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#72 パンケーキ、そして窓辺にて鼻歌

おひとり様、優雅な土曜日のすすめ

 朝6時、スマートフォンがプルプルと音を立てている。長期休暇も残り僅かとなっていたが、不思議と寂しさは感じなかった。前々からこの日はきっちりと外に出ようと計画をしていた。急いで布団から這い出し、歯を磨き、そしてとりも直さず急いで玄関の扉を開ける。初夏だというのに、心なしかもう夏の真っ只中に差し掛かったかのような日差しが伸びている。

 そのまま電車を乗り継ぎ、森下駅へと向かう。目的地は、「東京都現代美術館」。コンテンポラリー・アートを中心に展覧会を行っている場所だった。前々から「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展に行きたいと思っていて、ようやく行けるタイミングだった。事前にチケットを取ろうとしたらすでにWebでの予約券は完売していて、あとは当日券だけだという。

 そして会場についてびっくりしたのだが、8時前にも関わらずすでに100人ほどが美術館の前にずらずらと並んでいるではないか。中にはスーツケースを抱えて並んでいる人たちもいる。思いがけない光景にびっくりしてしまった。前にも他の展示会で訪れたことはあるのだが、その時はすんなりと中に入れた。な、何が起こっているのか。

 仕方なく、慌てて列に並ぶ。少しずつ日は登り、気がつけば無機質なコンクリートに光が照っている。私が並んだ列の途中は日差しをもろに受ける場所だった。チリチリと首元が焼ける匂いがした。スタッフはチケット購入まであと2時間ほどかかりまーす! と言っている……。うげ、と思わず口にしそうになった。うーんそこまで並ぶだけの耐久力が私にあるのだろうか。

 やれやれと思っていたら、隣に並んでいた青年が声をかけてきて、「何時のチケットが欲しいんですか?」と突然言う。私は若干の胡散臭さを感じていた。展覧会は時間制で、私はできる限り早い時間帯で見たいと思っていたが、恐る恐る彼にそのことを伝えると、「うーん16:30なら空いてるんですけど」と言う。

 彼によれば、Webでの事前予約券は時々キャンセルが出るのだという。これは場合によっては渡りに船だと思った。日差しの暑さによって、若干クラクラしている。いいことを教えてもらった。横で並んで一心になってサイトをリロードし続けること10分、めでたく二人ともずっと列に並ぶことなくチケットを入手することができた。何事も、この世の中には抜け道が存在しているのか。

 あまりにも呆気なさすぎて少し拍子抜けしてしまった。二人でなんとはなしに、笑い合う。「これ、みんな知らないですよね」少し悪い顔をして彼は言った。ギンギンになってスマートフォンを眺める間で彼と話をしたのだが、実は今ベトナムの縫製工場で働いていて、一時的に帰ってきているのだという。不思議な縁だと思った。私たちは特に抱き合うことなくそのまま別れたわけだけど、そこはかとない余韻があった。

*

パンケーキとビターな珈琲

 チケットに指定された時間までの間(13:00からだった)、少しコーヒーが飲みたくなってまた森下駅まで戻り、喫茶店へ入った。昔懐かしいパンケーキが出てきて、店員さんが「シロップを満遍なくかけてくださいね」と言い残して去っていく。少し固めの生地で、私好みだった。トロトロとした甘さに、美味い、と声が漏れた。お供は、にがさ99%のビターコーヒー。

 やがて時間になってまた現代美術館へ戻り、ゆっくりと展覧会を見て回った。この世のおしゃれな女子たちがみんなこぞってディオールが好きな理由がわかった。みんな、きっと夢と希望を抱いて生きている。また別記事にて、この時のことは書こうと思う。

 無事展覧会を見終えたあとは、その足で目黒シネマへと向かった。いわゆる名画座と言われるもので、通常の映画一本分よりも安い値段で2本みることができるなんともお財布に優しい映画館。私はこの場所のゆるい雰囲気が好きで、気になる映画があると時々通っている。

 ちょうどスタンプが五個貯まったので、タダで入ることができた。ラッキー!

 この日、1本目は松居大悟監督の『手』という作品。『ちょっと思い出しただけ』という映画で、松居大悟さん自体は知っていた。池松壮亮演じる元ダンサーをめぐる物語。クリープハイプの音楽も好きだったし、たまたま僕らの時代で対談を見たしで結構思い入れがあった。

 そして映画自体はなんの事前情報もなくぼんやりと眺めていたわけだが、なんとロマンポルノだった。真昼間にげ、と思って観ていただけだが、まあきちんと最後まで見てみるといやらしいと一言で終わらせてしまうにはもったいないくらい、いろいろと考えさせられる映画だった。そもそも、いやらしいと思ってしまうこと自体偏見だと自分を恥じる。

<あらすじ>
おじさんの写真を撮っては、コレクションするのが趣味のさわ子。これまで付き合ってきた男性はいつも年上ばかりなのに、父とはなんだか上手く話せずギクシャクしていた。そんな時、同年代の同僚・森との距離が縮まっていくにつれて、さわ子の心にも徐々に変化が訪れる―――。

『映画.com』より引用

 という感じで、主人公の父親とのギクシャクした関係性が見えて、彼女が抱えるコンプレックスみたいなものの正体を見た。きっと、みんな人に言えない寂しさを抱えていて、それを必死で隠そうとして、それからその寂しさでポッカリと空いた心の隅を何かで埋めようとして生きている。原作は、山崎ナオコーラさんの同名小説。機会があれば、ぜひ本を読んでみたいと思った。これはきっと、不器用な愛の行き着く先だ。

*

宵闇に鼻歌歌う

 それから2本目は、今泉力監督の『窓辺にて』。もともとこの作品がとても見たくて劇場に足を運んだわけだが、その期待は裏切られることなく、むしろその期待を大きく超えるほどの面白さだった。

 もう映像も好みだったし、演じる人たちの演技も本当に素敵だった。ほとんど似たような構図で進み、劇的なドラマもなくて淡々と進んでいくのだけど、映画の中に出てくる登場人物たちの心の揺れ動く様が手に取るようにわかって、ズキズキと胸が痛んだし、共感もした。

<あらすじ>
フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。

公式HPより

 主人公である市川の、おそらくは通常の人が持つであろう感情の欠落による痛みを感じる。市川はひどく思い悩んで意を決して他の人にもそのことを話していく。聞いた相手の答えはさまざまだった。見終わった時に、もし私が相談される立場であったなら、どんなふうに答えるのだろうかと考えた。親しい友人から同じように悩みを打ち明けられたら。

 でも、きっと人はみんな誰かに言えない人とは違う部分を持っていて、それこそが人たらしめるものではないかと同時に考えてしまうわけだ。違うことに思い悩んで、苦しんで、でもその特異な点こそが自分らしさなのだと受け止められるのであれば、真の意味で先に進むことができるのではないかと思ってしまう。まあ、現実はそんな単純ではないし、私自身もいろいろと自分のことに対して思い悩んでいるわけだけど。

 映画を見終わったあと、すっかり日が暮れていて、あれほど蒸し暑かった朝とは打って変わって少し肌寒かった。なんとなく私は気持ちが良くなって、その場で鼻歌を歌う。

 自分自身の、人とは異なる思い悩んでいることを告白した時。それを受け入れてくれる人こそが、たぶんこの先もずっと付き合っていきたい人なのだろう。そしてそれはきっと、たくさんじゃなくていい。指で数えられるくらいの人たちと共に、その人たちのことを思いながら生きていくことが一つの幸せなんじゃないかな。ああ、私も窓辺で微睡みたい。

↓最近、ふとした拍子に口ずさんでいる鼻歌


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