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#53 忘却についての愛を語る

 日々のらりくらりと生きていたらいつの間にか世の中はお盆休みに突入していて、東京駅のまわりには人がまばらだった。いつも人の波に揉まれてクラクラしている分、スカスカになった改札の前を通ると何か不可思議な気持ちになる。まるで自分が間違った場所に来てしまったような錯覚を覚えるのだ。

 と思えばそれから着実に時間は経過し、先祖を迎えるべき季節もサラサラと砂が溢れるように走り去っていた。私は彼らに手を伸ばそうとするも、掻き乱され取り乱し、「さようなら」という言葉も聞くことなく8月ももう終わりを迎えようとしているわけだ。

 外はバツバツバツバツと止むことなく大粒の涙が降っている。まるで私の行動を咎めているかのように。嫌な雨だ。相変わらず湿気がひどくて、私の髪はうねることをやめない。ああ、ジメジメしている。遅れてきた梅雨。家から持ってきた透明な傘を広げる。

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 歳を重ねたことによって、より昔の出来事がはっきりと思い出しにくくなってしまった気がする。あの時自分が大事にしていた気持ちは何だったのだろう、かつての恋人に対して抱いていた淡い気持ち、何かを突き詰めようとする意志、悲しみに胸が押しつぶされたようになった日のこと。

 先日、「#愛について語ること」という企画に対して、記事を投稿いただいた。「愛」を忘れること。もともとは愛とはどういった経緯で成り立ったのか。起源をたどっていくと、「人がゆっくり歩きながら後ろを振り返ろうとする心情」を意味していたそうだ。そうすると、これはきっと明確に英語のLoveとは異なる形態なのかもしれない。

 思えばコロナになりたての頃、人と会えなくてやきもきしていた。どうしようもないわだかまりを払拭させたくて、家の周りの道を散歩した。変わらずセミの鳴き声はやかましくて、よく耳を澄ませるとセミだけではなく他の虫の声も混じっている。

 ミンミン、というよりかはギンギンギンギンと鳴いている。彼らの悲壮な鳴き声は更に暑さを助長させる効果を持っている。運動不足に悩んでいた私は、一念発起してランニングを始めた。少しだけ仕事を早く始めて、少し早めに切り上げる。涼しくなった頃合いを見て、試しに5キロほど走る。

 走っている間、様々なことを考える。走ることは意外と単調に見えて、その時々で走っている景色が少しずつ日々の生活の中で移ろいゆくことを感じるのだ。パチパチとこれまで私が過ごしてきた時間が弾けていく。人と会わないと、物語は始まらない。

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 コロナが落ち着いて、少しずつ少しずつ出かける範囲を広げていく。人は慣れる生き物だから。かつてその影に怯えていても、忘れることで新しい生活スタイルへ順応していく。

 いつの間にか毎年恒例になっていたロッキンジャパンは私の故郷から居場所を変えて、お隣の県に移ってしまった。人は熱狂の最中に体を揺らし、汗を迸らせる。渋谷の駅には夥しい数の人が行き交い、私自身もその群衆の一員となり、歩を進める。少しずつ少しずつ薄れていく。

 忘れることによって、調和を保とうとしているのかな。その中には確実に忘れてほしくないものも含まれている。

 亡くなってしまった祖母と祖父に私はその昔溢れるほどの愛を傾けてもらったはずなのに、彼らは最後息を引き取る前に私のことを忘れてしまったようだった。その存在が消えても、誰かの心に留めておく限り彼らは永遠に生きられるんだよ、と何かの小説で読んだ覚えがあるけれど、それは本当なのかな。

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 最近何もしたくなくてただボーッとしたい日にはVaundyの『走馬灯』を聴いている。冒頭で流れる心電図の音が妙に癖になる。死ぬ間際に見る走馬灯は、誰もにとって幸せな夢なのだろうか。寝ていた時に祖母がおぼろげに発していた寝言では、私は顔見知りの誰かではなくてきちんと名前を伴っていたのだろうか。

 過去の忘れそうになる思い出に浸っていたら、ふと気がつくと手に持っている傘を持っていないことに気がつく。「大事なことを忘れても、君のせいでもないし僕のせいでもないんだ」という言葉が頭の中でリフレインし続けている。愛の言霊とはいかほどだろうか。

 傘はどこだろうと探していたら、そういえば途中でコンビニへ立ち寄るついでに傘立てに置いておいたことを思い出した。たかがビニール傘だよ、と自分に言い聞かせながらも、なぜか諦めることができずにきた道を引き返す。水溜りを豪快にトラックが跳ね飛ばす。

 そう、気がつけば雨は降り止んでいて、涼しげな風が吹いている。「さらばだ、さらばだ、さらばだ」そんなふうに言葉を呟いてみても、どうしても諦めることができなかった。何かに執着すると言うことは行き過ぎれば毒になる。おそらく薬と同じだよ。劇薬となる可能性を秘めている。

 執着して忘れずに留めておくことで、必死に形を保とうとする。その必然性こそが愛なのだろうか。忘れることで自我を保つことができたとしても、忘れたくなくて、でも苦しくて。

 これまで私の元を去って行った人たちは、もしかしたらこんな気持ちだったのだろうか。そうだといいな。勝手なわがままだけど。誰かの心に留まりたいと願う勝手な心が巣食っていた。

 気がつけば遠いところへきたもんだ。私は何度だって振り返る。全てを消し去ることが正しいとは思えないからね。


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