片道4時間かけてJKに会いに行った話
あれは、私が大学三年生の頃だった。
まだTwitterやFacebook、インスタ、TikTokがない時代
若い子を中心に、自分のHPを作って持っていることが普通だった。
自分の書いた作品や描いた作品は、自分のHPに挙げていた。
まだYouTuberがいない時代である。
友達「このHP見てみて?すごいよ、この子。」
HPをいくつも運営していた友達は、様々な方と知り合い、またHPを見るのが趣味でもあった。
その友達自体がセンスの塊である為、類は友を呼ぶというか、センスのある方々が友達と繋がりを求めたし、友達自身もセンスのあるHPをすぐにブックマークした。
そして、HPを作ったこともなく、せいぜい身近な知り合いのHPくらいしか見ない私に
その友達はオススメのHPをガンガン知らせた。
教えられたURLをクリックすると、深海のようなデザインのHPだった。
黒と藍色を混ぜたような世界観だった。
時折そこに少し紫が混ざるような、そんな世界観だった。
悲しみ、寂しさ、怒り、空しさ、自己、他者、生きる、死ぬ……
上手くは言い表せないが、そういった感情や存在を詩やブログに表現していた。
言葉のチョイスが絶妙で、どうしようもなく、惹かれた。
私「天才じゃない?この方。」
友達「すごいよな。なかなかこのセンスはない。」
私がそのHPを見た時点で50作ぐらい投稿されていたが
私はその日のうちに全て目を通して、打ちひしがれた。
私も趣味で詩は作っていたし、文章を書くのは好きだが
圧倒的な力の差を感じた。
個性、センス、唯一無二
そんなものを感じた。
私は友達から紹介されたHPで、好みの人や好みの作品を見つけると、掲示板やコメント欄にすぐに感想を書き込んだ。
私も後にSNSやHPに手を出すから分かるが
自分の作品に感想をくれる方の存在はめちゃくちゃ嬉しいし
毎回新作をあげるたびに感想をくれる方は神のような存在だ。
HP管理人は私の感想や反応を喜んでくれた。
掲示板やコメント欄でしばし交流した後、私はメッセージ機能を使って、彼女にメールをした。
TwitterでいうDMみたいな機能が、大抵HPにはあった。
自分のメインメアドを相手に知られることなく
サブメアドやメアド交換をしないでやりとりができる仕組みがあったのだ。
そんなこんなで、私はAちゃんに熱烈ファンレターというかファンメールを送り
個人的に携帯電話の番号とメアド交換に成功した。
HP管理人のAちゃんは私より四歳年下の女子高生で、福島に住んでいることが判明した。
四歳も年下!?
女子高生!?!?
と、私は驚いた。
とんだ女子高生じゃないか。
作風はダークだが、メールのやりとりをすると、彼女は明るくフレンドリーで親しみやすかった。
私もそうだが、シリアスな作風の人は暗いと思われがちだが、案外明るかったりする。
こち亀の作者が両津勘吉と真逆タイプであり、穏やかで博識で締め切りを守るタイプという、例にも通ずる。
私は最初はAちゃんの作品のファンであったが、Aちゃんとメールのやりとりをする内にAちゃんにも惹かれ、Aちゃんに会いに行った。
夏休みであった。
Aちゃんちは新幹線を使っても3時間以上かかるが
Aちゃんは最寄り駅まで来てもらうのはさすがに悪いと言い、別駅で待ち合わせることになった。
新幹線は使わなくて済んだが、それでも片道4時間だ。
親が「福島の●●まで会いに行くの!?」と驚いていたが
確かに私が一人でそこまで遠くに行くのは生まれて初めてだった。
今までHP等ネットで知り合った方と連絡したり、会ったことはあったが
女の子と会うのは初めてだった。
たまたま、ネットで知り合った女の子達はみんな遠方に住んでいて、会うに会えなかったのもある。
早起きし、お洒落をして、私は電車に乗った。
朝から暑くて、汗が止まらない。
初めて会う日が汗臭いのは申し訳ないと
8×4をやたらと振りまいた。
Aちゃんとは既に自撮り写真を送り合ってはいたが
駅の改札で本物のAちゃんを見た時はテンションが上がった。
小柄で目がパッチリしたショートカットの子で、ファッションセンスが独特でかわいかった。
メールでは分からなかったが、直に話すと福島訛りがあり、それもまた愛しかった。
私の母の実家は福島で、私にとって福島は第二の故郷だった。
私は福島も、福島県民も、福島訛りも大好きだった。
福島は優しい人が多い印象があった。
Aちゃんとはカラオケに行った。
Aちゃんは椎名林檎さんが大好きだったし、確かに作風からも椎名林檎さん好きそうだというのがなんとなく伝わった。
私はAちゃんの歌う椎名林檎さんが聞きたかったのだ。
私はAちゃんから「ともちゃんは一青窈のイメージ。」と言われ、せっかくならばとこの日の為に一青窈を練習した(笑)
私はそれまで、カラオケで一青窈を歌ったことはなかった。
が
Aちゃんの一言がきっかけで一青窈のベストアルバムを買い、いくつか歌えるようになるまで練習した。
人生とは何がきっかけになるか分からない。
ちなみに私は「江戸ポルカ」を歌い
Aちゃんは「歌舞伎町の女王」を歌った。
どちらも歌詞に「歌舞伎」が入っている。
カラオケで歌い、ガールズトークを散々した。
会ってみて、Aちゃんのことを私はより好きになった。
ネットで知り合った場合、二回目はなかったり、これで連絡が途切れることはよくあるが
私とAちゃんはこの後も関係は継続した。
Aちゃんは、国公立大学志望だった。
私は国公立大学志望できるほど学力がなかったから
「Aちゃんは頭いいなぁ。これから受験だから大変だなぁ。私はもうセンター試験やりたかないなぁ。」
と思っていた。
A「でも私、心理学勉強したいの。国公立大学は父親の希望で、私は国公立大学にこだわらない。」
私「国公立大学の心理学だと、レベルめちゃくちゃ高いし、あんまりないしね…。」
A「私、本当は………B大学の臨床心理学部が本命なの。ともちゃん、知ってる?」
私「B大学臨床心理学部!?………そこは、私が通っているところよ(笑)」
A「本当に!?(笑)B大の臨床心理学部、前から気になっていたんだけど、こんな身近に先輩いるなんて!」
私「私でよければなんでも教えるし、オープンキャンパス以外でも案内するよ~。ここ、いい大学よ。」
A「話聞いたら更に行きたくなってきた!お父さんを説得しなきゃ!!」
…………こんな偶然があるのだろうか。
私が大学で心理学を専攻していると言う前から、確かにAちゃんは心理学に興味はあった。
私が何県に住み、何県にある大学に通っているくらいは言っていたが
まさかの、私の本命大学とAちゃんの本命大学が同じなのである。
心理学はブームであったし
心理学部がある大学はたくさんある。
関東で心理学の一番強い大学は別大学だったし
まさかAちゃんがうちの大学志望だとは思わなかった。
私が通っていた大学は知る人ぞ知る大学で
一部には有名だが
他の大学と比べたら、他県民にはまだまだ知名度は低かった。
Aちゃんは父親の説得に成功し、国公立大学の縛りがなくなり
高校三年生になり、オープンキャンパスにやってきた。
私は大学四年生の頃だった。
Aちゃん母「Aの母です。いつも娘と仲良くしてくださってありがとうございます。」
私はAちゃんと二度目の再会を果たす。
Aちゃんは母親と共に、私の大学へやって来た。
Aちゃんのお母さんとAちゃんは顔がそっくりで、仲が良かった。
二人とも大学を気に入ってくれて
俄然Aちゃんは受験に燃えていた。
私はすれ違いで卒業にはなるが、Aちゃんが後輩になったら嬉しいなぁと感じた。
そして、Aちゃんは見事合格した。
3回目の再会は、部屋探しに来た時だった。
部屋探しの相談に乗り、大学付近のスーパー等の場所を教え、Aちゃん、Aちゃんのお母さん、私の三人でご飯を食べた。
Aちゃんのお母さんは明るく優しく面白い方で、とても話しやすかった。
帰り際に福島土産もくれた。
すれ違いで卒業が、本当に残念だった。
私が大学卒業後に、福祉の専門学校に通い出した頃
Aちゃんは大学一年生になった。
バイトやサークル活動に燃え、友達や彼氏もでき
大学生活は充実しているらしかった。
本当にいい大学だと絶賛していた。
私も自分の大学が大好きだったので、気に入ってもらえて嬉しかったし
同じ大学同じ学科の仲間になれて嬉しかった。
Aちゃんは今度は私の家の方に遊びに来た。
一緒に名物の餃子を食べたり、餃子像を案内した。
A「栃木県って、宇都宮だけじゃなくて、雀宮や二宮もあるんだね。●●宮って品がある地名だね。」
私「その発想はなかったわ……!品、ねぇ…。」
地元民と他県民では感じ方が違うなぁと感じた瞬間だ。
また、Aちゃんはこんなことも言った。
A「ともちゃんは本当にメガネが似合ってめんこいよ。」
私「そう?メガネ女子ってウケよくないから、目がよくなりたかった。」
A「そんなことないよ。私はメガネかけている人、みんな好き。本当は私もメガネかけたいけど、目がいいし、似合うメガネがない。
今はお洒落メガネが流行りだしたけど、なんかどのメガネもしっくり来ないんだよね。」
私「Aちゃんはメガネ大好きなんだね。」
A「ともちゃんは本当にめんこいよ。メガネが似合うし、メガネを外してもきれいだよ。」
Aちゃんがメガネ女子の素晴らしさや私にメガネが似合うことを力説してくれたおかげで
私はメガネをかけた自分が前よりも好きになれた。
ドクターストップにより、コンタクトはもうできなかったが
Aちゃんみたいに感じる男性もいるかもしれないなぁと感じた。
後に、誰かに告白されたり、付き合った時にAちゃんと同じようなことを言ってくれた異性が何人かいて
時代は変わったなぁと感じた。
昔はメガネをかけた人はモテない時代だった。特に女子は顕著だった。
時代は変わった。
携帯電話がなければ、私はAちゃんと出会えなかった。
HPをAちゃんが運営していなければ
友達がAちゃんをススメなければ
私とAちゃんは繋がらなかった。
あの時私が勇気を出して福島まで会いに行かなかったら、こうして隣で笑い合えなかった。
人とのご縁は、本当にありがたい。
Aちゃんは後に、HPを閉鎖した。
2011年3月11日。
東日本大震災が起きた。
Aちゃん!
Aちゃん!?!?
私は慌ててAちゃんに連絡した。
Aちゃんは大学卒業後、私と同じく専門学校に入り直し、大学付近に住んでいたが
Aちゃんの祖父母、両親、兄弟、愛犬は福島にまだ住んでいたはずだ。
Aちゃんちは、海が近い。
父親は、漁師である。
私は血の気が引いた。
母親の実家も親戚の家もAちゃんちも連絡したが、折り返し連絡は来ず
3月11日は我が県でさえ停電の中、夜を過ごした。
次の日には停電は復旧したが、テレビやラジオから流れる東日本大震災の映像や情報に
私は呆然とした。
福島が…
東北が……
日本が…………
何、これ?
現実なの?
ひたすらに福島からの連絡を待ったが、連絡はなかなか繋がらなかった。
母の実家や親戚、Aちゃんと連絡が繋がったのは約一週間後だった。
A「家族は全員生きてます。無事だよ!」
そのメールに私は涙し、その場に座り込んだ。
母方の親戚も全員、命は無事だった。
家族みんなで、ホッとした瞬間だった。
あの東日本大震災の悪夢から9年が経ち、復興がまだ終わらない中で
今年、コロナウィルスが世界中で感染拡大した。
Aちゃんに無邪気に会いに行ったあの頃
まさかこんな日が来るなんて思わなかった。
毎年のように福島に行っていた昔が懐かしい。
私も両親も
今年は福島には全く行っていない。
電話やLINEで繋がり、お互いに愚痴り合い、励まし合い、コロナウィルスの収束がつかないまま
今年もあと一ヶ月で終わろうとしている。
今年、SNSやnoteで新たな出会いがあり、会いたい人にも出会えたのに
時間もお金も会う気もあるのに
身動きがとれずに、なんとももどかしい。
一日も早く、コロナウィルスが収束してほしい。
そして、会いたい人に会いたい時に、自由に会いに行きたい。
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