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#66 軽やかな愛を込めて

 気がつけば、あと半月もすれば今年も終わってしまう。それが何だか信じられないことのように思える。ついこの間新年が明けたと思ったら、もうすぐそこまでこの年の終わりが見えている。今年の冬は寒いとは思っていたけれど、案外到来したら寒くないような。

 毎年この時期になると、妙なことに私自身がそわそわし始める。理由は、まったくもってわからない。たぶん何かやり残したことがあるような気がして、そのことが頭をもたげているのかも。

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 毎日モレスキンノートにその日1日の出来事を書く傍ら、必死になってやり残したことがなんなのか思い巡らせている。そういえば今週末は友人と山梨へキャンプしにいく予定になっていたのだが、うち一人のメンバーが仕事多忙により直前でキャンセル。

 先週末も友人のスケさんとまた別の友人カップルとキャンプをした。まあ今週は休めということなのかなと思い、あまり大々的に出かけることもなく、部屋でゆっくりするつもりだった。

 のだが、生来家にじっとしていられない損な性格。加えて時々訪れる名画座でたまたま見たかった映画が二本立てでやっているではないか。ということで結局有給をもらって場当たり的に突撃した。

 『川の底からこんにちは』と『茜色に焼かれる』。いずれも、石井裕也監督。事前にFilmarksでどれくらいの点数になっているのか見ようと思ったけれど、途中で思い直してやめた。

 今生きている中で、私たちはいろんな点数に振り回されている。たとえば誰かが酷い点数をつけていて、それに対してうんうんと頷き返して。もう少し、情報を取り入れずにクリアな気持ちのままで何事も取り組みたいと思いながら私の心の中は波に飲まれて渦を巻いている。

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 今年一年、振り返ってみると少し妥協を重ねてしまった部分が多かったかな、と少し反省。同時に2年前と比べると、人との関わり方が数段楽になったし、外へ出て一緒に何か遊んだり話したりする機会が増えた。大切な人との時間は、それだけで愛おしい。時間の流れを感じないくらい。

 今年様々な試みをして、そのうちいくつかは残念ながら途中で頓挫したけれど、そのうちいくつかはなんとか次に繋げられそうなものもある。ここで一番大切なことは、自分自身がいかにその物事に対してきちんと向き合う「覚悟」があるかどうかだ。

 覚悟には、勇気が要る。昔から偉業を成し遂げた人は、周囲の「そんなの出来っこないべ」という言葉に対して不撓不屈の精神を見せ、それをむしろ悔しさのバネにし、並々ならぬ原動力を元手にしてひたすら前に突き進んでいった。そうした人たちのことを、もしかすると最初は馬鹿にする人たちもいたかもしれないけれど、その諦めない姿勢は必ず関わる人の何人かの心をグッと巻きつける。

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 最近は何はともなし、テレビでアニメやドラマばかり見ている。やらなきゃいけないことが山ほどあることは頭の片隅にずっと残っているにもかかわらず、だ。誰かが、たいていそれまでテレビを見なかった人が見るようになるのは、何をすればいいのかわからなくなったときだ、と言っていた。そうかも、現実逃避かも。

 木皿泉さんの『すいか』と坂元裕二さんの『最高の離婚』。どちらの脚本家の方も好きで、割と最近のものは見ていたのだが、昔のは全くと言っていいほど見たことがなかったので今になって観始めた。面白い。じっと見ていると、人はこんなにも毎日それなりにドラマがあるんだなと感心してしまった。もちろん、そうでないとドラマは回らないのだけど。

 「誰かを言い訳にして、誰かに乗っかって生きるのはカッコ悪いでしょう」、「似たような1日だけど全然違う1日だよ」。一つ一つの言葉の固まりが、いちいち胸にグッと差し迫ってくる。昔はぼんやりとしか見ていなかったけれど、きっと年を重ねることによってわかる言葉もあるのだろう。

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 最近やたらと私の生活は満ち足りている。2週間に一度くらいは毎回会って話をする友人が右手で数えられるくらいいて、会社でもなんやかんやと同僚や後輩が話しかけに来てくれて、日中は美味しいカレーを食べて。今の生活好きだなぁ、と思うけれど一方でぬるま湯に浸っているようだなと思う。

 ああ。




 辛い出来事に苛まれる時はこれでもかというくらい「救ってください」という言葉を口にするのに、満たされた瞬間このぬるま湯から抜け出したくなるのは何故だろう。寒い空の下、あまり服を纏わずに全力で駆け出したくなる。吐き出すたびに、息が白くなって散ってゆく。

 それからやたらめったら、キャンプや日帰りBBQでカレーを作る機会が増えた。会社でも友人まわりでも私のカレー好きは尾鰭に背鰭がくっついたのではないかと思うくらい知れ渡っていて、カレー人間みたいに思われてる。カレー人間だるま。なんかの妖怪みたい。

 イベントがあるごとに誘われ、そこでひたすらカレーを作る。寒い中で包丁を持つと手が震える。玉ねぎを刻むたびに目からは大粒の涙がポロポロとこぼれる。カレーを作っている時、私は無だ。無になれる。何もかもが削ぎ落とされていく感じがする。

 作り終えた後に、お世辞か労いかわからないが、食べた人たちが口々に美味しい美味しい、と言ってくれる。それだけで涙を流した甲斐があったもんだ。あはははは。玉ねぎは、人をちょっぴり情緒不安定にさせる。

 自分のしたことが誰かのためになっていることを実感するって、大切だと近頃深々と思うようになった。自分の存在意義を認めてもらえるような。これもまだ全くもってわからないけれど、来年あたり夜間に調理師免許取るために調理師学校へ通うのも悪くないかもしれない。覚悟を決めて。

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 映画のエンドロールが流れ始めた折、好きだなぁと思った。ひたすら出演者の名前が、軽やかな音楽と共に流れていく。逆境に見舞われたとしてもひたむきに生きる感じが、好きだ。生きていることって、もしかすると時にはままならないことがあるのかもしれない。心が折れそうになる。一人では、ままならない。映画はポンポンと場面が切り替わっていく。人の日常が熱情を持って動いていく。

 白い空気を、そっと吸い込む。

 明日もきちんと生きていける気がした。

 大事なことはいつも遅れてやってくる、愛情も生活も。


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