ドレミファ・トランプ 第二話 夜空と四葉(5)
バシンッ。
破裂音が音楽室に響く。
大愛の足に硬い感触がじんっと響いてくる。
大愛の足は、女子生徒の顔面を捉えていなかった。
大愛の蹴りは、二人の間に入った人物によって防がれていた。
「櫻井……」
大愛は、呆然と呟く。
「ナーイスキック」
櫻井夜空は、にこっと笑う。
大愛の蹴りは、夜空の左手の平に見事に防がれていた。
「初段くらいなら立派に通じる威力だぜ」
夜空は、笑いながら大愛の足を離す。
「あんた……なんで?」
大愛は、呆然と呟く。
「約束してたろ?」
夜空は、拗ねたように唇を尖らす。
「教室行ったら誰もいないと思って探したら突然、ピアノの音が聞こえてきたんだよ」
「あっ」
大愛は、背後のピアノに目を向ける。
さっき、怖くてぶつかった時に鳴った音。
まさか部屋の外で夜空の耳に届くなんて。
「来て見たらびっくりだったぜ」
夜空は、和やかに笑い、そして真顔になる。
「お前の足は喧嘩の道具じゃなくて生きる為のものなんだろう?」
夜空は、目をきつく細めて言う。
「こんなことに使うな」
怒っている。
夜空がこんなに怒っているのを見たのは……初めてだ。
「櫻井!」
助けられた女子生徒は、声を上擦らせながらゆっくりと立ち上がる。
「ありがとう。助かったよ。その女がいきなり私に……」
「うるせえ」
夜空は、首だけ後ろに向けて女子生徒を冷たく睨みつける。
女子生徒の顔が青ざめ、後退る。
「お前ら……何やってんだ?」
夜空は、目をきつく細めて女子生徒達を睨む。
「わ……」
女子生徒は、声を震わせ、大愛を指差す。
「私達はその女が四葉さんに絡んでるのを見て助けようとしただけよ!」
女子生徒が言うと他の生徒達もそうよ、そうよと同調する。
夜空は、女子生徒達の後ろにいる四葉を見る。
「そうなのか?四葉?」
夜空に聞かれ、四葉は眼鏡の奥を震わせながらも首を横に振る。
「私は……神山さんとお話ししてた……だけ」
四葉の言葉に女子生徒達は驚愕と悲壮の混ざり合った表情を浮かべる。
「やっぱりな」
夜空は、肩を竦める。
「神山がそんなことする訳がない」
「何でそんなこと言い切れるのよ!」
女子生徒は、ヒステリックに叫ぶ。
「あんたにあの女の何かわかるのよ!」
女子生徒は、夜空の後ろにいる大愛を睨みつける。
大愛は、もう怯えることなく睨んでくる女子生徒を睨み返す。
「分かるよ」
夜空は、はあっと息をを吐き、髪の毛を掻く。
「いつも一緒に昼飯食べてんだ。人柄ぐらいは余裕で分かる」
一緒に食べている……その言葉に四葉が小さく反応するが誰も気づかない。
「あんたが勝手に来てるだけだけどね」
大愛は、半目で言う。
「うるせえ」
夜空は、むすっとする。
「この女は……赤札小なのよ」
もう一人の女子生徒ぎ恨めがましく唸る。
「なんで庇うのよ?」
「そうよ!」
「赤札小なんていつも喧しくていい子ちゃんぶってウザいのよ」
「馬場だってちょっと揶揄っただけなのに私達のせいにしてきて」
「本当迷惑」
女子生徒達の言葉に大愛は顔を歪めて奥歯を噛み締める。そして怒りに顔を赤くして前に出ようとするのを夜空が腕を伸ばして制する。
「お前ら……いい加減にしろ」
夜空の口から放たれた腹の底から冷えるような声に女子生徒達は凍りつく。直接向けられた訳でない大愛も思わず固まってしまう。
「自分たちの行いを正当化してんじゃねえぞ。潰されてえのか?」
夜空は、冷たい眼差しを向け足を一本前に出す。
女子生徒達は同時に短い悲鳴を上げる。
「これ以上くだらない言葉を吐くな。それこそ黒札小の名折れだ」
夜空は、静かな、しかし燃え盛る怒りを携えた目で女子生徒達を睨む。
「行け」
夜空は、短く、冷たく言う。
「次に神山に絡んでるのを見たら本気で潰す。男だとか女だとか関係ない。黒札か赤札かなんて知ったことか」
夜空の目の怒りがギンっと膨れ上がる。
「俺の友達を傷つける奴は誰であろうと絶対に許さない。それでもやるなら覚悟しろ。いいな?」
夜空の言葉に女子生徒達は小動物のように震え上がり、悔しそうに唇を噛み締めながら教室から逃げるように去っていく。
一人残された四葉は眼鏡の奥の目を丸くして彼女達の出ていった扉を見て、夜空は「まったく」と呟いて大きく息を吐く。
大愛は、急激に身体から力が抜けていくのを感じた。
膝がガクガクと震え、歯が噛み合わない。
今になって恐怖がダムが決壊したように襲ってくる。
大愛は、立っていることが出来ず、その場に崩れ落ちそうになる。
「おっと」
細く、強い何かが崩れ落ちそうになった大愛の身体を支える。
夜空の腕だ。
その見た目からは想像も出来ない力強さと熱さに大愛の心臓が大きく高鳴る。
「大丈夫か?」
夜空は、大愛の身体をそっと支えてピアノの椅子に座らせる。
「神山さん!」
四葉も慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫?ごめんなさい!怖い思いをさせて!」
四葉は、眼鏡の奥の目に大粒の涙を溜めて必死に謝る。
「大丈夫だよ。貴方が悪い訳じゃないから」
大愛は、青ざめた表情に何とか笑みを浮かべて言う。
「でも……」
「そうだよ。四葉」
夜空は、四葉の綺麗な黒髪の上に手を置く。
「お前は怪我ないのか?」
夜空は、優しく笑みを浮かべる。
「なーちゃん……」
四葉は、涙に濡れた目で消え入りそうな声で呟くと頭の上に置かれた夜空の手を握って、下ろし、自分の頬に当てる。
大愛は、その行動に目を丸くする。
「ありがとう……大丈夫だよ」
四葉は、自分の頬に当てた夜空の手をぎゅっと握り小さく笑う。
「そうか……」
夜空も安心したように微笑む。
二人の間に流れる優しく暖かな空気が流れる。
それだけで大愛は、二人がどんな関係であるのかを察した。
「さてと……」
夜空は、もう片方の手で髪を掻きながら大愛を見る。
「悪かったな。うちの馬鹿共が迷惑かけて」
夜空が謝ると四葉も夜空の手を頬から離して頭を下げる。
「謝らなくていいよ。さっきも言ったけどあんた達が悪い訳じゃないから」
そう言って大愛は、椅子から立ちあがろうとするも、まだ膝が震えてよろけてしまい、慌てて夜空が四葉から手を離して抱きかかえる。
「無理すんな」
「大丈夫だから……離して」
大愛は、頬を赤らめて言う。
チラリと四葉を見ると心配そうに大愛を見ていた。
「今日はもう無理っぽいな」
大愛を再度、椅子に座らせて夜空は眉を顰める。
「今日?」
大愛は、呟いてから、ああっそうだ。これから私は夜空の言う部活を見にいくところだったのだと思い出す。
「また今度だな。まあ、慌てるようなもんじゃないしさ」
夜空は、ははっと笑うもどこか残念そうだった。
大愛も今から見にいくなんて気分にはとてもなれなかったので「そうだね」と力なく言った。
「それじゃあさ」
唐突な四葉の声に大愛と夜空は同時に彼女を見る。
四葉は、二人の視線に「ひっ」と怯えたように小さな悲鳴を上げるも、眼鏡の奥の涙を人差し指で拭いて二人を見る。
「神山さん、今度の日曜日ってヒマ?」
四葉の言葉に大愛は驚きながらも「予定はないけど……」と答える。
「それじゃあ見にきてよ。私たちの部活!」
「へ?」
大愛は、思わず間抜けだ声を上げて夜空を見る。
夜空も驚いたように四葉を見る。
「私もね。なーちゃんと同じ部活なの」
「そう……なんだ」
仲良さそうな二人を見ていればそれは想像するに難しくないことだ。
しかし……。
(四葉さんと櫻井の……部活?)
二人が一緒にいるのは想像できても共通の部活がまるで想像できない。
完全な体育会系の夜空と成績優秀な見るからに文系の四葉の共通する部活……。
ちょっとメジャーで古臭い部なもんで……。
まさか百人一首とかではないだろう?
「神山さんには是非、見に来てほしい!」
四葉は、ぐいっと顔を大愛に近づける。
薄く綺麗な顔が近寄ってきたので思わず大愛は顔を反らす。
「どおっ神山さん?」
四葉の吐息が頬に触れる。
「分かった……見にいくよ」
大愛は、観念したように言う。
「櫻井が指定した教室に行けばいいのかな?」
大愛が聞くと四葉と夜空は互いに顔を見合わせ、そして首を横に振る。
「場所はBEONの屋上だよ」
「えっ?」
意味が分からず聞き返す。
「昼前くらいに正面入口で待っててくれ。俺が迎え行くから」
夜空は、にっと笑う。
「楽しみにしててね」
四葉も小さく可愛らしく笑う。
大愛は、訳も分からないまま波に乗るように思わず頷いた。