発テロから受けた衝撃があって、この歌の歌詞を自分なりに日本語にしてみようと思ったものと記憶している。

Give Peace a Chance ー John Lennon (born as John Winston Lennon in Liverpool in war-time England on October 9, 1940 and murdered as John Ono Lennon in Manhattan New York in war-all the time USA on December 8, 1980) 

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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みんなが喋っているのは
バギズム、シャギズム、ドラッギズム、マディズム
ラギズム、タギズム
何とか主義、かんとか主義
イズム、イズム、主義のことばっかり
だけど僕らが言ってるのは一つだけ、平和に機会をってね
僕らが言ってるのは単純なことさ
平和にもチャンスをってことなんだ

さぁ聞いてみなよ
彼らが言ってるのは
ミニスター、シニスター、バニスター
それからキャニスター、ビショップ、フィショップ
ラビス、そしてポップ・アイズ、バイバイ、バイバイズ
だけど僕らが言ってるのは一つだけ、平和に機会をってね
僕らが言ってるのは単純なことさ
平和にもチャンスをってことなんだ 

さぁ僕に言わせてよ
彼らが話すことは
レボリューション(革命)、エボリューション(進化)
マスターベーション、フラジェレーション(鞭打ち)
レギュレーション(規則)、インテグレーション(統合)
メディテーション(瞑想)、ユナイテッド・ネーションズ(国連)
コングラチュレーションズ(祝辞)
だけど僕らが言ってるのは一つだけ、平和に機会をってね
僕らが言ってるのは単純なことさ
平和にもチャンスをってことなんだ

みんなが話してるよ
ジョンとヨーコ、ティミー・レアリー、ローズマリー
トミー・スマザーズ、ボブ・ディラン、トミー・クーパー
デレク・テイラー、ノーマン・メイラー
アラン・ギンズバーグ、ハレ・クリシュナ
ハレハレ・クリシュナ・・・

言いたいことは平和に機会をってことさ
単純なことさ、平和にもチャンスをってことなんだ

言いたいことは平和に機会をってことさ
単純なことさ、平和にもチャンスをってことなんだ

・・・さぁみんなも一緒に・・・

(最後は.. )

All we are saying is give peace a chance
All we are saying is give peace a chance
OK, BEAUTIFUL !!

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*1 最後の最後はもう、無理に日本語にしなかった。

*2 上の和訳歌詞は自分のホームページに掲載してきたもの。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、でも初めて筆者の note 投稿を見る人には「初めて」なわけで、笑)。


訳した日の翌日の日記

以下は、この歌の歌詞を和訳した日の翌日の筆者の日記。当時、自分のホームページ上に掲載したもの。その転載。

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2001年10月7日(日)   ピース・ウォークに参加

Chance! - 平和を創る人々のネットワーク - の主催するピース・ウォークに家族で参加した。今回が 3回目というピース・ウォーク、最初に「渋谷でデモ」と報道された時から注目していたが、先に「行こうか」と言ったのはパートナー(妻のこと、です)の方で、私の方は、今回のアメリカ同時多発テロに関しては、あまりに問題が深刻で、この深刻な出来事の意味から、日本がすべきことの中身、また、一個人として何をすべきで何が出来るのか等々、頭の中の整理がつかず、腰が重い感じがしていた。しかし、とにかく動いてみよう、動きながら考えてみよう、ということで家族3人で参加することにした。

メッセージ・ボードはパートナーの手作りによるもの。ダンボール製で上下に折り畳んで携帯可能、拡げて背面から木の支え棒を通して使うようになっており、なかなかに見事な出来映え。メッセージは悩んだ末、私の発案で、パートナーと話し合って決めた。最初は「平和に機会を」というメッセージにしようかと思ったが、私達が決して忘れてはならない、今回の問題の根っこにあるもの、「パレスチナ」をメッセージに入れなくては、と考えて決めた。欧米を中心とした世界(このケースでは日本はここに含まれている、そして成り行きによってはパキスタンだけでなくアフガニスタンも含まれていく可能性だってある)「だけ」に「平和」(「和平」)が実現した時、そのことは、世界から見放され続けているパレスチナの民にはどんな意味があるのか、私たちはそこまで見据えなければならないと思う。

朝のTV番組の映像を見ながら、息子にも、なぜ自分達が今日のピース・ウォークに参加するのかを出来るだけ簡単な言葉で伝え、メッセージを準備してから我が家を出発した。

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集合場所は渋谷の宮下公園。集合時間は夕方 6時。だいぶ前に着き、 GIVE PEACE A CHANCE (転載にあたっての加筆:この部分、ホームページ上ではこの歌の自身による和訳歌詞のページにリンクさせた) と書かれた黄色いリボンをもらってカンパし、運動を拡げるための絵ハガキを買った。集まったのは 400名程度らしい。いわゆる従来の「組織」型の「デモ」では既にもっと規模の大きい集まりが実現しているようだが、このピース・ウォークはスタッフも「デモ」とは呼んでないようで、集まり方も、インターネットを中心に情報を得て集まった個人個人の集まりという感じ。自由な和気藹藹とした雰囲気が、これまでに私が参加した、(他のさまざまな運動における)多くの「デモ」との違いを感じさせる(もちろん今まで経験した「デモ」が、だから悪かったとは思わない)。ただ若い人ばかりでもなく、老夫婦や60代、なかには70代と思われる参加者も見受けられた。

スタッフ数人の挨拶や 1回目から参加しているという薬害エイズの被害者の運動のリーダーでもあった川田龍平さんのスピーチも受け、全員でアメリカ同時多発テロの犠牲者に対する黙祷をしてから出発。原宿を通り、渋谷駅前を通過して公園に戻るまでの約 2時間、ジョン・レノンの GIVE PEACE A CHANCE (転載にあたっての加筆:この部分、ホームページ上ではこの歌の自身による和訳歌詞のページにリンクさせた) や IMAGINE (転載にあたっての加筆:この部分、ホームページ上ではジョン・レノンの歌「イマジン」の歌詞の筆者による和訳歌詞 *1 のページにリンクさせた) 、POWER TO THE PEOPLE 、ビートルズ時代の ALL YOU NEED IS LOVE などを流しながら、歌いながら街を歩く。マイクを通し、軍事報復は解決にならず報復の連鎖を生むだけだ、証拠を提示し、粘り強い平和的な交渉で容疑者を裁判にかけ、法の下で問題を解決しよう、暴力の生まれない平和で公正な世界を実現するために行動しよう、日本はその為の努力をしよう、といったメッセージを伝えていく。途中、韓国人留学生による韓国語による呼びかけやイタリア人女性のイタリア語の呼びかけも、日本語訳をつけながら行なわれた。アメリカ人による英語の呼びかけもあった。

参加者は思い思いに私達家族のようにメッセージ・ボードを持ったり、ペンライトを振ったり、楽器を演奏したりしている。歩道を歩く人々にも参加が呼び掛けられ、私達の手前でも途中からウォークに加わって来る人たちが見かけられた。また、マイクを通したメッセージが特定のFM電波で飛ばされ(昨日は88.8MHz)、通り過ぎるクルマのドライバーにもその周波数が伝えられた。先頭では、時折り、用意されたスクリーンに映像も流された。スタッフによれば、こういう活動は初めてという人が多いようで、あの 9月11日のアメリカで起きた大惨事、その後の軍事報復の動きの中で何かしなければと思い立った人たちが中心のようだった。確かに、既成の「運動」に見られない発想や雰囲気が感じられた。

ウォークの間、時々息子と手をつないだり、様子を見たりしたが、歌われる歌は彼も知っているものばかりで、ほとんどずっと一緒になって歌っていたようだ。今世界で起きていることの意味はよくわかっているわけではない、しかし何もわかっていないかというとそれは大人の驕りであり無理解であって、実は子供には親の会話やこの間の TV の映像、新聞報道(息子はスポーツ欄が好きだが、けっこう新聞を拡げている)などを通して、感性のレベルではかなりのことが伝わっているのかもしれない。少なくとも、子供にわかるはずがない、などと決めつけるのは間違っていると思う。いずれにせよ、参加したウォークの雰囲気自体は息子には楽しかったようで、疲れた様子は見せなかった。そう言えば、小学生の子供を連れての家族での参加ということで、出発前に「朝日小学生新聞」という新聞の女性記者に自分達の考えや動機などについて取材された。小学生を読者にしている、ということもあってだろうか、いかにも優しそうな、取材されて和むことの出来る、感じのいい記者だった。小学生が読む新聞にこういう活動が紹介されるのはとても有意義だと思う。子供は、子供の言葉で伝えられれば、彼らなりに世界を理解していくと思うのだ。 

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*1 筆者による "IMAGINE", 「イマジン」の歌詞和訳については、最近 note 投稿した以下の 2点をご参照いただければ。

*2 上記の日記は冒頭で書いた通り、自分のホームページに掲載してきたもの(近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている)。

前章で書いた通り、ホームページは、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつも、しかも繰り返しこれ書いてるんだけど、でも初めての人には「初めて」なわけで、だけど前章で書いたからしつこいね、笑)。


映画「いちご白書」(The Strawberry Statement, 1970) における "Give Peace A Chance" のシーン

1960年生まれの筆者は日本の歌「『いちご白書』をもう一度」(懐かしいねぇ、荒井由実だった時代の松任谷由実が作詞作曲し、ばんばひろふみのバンバンが歌ってリリースした1975年の大ヒット曲)で、この映画を改めて意識したような記憶がある。あの歌は何となく歌謡曲っぽかったし、映画とはそれほど関係しないような気もするが。

映画自体は、1979年に大学に入学してから、当時リヴァイヴァル上映されたものを映画館で観た。

映画は原作の小説の内容をアレンジしたもので、小説は著者が19歳の時に書いた、コロンビア大学で実際にあった1968年の学生運動を取り上げたノンフィクション、話の筋としてはたぶん「青春小説」のようなもの(小説の方は読んでいないので詳しくはない)。

映画はやや甘ったるい感じがする青春映画という趣があるが、筆者は 18, 9歳の頃に観てわりと気に入った。何と言っても音楽がいい。主題歌は Joni Mitchell が作詞作曲した "The Circle Game" を Buffy Sainte-Marie がカバーしたバージョンで、その他、ここで取り上げる John Lennon & Plastic Ono Band の "Give Peace A Chance", そして Crosby, Stills, Nash & Young の "Helpless", "Our House", ここまではよく記憶しているんだが、さらに Crosby, Stills and Nash の "Suite: Judy Blue Eyes" も使われていたようで、この組曲、邦題「青い眼のジュディ」は筆者が超絶好きな、めっちゃくちゃカッコイイ、且つ美しい曲なんだけれど、これが映画「いちご白書」に使われていたということが完全に自分の記憶から抜け落ちている。当然、そのシーンも思い出せない。何故だろう、超絶不思議。

それはともかく、以下が "Give Peace A Chance" のシーン。


映画「いちご白書」の "Give Peace A Chance" のシーンを彷彿とさせる、アメリカ合州国のユダヤ人の若者の団体による、イスラエル・ロビーに抗議するデモ

前章で紹介するために映画「いちご白書」の "Give Peace A Chance" のシーンを久しぶりに観たら、3年半ほど前に見たアメリカ合州国(以下、アメリカ)のユダヤ人の団体の一つが行なった抗議行動を直ぐに思い出した。というか、そもそも当時それを Facebook 上で見た時に直ぐに思い出したのが、映画「いちご白書」の件のシーンだった。

以下のヴィデオは、2017年3月26日、ユダヤ系アメリカ人が組織している、イスラエルの占領政策に抗議し、パレスチナ人の人権や民族自決権を擁護する活動をしている団体の一つ、IfNotNow (他に、歴史が古くおそらくはより有名な団体として Jewish Voice for Peace があるが、IfNotNow はより若者中心の組織のように見える) が、1948年にパレスチナの土地の上に「建国」されたイスラエルによる 1967年の戦争以来半世紀にわたるパレスチナ人の土地の違法占領(東エルサレム・ヨルダン川西岸地区およびガザ地区、前者は軍事占領で後者は現在イスラエルが軍事封鎖)およびトランプ政権とアメリカで最も強力なイスラエル・ロビイスト・グループの団体 AIPAC (American Israel Public Affairs Committee) によるイスラエルの占領政策支持に対して抗議するため、AIPAC に向かってデモンストレーションをした時に撮影されたもの。 

この YouTube 上のヴィデオには現在 thumbs-up (いいね) が 63 に対して、thumbs-down (親指を下げるジェスチャー、これに関しては拒否の意思を示すものと言ってよいだろう) が 25 あるが、その殆どはパレスチナ人の人権や民族自決権を認めない単純なイスラエルの体制支持派からの反応だろう(コメントの中にもそれらしき下らないコメントが混じっている)。 

Facebook 上では以下のリンク先。これまでに「いいね」が約1,000 で、「超いいね」が 321 など。「ひどいね」が 9, 嘲笑しているものが 4 ある。

以下は、アルジャジーラ が リポートしたもの。


ちょっと脱線、自由に機会を 〜 Give Freedom A Chance

今日取り上げたのは、"Give Peace A Chance" というタイトルの曲で邦題は「平和を我等に」、筆者が歌詞を訳した時につけた和訳タイトルは「平和に機会を」だけれど、「平和」というのは、単に「戦争」や武力による争い、いわゆる「武力紛争」が無い状態を表わすものではないと思う。

というか、もしもそれしか意味しないのなら、それはやはり、何か重要なものが欠けている気がする。

今この瞬間「戦争」が行なわれている、その渦中で生きている人にとっては、勿論まずは「戦争」がない状態が得られることが大事。しかし、人間、単にそれだけで生きていたら、どうしても窮屈になる。必要なのは「自由」、あるいは「自由」を求める闘いだろうと思う。「闘い」というと大袈裟になるけれど、要するに「自由」を求める意思と、そのための(必要に応じた)行動。

1)

筆者が最近思うのは、例えば、権威あるものを風刺したり戯画化したりする自由。と書いたら、そう、ここのところフランスを揺るがしているあの問題(関連したかどうか、ついにオーストリア、ウィーンでもイスラム原理主義者によるテロが起きてしまったけれど。と言っても後者はある意味特殊なイスラム原理主義組織 IS, いわゆる「イスラム国」による犯行らしい)。

ムスリムの人が預言者ムハンマドを戯画化されたら我々は傷つく、気分を害する、そう主張する彼らの感情は想像できるけれど(あくまで想像、自分はイスラム教徒ではないのだから、「よく分かります」と安易に言うものでもないだろう)、しかし、フランスの世俗主義のもとでの「表現の自由」に対する考え方においては、全てのものは批判・批評の対象になる、そして単なる批判だけでなく、風刺されてよい、その表現方法には戯画も含まれる、ということになる。

フランスの現大統領エマニュエル・マクロンは筆者の好きな政治家では全くないけれど、しかし彼やフランスにおける「表現の自由」を守りたい人たち、その大多数の人たちは、別にイスラムを侮辱する意思などないものと思う。要は、彼らの国フランスにいる人々の中には例えばイスラム教の預言者を風刺したい、あるいは戯画化したい、そういう人は少数であっても存在するのであって、それが少数であっても、その表現の自由は擁護するし、それを法律で禁止したりするという考えは受け入れられない、ということであると思う。

それはイスラム教の預言者ムハンマドに関してだけでなく、批判や風刺・戯画化の対象がイエス・キリストだろうが、ローマ法王だろうが、宗教を信じる人たちが信仰する(様々な)「神」もしくは「神々」だろうが、あるいはブッダだろうが、フランスや外国の元首だろうが、王様だろうが、どんなものを対象にしてでも表現してよい、ということ。

この問題はその扱いが極めて難しいという事実自体は認めるけれども、様々なメディアにおける報道を、ネット上で見る英字紙や動画ニュース等を含めて眺めるに、ムスリムの側の人たちにフランスでの預言者ムハンマドの戯画に対する、自分たち、あるいは自分たちにとって極めて大事な、不可侵であるべきと見做す預言者ムハンマドが侮蔑されたという感情と怒りはよく伝わってくる一方で、それに比して、少なくともイスラム教の信者でない人間からすれば「たかだか」戯画もしくは漫画でしかないものへの怒りとして残忍な殺人まで行なわれている、しかもそれが彼らが信仰する神の名のもとに行なわれている(善良なムスリムは認めたくないだろうけれども、しかしその極めて残忍な行為が行なわれる時もしくは行なわれた後にはこの間のフランスにおけるものもそうなのだが、「アッラーフ・アクバル」つまり「神は偉大なり」という彼らの決まり文句、決め台詞みたいなものが殺人者、テロリストの口から発せられている、そのこと自体は事実なのだ)ということに対する彼ら信者の怒り、抗議行動のようなものが、前者つまり預言者ムハンマドの戯画化に対する抗議行動と比べて、明らかに小さい、そのことは率直に言って、気になってならない。

この件、筆者にはまだまだ言いたいことがあるけれども、今日の本題は別なので、本投稿においてはここまで。

2) 

次は 1) とは打って変わって、しかしやはり「自由」に関わる問題。

BDS というのはイスラエルによるパレスチナ人の土地の違法占領や違法入植を止めさせるために、イスラエルの圧倒的な軍事力を前にして軍隊を持たず抑圧され続けるパレスチナ人から国際社会に要請された声に応じ、イスラエルが国際法を遵守して違法入植や違法占領を止めるまでイスラエルへの抗議として Boycott, Divestment, Sanctions, つまりボイコット、資本撤退、制裁の運動をしようという非暴力の国際的な運動なんだけれども、近年、イスラエルのロビイスト・グループが活発に働きかけたことによって、この運動 BDS を反ユダヤ主義と不当に見做して、法律で禁じようとする動きがアメリカ合州国やヨーロッパ各国で急速に広まってきた。

以下は、昨日、2020年11月3日付の記事だけれども、ここでリポートされている件は、いわゆる 反 BDS 法 なるものがいかにばかばかしいものかを示す典型例。

ドイツにおける 反 BDS 法 で最初に標的となったのが、ベルリン在住のイスラエル人アーティスト達だったという話。

Jewish, Jewishness ということはイコール、1948年に「建国」されたイスラエルと呼ばれる国ということでは勿論ないし(そもそもあの国にはアラブ系の市民、つまりパレスチナ人もいるのだが)、Semitism イコール、イスラエルということでも勿論ない。BDS を反ユダヤ主義, つまり Anti-Semitism という一種の人種差別主義と見做すのは、完全な没論理なのである。

そんなことは、ちょっと考えれば分かるはずのことであって、仮に日本の「政策」を批判して日本をボイコットする運動があっても、それはイコール「反日本主義」もしくは「反日本人主義」といった人種差別には当たらない。

イスラエルだけが、Anti-Semitism, Anti-Semitic, Anti-Semite といった言葉を便利に使って、自国の政策に対する批判やその政策に抗議するためのボイコット運動を封じることなど、本来できない注文というものなのだ。

3)

さて、これは日本における 反BDS の没論理ツイート例。こういう主張をする人というのは没論理の人か、あるいはもしも本当は知的な人であるならば、イスラエルの体制の為に役立つなら人から没論理と思われても構わないと思うような人。ある意味、気の毒。

2) の例のところでも書いたように、仮に日本の「政策」を批判して日本をボイコットする運動があっても、それはイコール「反日本主義」もしくは「反日本人主義」といった人種差別には当たらない。

Jewish, Jewishness ということはイコール、1948年に「建国」されたイスラエルという国ということでは勿論ないし(繰り返し書くが、そもそもあの国にはアラブ系の市民、パレスチナ人もいる)、Semitism イコール、イスラエルということでも勿論ない。

BDS を反ユダヤ主義, つまり Anti-Semitism という一種の人種差別主義と見做すのは、完全な没論理なのである。

これも繰り返し書いておく。

イスラエルだけが、Anti-Semitism, Anti-Semitic, Anti-Semite といった言葉を便利に使って、自国の政策に対する批判やその政策に抗議するためのボイコット運動を封じることなど、本来できない注文というものであって、その口封じのための論理は論理などと呼べるシロモノではなく、極めて没論理的、非論理的で、単に批判の声を封じたい、批判者を黙らせたいという悪意がある、莫迦げた発想によるものなのである。

英語でも書いておくと、

Jewishness doesn't equal ISRAEL (a state created in 1948) and Semitism doesn't equal ISRAEL, as a matter of course. To regard BDS movement as Anti-Semitism is a typical example of illogic. Such a way of thinking is alogical, illogical and silly.

IF you criticize Japan's policies: e.g. its government's policy you regard as racism and boycott Japan or, organize or participate in a boycott or boycott, divestment, sanctions movement against Japan, IT DOES NOT mean you're anti-Japanese (as a kind of racist), as a matter of course.



BDS Japan Bulletin からの批判ツイートを併せて掲載しておく。

"シオニスト組織SWCが記事を投稿している『みるとす』は親イスラエル団体で日本版歴史修正主義運動を担ってきた宗教右派「キリストの幕屋」関係の雑誌。イスラエルの人種主義政策を擁護し、BDS批判に傾注するSWCは、サンダースを支持した米国ユダヤ系若年層の人権感覚からますます乖離しつつある。"


Don't Look Back in Anger 〜 John Lennon & Yoko Ono への Noel Gallagher, Oasis によるオマージュ

今日のこの投稿は、この歌をもって些か唐突に終わるのだった、ジャンジャン。

"So I'll start a revolution from my BED, 'Cause you said the brains I had went to my head", "Gonna start a revolution from my BED, 'Cause you said the brains I had went to my head", ともに綺麗に韻を踏んでいるけれども、それぞれのフレーズの後半部分、これはヨーコ・オノがジョン・レノンに言った言葉から来ているらしい。 

Don't Look Back in Anger ー From Oasis' second studio album, "(What's the Story) Morning Glory?", released on October 2, 1995

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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