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読後感想文:『消滅世界』

正常ほど不気味な発狂はない。だって、狂っているのに、こんなにも正しいのだから。(河出文庫・p.248)

 今わたしが生きているこの瞬間は、何か意味があるのだろうか、そしてこの先何が待ち受けているのだろうかと思うことがある。その延長線上の思考の中に、わたしがわたし自身たりうるその存在を築き上げているのは、いったい何なのだろうかとよくわからなくなってしまう。

 昔何かの紹介番組の中で、村田沙耶香さんの『殺人出産』という本の特集を見た。その時に一度読んでみたいと思ったまま、その気持ちがずっとくすぶり続けていた。(まだ結局読んでいないという…)それがあるとき『コンビニ人間』という作品が芥川賞になったと耳にしたとき、同じ作家の人ではないか!ということで急いで書店に行って本を購入した覚えがある。

 それから気づけば数年たち、今回図書館に足を延ばしたら村田沙耶香さんの本が置いてあったので、手に取ってみた。『消滅世界』というタイトル。その名前を見た瞬間からこの作品はきっと面白いに違いない、というわくわくにも似た気持ちでページをめくった。

 そのわたしの予想は折しも的中し、読み始めた瞬間からすぐに物語の中に取り込まれてしまった。そしてあれよあれよという間に、完読。その間物語に引き込まれてしまった反動で、すぐには現実世界に戻ってくることができなかった。

■ 物語のあらすじ

主人公が生きている世界では、「セックス」は時代遅れの産物として捉えられるようになっていた。ある時を境に、人工授精で子供を産むことが普通になり、恋愛と家族は切り離されて捉えられるようになる。そしてやがて千葉県で、大人たちが『おかあさん』として、人工授精で育った不特定多数の『子供ちゃん』を育てる社会を、実験的に構築する試みが行われる。


■ 性行為が過去の風習

「アダムとイヴの逆って、どう思う?」(河出文庫・p.7)

という一文から始まり、やがて徐々に主人公の雨音を取り巻く世界が明らかになっていく。雨音の世界では、人工授精をして子供が生まれることが当たり前になり、性行為自体が廃れた風習になりつつあった。

 恋愛自体も、あまり積極的に行われるものではなくなっている。人々は、二次元アニメに本気の恋愛をして、時には実際に生きているヒトとも恋をする。一方で彼らは物心ついた時には避妊処置を施され、性行為をしたとしても自力で子供を産むことができない。

 たとえ結婚していようが、お互いが自分たちの恋人を連れてきて一緒にご飯を食べるということがありふれた光景になっている。おまけに夫婦で性行為を行うものなら、それは近親相姦として訴えられる有様。

 何やら今のわたしたちが生きている世界でいうと、なかなか異様な世界ではあるものの、それが雨音を取り巻く「正常」な世界の形なのだ。

恋愛という宗教に苦しめられている私たちは、今度は家族という宗教に救われようとしている。
「家族」と口にするたびに、自分が何かに祈っているような気持ちになる。
きっとこれは、宗教なのだと思う。その言葉を口にするたびに、私たちは心身深い信者になっていく。(河出文庫・p.96)

■ 家族システムと楽園システム

 この世界の冒頭では、歪ながらも夫婦が人工授精をして生まれた子供と一緒に過ごす形が一般的だった。これは、「家族システム」。

 一方で、物語の中盤くらいから千葉県を実験として進められたのが「楽園システム」だ。これはコンピュータで機械的に選ばれた住民が人工授精を行う。そしてなんと、技術の発展により男性も人工授精できるようになっている。

 そんな風にして生まれた子供たちは一律に一箇所のセンターへと集められ、ある程度育った段階で街へ放出される。その世界では、すべての大人がすべての子供の「おかあさん」だ。

 正直誰が誰の子供かもわからない。不特定多数の『おかあさん』によって育てられた子供たち(楽園システムでは『子供ちゃん』と呼ばれている)は、画一的な表情しかしない。

 最初は違和感しか感じなかった雨音も、次第に巨大な構造を描く楽園システムの中に飲み込まれていく。異常だと感じていた世界に身を置くことで、だんだんその世界が自分にとっての「正常」に姿を変えていく。

■ 母親の存在が示すもの

 雨音自体は、母と父の性行為の末に生まれた存在だった。雨音が物心つく頃には、性行為で生まれること自体が一般的ではなくなっており、周囲からは怪訝な目で見られる。母親は人工授精ではなく性行為によって子供を産むことが「正常」な世界だと雨音に訴えるが、次第に雨音はそんな母親を時代錯誤の人間として疎んじるようになる。

 全てを読み終わった時、雨音の母こそが雨音自身が欲していた「正常」とな世界と雨音を繋ぐ鍵になっていたのだと思った。それだけに、最後の終わり方はなかなか衝撃的だったし、何か自分が考える「正常」な世界と現実世界との間に挟まれた人の末路を見た気がした。

 

 最後まで文章を読み終わった時に、「正常」って一体何を指すのだろう、と少し考え込む。少なくともわたしが”今”正常だと考えているものは、あと数十年経ったら正常でなくなっているかも知れない。かつて、戦争が起こったときに、それが正義だと謳われていたように、この世界の「正常」は時代の流れとともに形を変える。

 雨音の夫が発した言葉が、頭の奥から離れない。

変化した僕らに追いついて、世界が形を変えつつある。
本当は、僕らはもうすでに失っているんだよ。(河出文庫・p.173)

 「正常」が目まぐるしく変わるこの社会の中で、確かに順応したいという自分と、いやいや自分が信じるものに縋りつきたいと思う自分がいる。世界の基準はいつだってあやふやだし、そんな時にはどこまでも青い空とかただ渾然と揺蕩う静寂なる海を眺めて、今の自分の立ち位置を確かめてしまう。




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