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#23 大人についての愛を語る

 ガシャンカタカタプシューという音が、頭の中で聞こえた気がした。カメラやスマートフォンが充電切れを起こし、うんともすんとも言わない状態がわたしの体にももたされたようである。歳を重ねるにつれて感じることであるが、昔のように向こう見ずで過ごせるほど、何事も器用にはこなせないということらしい。限界のふた文字がチラつく。

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大人だって、泣きたくなる

「大人になればなるほどさ、傷ついたときほど傷ついた顔しちゃいけないし、泣きたいときほど泣いちゃいけないよね」

『どうしても生きてる』朝井リョウ p.238

 ずっと、旅をしていた。友人が、君は何かしら動いていないと気が済まないタチなんだねと真面目な顔して言う。確かにそうかもしれない。多動症という言葉が頭に浮かぶ。基本的に名前づけは好きじゃないけど、その症状に自分の行動があまりにも当てはまる。

 ふとした拍子に、「こんなはずじゃなかった」という言葉がポツンと宙に浮く。最近観た映画の登場人物たちが、いずれも同じような台詞を吐き出していて、思わず眉根を寄せる。

 かつて学生だった頃、友人たちとの大して興味ない話にも相槌を打ち、流行りと呼ばれるものをひたすら追いかけて、何とか孤立しないように立ち回っていた。規則ばかりでがんじがらめになった不自由な生活の中で、なんとか息をしているわたし。

 その時は、早く大人になりたがっている自分がいた。きっと一段ずつ大人への階段を登るたびにできることが増えていって、こんなふうに小さな事でクヨクヨ悩むこともなくなるのだと思っていた。時間もお金も自由に使えて、やりたいことはなんだってできると信じていたのだ。

 目の前には、ただ明るい未来が広がっている。道はいくつも分岐していて、選択肢がいくつも転がっている。でも、少しずつ歩みを進めるごとに、はっきりとしてくるものがある。自分自身の限界。

 ここまでしかできないんだ、と気づくことが増えていく。興味関心の対象が絞られる。仕事だって、思い通りにままならない。

 時にはなんのために生きているのか、わからなくなったこともある。大人になれば、嘆くことも憂うこともなくなると思っていたのに。理想と現実は、どちらも手を伸ばすにしては程遠い。自分の中にある情熱が燻っていくことを、自覚する。

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琥珀色の街に溺れる

年を重ねるにつれ、そこに様々な不協和音が紛れ込んでいくことになる。
それまでは見えていなかったこの世界の側面や大人が奉じる価値や、白黒でくっきり割り切ることができない複雑な事情などが徐々に視界に侵入してきて、無視できなくなっていく。

『ドクダミと桜』平山瑞穂 p.117

 完全無欠だと思っていた大人の世界は、いざ自分がその世界に足を踏み入れてみると、もしかしたら子供の時より我慢しなければならないことが増えた分、とてもとてもより苦しいかもしれない、と20代後半の頃考えるようになっていた。

 確かに行動の範囲も広がったし、幾多もの経験を重ねて、考え方も価値観も昔よりは深みが増したように思えるのに。どうしようもなくこの瑣末な生活の中で、一人取り残されたような気分になってくる。語るべき言葉が、パチンパチンとただ消えていくのだ。

 胸が苦しくて、どうしたものかなぁと思った時には、親戚からもらった年代物のウイスキーを取り出し、キュポンと蓋を取り外す。ロックグラスに、コポコポと流し入れた。琥珀色の液体が、ゆらゆらと揺れている。感傷的になりそうな日は、あえて悲しい映画を選んだ。

 世界の理を紐解いていくと、なかなか白と黒で割り切れないものもあることを知り、胸がジクジクと傷んだ。いつになったら、人同士の間にある深い隔たりを埋めることができるのだろう。自分とは関係のない日常が、ふとした拍子に熱を帯びて絡まっていく。

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眠れない夜をいくつも過ごした

大人になるというのは、1人で眠ることじゃなくて、眠れない夜を過ごすことなんだ。

『さくら』西加奈子 p.149

 じっと暗い闇の中で目を凝らし、耳を澄ませていると、遠くから何か見えるような気がしてくる。わたしが幼い頃に思い描いていた自分の姿が。可能性を秘めており、誇るべき自分の影が。追いつけないことを認識しつつも、その影を追い続けている。

 ただただ、足を止めたくなかっただけだった。少しでも、昨日の自分よりも明日の自分が成長していることを証明したくて、興味があるものに片っ端から片足突っ込んだ。夢中になれるものを、ただ懸命に探していた。昔、北海道において真っ暗闇の道をひたすら自転車で走ったことを思い出す。

 時には自分のエゴから生み落とされた手痛い失敗によって、夜眠れなくなった日もある。胸が本当にどくどくとなって、頭がぐるぐるとする。旅をして、その土地その土地で生きている人たちのことを思い浮かべた。大人になるということは、人生を諦めることでも現実に争うことでも無いような気がしてくる。

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ないものねだり

「私が泣くのは大人になりすぎたからだよ」と彼女はしゃくりあげながら言う。「年とって変てこだからだよ」

『誕生日の子供たち』トルーマン・カポーティ p.124

 ああ、わたしは何でこんなにも人と違うんだろう、とどうしようもない苦しさが芽生えることもある。その度に、たくさんの人や本、映画に救われている自分がいることにもハッと気が付く。

 便利な世の中だ。手を伸ばせば、たくさんのものが手に入る。それさえままならない人だっているのに。わたしは、きっと恵まれている。日々を生きていれば、辛くて悲しいことだって数多くあるけれど、そればかりに囚われて日常を生きるのは損だ、と思う。

 結局ないものねだりで、子供の時は大人になりたいと思っていたけれど、大人になったらなったで昔に戻りたいなんて思うわけだ。今すぐ手に入れることができないものばかり、人は欲する。

 でも、でもね。今の自分をありのまま受け入れることが、正しい大人の姿なのかもしれない。ただ静かに、ひっそりと受け入れること。自分の今の限界を知ること。それで自分の人生は、終わりではない。確かに外に向かって道は放たれていて、その先を見据えられるよう考え続けている。

 そうだ、と頭の上に電球がポンと浮く。大人であることで、得られたことは山ほどある。そのカケラを拾い集めたら、確かな愛の形が芽生えるのかもしれない。人との関わり、ものとの関わり、自分との関わり。自分一人では生きられないという事実に対して、できないからこそ、誰かと共に進むことのできる道を探している。

 今まで辿ってきた道に想いを巡らせて、部屋の電気をパチンと消した。今日もきっと、夢のない夜を過ごすに違いない。琥珀色の景色は、少しずつ熱を帯びて色が変わっていくような気がした。


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