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あたまの中の栞 -如月-

 一年のうちで一番短い月、二月。気がつけば新しい年が始まっていて、そこから二ヶ月も経ってしまった。不思議な気分だ。緊急事態宣言が発令された結果、緩く外に出るような日々が続いている。

 どちらかというと家から出る時間もだいぶ減ってしまったので、気楽な感じで本やら映画やらを楽しんでいる。さすがにずっとこのままの生活は耐えられないと思うけれど、自分が好きだと思える世界にどっぷり浸かれる時間ほどこの世に素晴らしいものはないのでは、という気さえしてくる。

 先月から引き続き、一ヶ月で読んだ本について振り返る。

1. 遠い夏、ぼくらは見ていた:平山瑞穂

 遠い昔に同作家さんの『あの日の僕らにさよなら』という本を読んだことがあったのだが、もうかれこれ2年前とかで全くといって印象に残っていなかった。そもそもなぜ手に取ったのかさえうろ覚え。それが最近になって、『ドクダミと桜』という本を読んで再び自分の中で別の作品を読んでみようと思ったのが本作。

 物語の展開的には、かなりミステリー要素が強い作品になっている。15年前にサマーキャンプに参加した男女5人に対して当時ある行為をした者に遺産三十一億円を贈ると告げられる。行為の内容は伏せられたまま、五人にはキャンプの詳細を思い出すことが課せられた、という筋書き。

 読み進めていくと、いろんな立場から物語が動いていることがわかってくる。2つの章に分かれていて、後半部分に差し掛かるとそんな背景があったのか、とちょっとした驚きがあった。

 人間の記憶の不確かさ、といったところをうまく突いた作品。

ただ、人は結局、自分自身をはめ込んでいる枷から自由になることができない。(幻冬舎文庫 p.239)

2. ナオミとカナコ:奥田英朗

 直木賞を受賞した『空中ブランコ』を始めとした、頭のおかしい精神科医・伊良部シリーズを読んでからすっかり同作家の作品の虜になってしまった。図書館で見つけるたびに、本を借りて読むようになったのだが、『ナオミとカナコ』もそのうちの一つ。

 奥田英朗氏の紡ぎ出す物語は、割と多岐にジャンルが分かれているということも敬愛すべき点である。中でも私としては『サウスバウンド』がとても好き。破天荒な父親ながらも、そのダイナミックな書き口に次第に飲み込まれてしまう。

 そして今回読んだ『ナオミとカナコ』は、これまた設定が鬼気迫る感じだ。親友のカナコにDVを行う夫に対して「殺す」ならぬ「排除する」ことを、ナオミとカナコは画策する。先がどうなるのかというハラハラ感であっという間に読み終わってしまった。

直美は、環境が人を作るのだと実感した。(幻冬舎文庫 p. 13)

3. 店長がバカすぎて:早見和真

 最初に早見和真さんの作品を読んだのが、『イノセント・デイズ』という本だった。当時文庫が発売されたばかりの頃で、いつも訪れる書店で山積みにされていた。書店員さんのポップ書きにゴリ押しする旨のコメントが書かれていてなんとなく手に取ってしまった。

 そして読み始めると、あっという間に読み終わってしまった。さもすると独特ともいうべき世界観と、登場人物の持つ背景。何もかもが圧倒的で衝撃的な作品だった。

 今回読んだ『店長がバカすぎて』という作品は、本屋大賞2020にノミネートされた作品。前回読んだ『イノセント・デイズ』とは全く語り口が異なり、ああこんなのほほんとしたジャンルも書ける人なのか、と新たな驚きとともに読了した。

 普段から本を読む人間からすると、共感できる部分が結構多かった。もし今別の仕事に就けるとしたら、書店員の仕事もいいなと思わせる力がある。

物語の持つ力の一つは、「自分じゃない誰かの人生」を追体験できることだ。(角川春樹事務所 p. 45)

4. 読みたいことを、書けばいい:田中泰延

 それほど分量が多くないため、比較的さらりと読める。文章の書き方を学べるというよりも、どちらかというと概念を把握できるような本だった。

 文章を随筆だと言い換えていて、事象(見聞きしたことや知ったこと)と心象(自分の感情の揺れうごき)が交わるところだと表現している。頭ではわかったつもりでも、改めて本で読んでみるといつもより意識するきっかけにはなる。

「思考の過程に相手が共感してくれるかどうか」が、長い文章を書く意味(ダイヤモンド社 p.190)

5. 誕生日の子どもたち:トルーマン・カポーティ

 カポーティの作品は、どれも言葉の粒が光り輝いている。どこか幼い頃に捨て去ってしまった感情や記憶を呼び覚ましてくれる作品ばかりだ。

 大学生の頃、英米文学を専攻していて、論文対象は同作家の『ティファニーで朝食を』という作品だった。主人公ホリー・ゴライトリーという人物に心底惚れてしまって、さまざまな角度から研究した覚えがある。

 本短編集の中に出てきた「僕」に対しては、どちらかというと自分の幼い頃の感情を重ね合わせてしまった。どこか胸の奥がちくりと痛みながらも、読み終わると温かい気持ちに包まれる。

世の中には生み出された作品そのものより、それを生み出した人物の方に興味がかきたてられる種類の作品がある。(文春文庫 p.175)

6. 13歳からのアート思考:末永幸歩

 近頃ビジネスとアートが結びつけられるようになって、なんとなく少しずつではあるが日本でも芸術の価値が高まっているような気がしている。ヨーロッパを中心として以前からアートは一つの哲学的思考の到達点の一つとしてみなされていたにもかかわらず、これまでなぜか日本ではそれほど深く注目されてこなかった。

 元々アート自体が宗教と深く結びついているものなので、特定の宗教を持たない日本人があまりアートを重要視してこなかったのはある意味自然なことかもしれない。(欧米における建築や絵画は、だいたいが宗教における考え方の発展とニアリーイコールである)

 そんな中最近非常に高い評価を得ている本作を読みたいと思いつつ、図書館でなんと予約が半年待ち。この度ようやく借りることができたので、これ幸いと読んでみた。

 あえて一言で表すのであれば、話の結論としては”アートに明確な枠組みはない”ということ。そして、他方向に興味の眼ならぬ芽を伸ばして、”自分だけの見方”を見つけること。この2点が重要だな、と自分の中では腑に落ちた。

 ちなみに同じような本の系列で言うと、個人的には昔読んだ『クリエイティブ・マインドセット』と『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』と言う本は新たな発見もあって面白かった。

7. 夏物語:川上未映子

 以前、前の記事でも紹介したが、読み終わってズシンとした深い読後感に苛まれるとともに、自分のこれまでの人生を振り返って価値観のあり方についてよくよく考えさせられた作品。

 第一部と第二部の二つの構成に分かれているのだが、前半と後半とで全く物語の重みが異なる。もちろん第一部の話は後半の物語に繋がっていくのだが、読み始めた時はこんなにも深い森の中に彷徨うことになるとは思わなかった。

 なんとか自分の気持ちを整理したくて、記事にしようと奮闘しつつも未だに先の見えない森の中で彷徨い続けてる。「子ども」を持つことの意味、自分が今を生きている意味、そうした様々な意味づけに対して疑問符を抱えたままここのところ行ったり来たりしている。

 ちなみに川上未映子氏の作品は、他に『全て真夜中の恋人たち』という作品を読んだことがある。この作品も、なんだかしばらく余韻があと引く展開だったことを思い出した。時間ができたら、他の作品も読んでみよう。

何もうまくゆかず、おなじかたちと色をした四角をあてもなく積みあげていくような茫漠とした毎日。
「人ってさ、ずうっと自分やろ。生まれてからずっと自分やんか。そのことがしんどくなって、みんな酔うんかもしれんな。」(文藝春秋 p.136)

***

 そのほか2月はメディア小説やら文芸批評やらミャンマーの歴史やら同時並行でいろんな作品をかじり読んでいる。そう、まさにかじり読んでいる。いろんなところに、自分の歯形がついてしまっているのでほとほと困っている。

 いかんせん、様々なところに興味が移りやすいので、3月は1つのことに集中してできるだけ多くの言葉を、自分の生活の中に取り込んでいけたらと思います。

■  今回ご紹介した作品一覧


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