見出し画像

学生オーケストラという青春【後編:コロナに負けるな】

【前編】では、現在も学生オーケストラでヴィオラトップ(首席奏者)を務める私の視点から、学生オケのどこまでも純粋で熱い青春について紹介した。

現在音楽・ライブ業界はコロナの影響で大打撃を受けている真っ最中であると思うが、学生オケも例に漏れず非常に苦しい状況にある。【後編】では、学生オケが今どれだけ崖っぷちの状態にあるのか、そしてどうすればそこから脱却できるかに焦点をあてたい。

2つの危機的状況―1. 組織維持

前回の記事ではプロのオーケストラと学生オケを比較して学生オケの特徴について述べたが、その中で紹介していなかった特徴の1つに、「団員が代替わりする」というものがある。

プロオケは団員一人ひとりが雇われて演奏しているので、一気にメンバーが入れ替わることはめったにない。
しかし学生オケは必ず毎年卒業する代と入団する代があり、毎回の演奏会ごとにオケを構成するメンバーがかなり異なる。それでも、お客さんにとっては同じオーケストラである。中のメンバーが多少変わっていようと、普通は気に留めたりしない。だから私たちには、次世代の団員に代々引き継がれてきた「(団体名)」のバトンを渡す義務がある。新歓活動と下回生の教育は学生オケにとって極めて重要な活動なのである。

それで、今年はというと、私の通っている大学は新学期が始まってからまだ一度も対面授業を実施していない。当然、課外活動が許されるわけがない。
仕方なく、Zoom対談方式で新歓活動を行ったところ、ありがたいことに想定外に多くの新入生が入団してくれた。しかし、下宿先で音を出せる団員が少ないことから、遠隔で後輩の指導をすることもかなわず、下回生の教育の面ではほとんど打つ手がない状態だ。

そもそも、私たち上回生もほとんど練習ができていないので、後輩を教育する前に自分たち自身の技量もおそろしく低下していると思われる。個々人の技量だけでなく、週に3回の練習によって保たれていたアンサンブル感覚も雲散霧消していることだろう。どこから手をつけたらよいのかと、途方に暮れてしまう。

演奏会は開催できるのか

そもそも学生オケは定期演奏会を開催することを活動の主軸としているが、いつからまた元の形で「オーケストラ」の演奏会が開催できるようになるのか、先を見通すことが全くできないという現実がある。

予定されていた夏の定期演奏会は延期が決定し、演奏旅行は中止になった。

冬の定期演奏会のころには再びオケができる状態になっていると仮定して今もその計画が動いているが、果たして学校側が課外活動をいつから許可するのか、舞台上に全員を乗せることができるのか、お客さんが呼べないなら収入はどうすればよいのか、といった難問が山積している。

学生オケはそもそもプロと比べて演奏機会が少ないため、定期演奏会の1回1回で見込める個々人の成長度合いが大きい。1回定期演奏会ができなくなれば、それで得られたはずのものをすべて失うことになってしまう。これらの問題によって定期演奏会が開催できなくなれば、先ほど述べた下回生の教育・団員の技量低下問題によって、今以上に苦境に立たされることになる。

もし万が一本当にそうなったら、実力のあるOB・OGの力は借りつつも、これまでの長い伝統に縛られず自分たちも含めてオーケストラを1から作り直すしかないのだろう。


2つの危機的状況―2. 団員の「オケ離れ」

個人的に私が一番危惧しているのが、この状況である。

下宿先で音を出せないから練習できない。合奏練習がないから練習のモチベーションが湧かない。技量が低下しているのを知りたくない、見たくない。課題が多い。就活が。…理由はいくらでも思いつく。気持ちはわかる。というか、私自身がこれに陥ってしまっている。

学生オケを根本から支えていたはずの「オケがやりたい」「音楽が好き」という気持ちが、団員から離れてしまっているのだ。

オーケストラをやるために、団員は多大な負担を強いられていることは【前編】で述べた。音楽をやるためにはお金もかかるし時間も労力も必要だ。人によってはインターンなどの機会も失うし、プレッシャーで精神を病むこともある。でもそれは、「みんなで」純粋に音楽を追求するという楽しさによって乗り越えられた障壁だった。「誰かと一緒に」演奏したり、議論したり、といった交流があれば、どんな苦労にも耐えられた。

集まって練習することができなくなった今、もはやそのモチベーションを保てなくなってしまった。上達のために「時間」と「労力」を費やそうという気になれなくなってしまった。

そうしているうちに月日は流れ、次第にオケのことを思い出す瞬間が減っていく。オケで過ごした熱い青春の日々は、遠い過去の美しい記憶になっていく。目の前には、ただZoom授業と、大量のレポートと、インターンのエントリーシートと、その他なんでもない日常だけがある。就活のことなんて、オケをやっていたら今頃考えもしなかったはずなのに。私たちはもはやオーケストラの団員ではない。何も誇れるもののない、ただの大学生になってしまった。

コロナに負けるな

どんなにがむしゃらに打ち込んだとしても、私たち学生にとって、音楽は仕事ではない。だからこそ、周囲の評価や人目を気にせず「好き」を極限まで突きつめることができたし、逆に言えば、「好き」がすべての原動力だった。

何よりも大事なのは、団員一人ひとりがもう一度音楽をやりたいと思えるかだ。

どんなに自分が下手になっていても、これからの世界が音楽をやる上でどんなに不便でも、また音楽をやりたいと思う気持ちさえ持ち続けられれば、まだ努力の道筋が見える。無念なことに定期演奏会がなかなか開催できずオーケストラが解散寸前になったとしても、立て直そうという気持ちさえあれば、またあの時のようにがむしゃらに、「学生オケ」なるものの輪郭を探すことはできる。

オーケストラに限らず、音楽は「3密」を前提とする活動である。お互いの呼吸の読み合いと、発された音による空気の振動と、視線と視線の交換があってはじめて、奏者は真に「音楽をする」喜びを感じられる。その喜びがなければモチベーションが保てないのも無理はない。

であれば、いきなりオーケストラの練習を再開するのは不可能でも、小編成のアンサンブルからで良いので、やはりもう一度音楽をしてみるのが1番いいだろう。それが難しければ、過去の演奏会の映像を見るなどして、その喜びを思い出したい。
そこで喜びを噛み締めた上で、また集まってオーケストラができるようになるその日まで、離れていてもできることはないか模索していく。たとえ家で音が出せなくても、もしかしたら音を出さずに楽器を練習する方法があるかもしれない。楽器の練習に限らず、様々な演奏を聴いて「耳を鍛える」ことも可能だ。音楽史や音楽理論の勉強だって、楽器が弾けない今だからこそできる。まだまだ、考えれば考えるほどアイデアは浮かんでくる。

私たちアマチュアプレーヤーにとって、コロナに負けないためのたった一つの方法は、「また音楽がやりたい」と思うこと、たったそれだけのことなんだと思う。

***

やや「お気持ち論」に陥ってしまった感は否めないが、やはり学生オケの本質は「音楽が好き」という熱い思いである。これがないことには、私たちはアマチュアのオーケストラ団員にはなれない。
かつて多くの人を感動させ、また自らも生きる糧としていたあの熱量を取り戻すために、危機を自覚するいち団員として、学生オケの復興に全力を尽くしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?