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#65 深い雪、覗くは柔らかな愛

 あたり一体が雪景色で、先を見通すことができなかった。

 私は「慎重に」という言葉を100回くらい数えて、車を走らせていた。途中には本当に冗談ではなくガードレールにぶつかった車や、後続の車にぶつかられてひしゃげた車の姿を見た。カーステレオからは陽気でアップテンポな音楽が流れている。

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 10月の初旬、全国支援旅行割が一斉に開始されて私はこの機を逃す手はないと思い、慌てて格安航空券を手に入れた。その時の私にはどうしても北海道で行きたいスープカレー屋さんがあった。折よくクーポンをゲットして、ほくほくしていた。なにせ平日と休日跨ぐことで、ホテル代がかなり浮くとともに¥4,000のクーポン券をもらうことができるから。

 その時これまた思いつきで、どうせなら札幌以外も旅したいなと思い、レンタカーも手配した。何を思ったか、Google先生に聞いたら函館まで日帰りまで行けるよと教えてもらったのだ。レンタカーの借りられる時間はちょうど半日分。片道5時間。どう考えたって行ってちょっと滞在して帰ってくる感じになるのは目に見えている。

 それでもその時の私は、なんとなく変な義務感が働いていて、札幌だけに止まりたくないという思いが渦巻いていた。ひとつの街だけではなくて、違う街も見てみたいと考えていた。考えた時間は数分にも満たない。エンジンをかけてアクセルブレーキを下げ、ペダルを踏んだ。そのままひたすら南下する旅。

 北海道はすでに雪が降っているとは聞いていたが、まさか自分の目の前にそうした雪景色が広がるとは思っていなかった。だいたい30分くらい車を走らせたらちらちらと雪が舞い降りて、気がつけばあたりは凍結していると思われる道路が続いていた。慎重に慎重に。スタッドレスタイヤであるとはいえ、油断は禁物。

 途中少し休憩を挟みながらも、先へと進み続ける。札幌に到着して1日目、スープカレーを食べてすっかり英気が養われていた。ひたすら長い時間だった。ずっとspotifyでラジオを聴いて、思えばあと一ヶ月もしたら今年も終わってしまうのだなと考えて涙が出そうになった。

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 函館に到着して、何をしたかというと私がしたことはウニ丼を食べることだった。この旅では贅沢をしたくなった。ウニはその姿形が崩れないように通常ミョウバンという液体に浸かっている。ただその反動として、味に渋味と苦味が出てしまうらしい。今回函館で訪れた「うにむらかみ」というお店ではそのミョウバンが使われないというのがウリになっている。

 80gで¥6,000ほど。今思い出してもまあまあ割高かな、と思う。ホカホカのご飯に比べると、圧倒的にウニの方が量が少ない。その代わり、確かな甘みがあった。今はもしかするとウニがあまり採れなくて、そのせいで昔よりも値上がりしているという話を誰かから聞いた。少ない分、丁寧に咀嚼した。口の中に広がり、あっという間に溶ける。大人の味だった。

 それと函館ではもうひとつ行きたい場所があって、函館近辺でしかいくことのできないファミレスだった。「ラッキーピエロ」という、はじけた名前のアメリカンテイストを取り入れたお店。観光客にはやはり大人気のようで、お昼時を少し外れていたにもかかわらず、それなりに長い列ができていた。

 注文したのはチャイニーズチキンバーガー、お店のNO.1らしい。甘辛いたれとマヨネーズがクセになる。そういえば、いわゆるファーストフードと呼ばれるものを食べたのは久しぶりな気がする。幼い頃は時々しか食べる機会がなかった。それが親の教育方針だったのかもしれないし、当時は世間でファーストフードの健康に対する影響について色々騒がれていたからかもしれない。

 大人になって、何もかも自分で選ぶことができるようになり、誰も周りには庇護者がいなくなって、自由になったと思った。だけどもしかすると、幼い頃に親や周囲から受けた影響というのは少なからず自分の生き方にも影響を及ぼしているのかもしれない。

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 帰りは雪もなりを潜めていて、比較的順調に運転することができた。もちろんタイムリミットは相変わらず厳しくて、レンタカーを返す時間に間に合うよう余裕を持って車を走らせた。

 Googleマップを見ながら、これは室蘭と登別温泉に寄っていくのもアリだなと思っていたのだが、明らかに返却に間に合わない時間を先生が伝えてきたので、思いとどまって元来た道を帰る。昔だったら多少無茶しても室蘭行ってたな。少なからず私は大人になるにつれて、いかに自分が無難に生きることができるか、さまざまな失敗を通じてようやくここにきてわかってきたのかもしれない。

 途中小さな港を見つけて降り立って、凍てつく空気を肌で感じながらも、綺麗だなと思った。周りには粒が散らばっていて、キラキラと反射し、思わず魅入ってしまう。そういえば行きの道すがらに見かけた光景を思い出す。深い森の中から突如現れた生命体の存在。

 ──鹿だった。とてつもなく巨軀な図体の雌鹿。じっと私の目を見つめていた。思わずその瞳の色の深さに見惚れて、運転を誤るところだった。彼女は何を思って生きているのだろう。

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 せっかくだからと、普段お世話になっている友人や家族に対してお土産を買っていく。昔はあまり誰かに対していちいちお土産を買うことをしなかった。ただただ荷物になるだけだと思っていたから。今になってハッと気づいたことは、誰かを思いながら買うお土産は、それだけで自分の中にある霧のような欲を満たしてくれる。

 反対に自分自身に対しては、それほど昔に比べてモノに執着することがなくなってきた。かつて旅に出るたびに、何か記念のようなものを持っていたくて旅先でいろんなものを買っていた。最近も実家へ帰るたびに、ポロポロと思い出のかけらが出てくる。

 スノードームとかクリスマス人形だとかネジ式のオルゴールだとか。その頃はモノを買うことによって記憶に留めておけると本気で思っていたのだけれど、今となってはそんなものはなくても大切なものは自分の中にゆっくりと蓄積されていることを認識する。

 今でも、鹿の姿が忘れられない。私も、彼女のように気高く生きたい。柔らかな愛情を持って日常を過ごせたらと思った。過去も、未来も優しく包んで許し、慈しみを持って暮らしていく。それが、来年の目標になるかもしれない。


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