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いつメン舞台が嫌いという話(反省・悔しさ・宣伝美術として編)

「いつメン舞台が嫌いという話」というテーマ、3つの観点から記してきましたが本日は「反省・悔しさ・宣伝美術として編」です。これまでの投稿と重複する部分も多いかとは思いますが、まとめとして読んでいただけたら嬉しいです。

作る側のことを知っているからこそやきもきする

お馴染みのメンバーによって作られている舞台はとても多いです。私が携わる案件の中でもいくつもあります。私にもよく一緒になるメンバーがいます。そこには信頼関係があるし、トラブルや困った時にもこの人がいるなら大丈夫という安心感もあります。だからこそ作ることに集中できる、そう言い切ることができます。

しかし、外側から見た時に「またこのメンバーじゃん」となることも知っています。スタッフワークに関してはネガティブなイメージは少ないものの、役者に関してはネガティブなイメージになるケースの方が多い(リスクの方が高い)ことも。

公演を作るということに関してはよそ見などせず、メンバーが決まればそのメンバーで、すべてを愛する・愛せるように・愛されるように真摯に作り上げていく。ただ、それだけ。そこに嘘偽りは無く。

作ることに携わっている以上、絶対に口に出してはいけないことだと思っていました。

だけど、やっぱりどうしても黙っていられなかった。「私はキャスティングに携わっていないし、決めるポジションの人にはその人の思いや考え、いろいろな事情があるだろうからさ」と受け入れるだけ・流すだけということができなかった。

作品の良し悪しとは別に、キャストが公開になったタイミングでイメージに足を引っ張られるってことが多過ぎて悔しいんですよ!

ちょっとほんとに!ばーか!ばーか!ばーか!

って思う公演いっぱいあるから。好きな団体でもそれはあるから。好きな役者であっても「え?嘘?また出るの……?」っていうのあるから。この辺りは個人の感覚と好みが大きいとわかっちゃいるのだけれどね。

でもやっぱりバランス感とか程度というものはあると思うわよ。

現に私がもっとも巻き込まれるポイント、色恋の話にうんざりしているという部分も多分にある。役者はもっと「社内営業的な視点」をもって活動なさいよと思う。仲が良いとか信頼してるとか、そんな理由正直通用しないことばかりだよ。そして周りの連中はなぜ私に聞いてくるのだ?とも思う。

事情通にでも見えるんだろうか。

「誰と誰が付き合っている」「彼の元カノが誰某で今付き合っているのが実は……」とか全然興味ないんだけどどうしよう。(興味はないがさすがにだらしないのは「キモッ!」っと思うし引く。)鋭いので、それと知らずに言い当てる(うっかり)率が高いからだろうか。悪気はないのに。

いずれにせよ、周囲に迷惑を掛けない範囲、気をつかわせない範囲でお願いしますということ。

それはお稽古場でも劇場でも言えることで。お稽古場なら他の関係者に気をつかわせるようなことはNGだし(お互いがお互いの時間を頂いてお稽古しているのですし)、劇場となればお客様にチケット代と時間を頂いてのことなのですし。

舞台公演も役者も「商品」です。

公演って自分たちだけのものではないじゃない?(※「いや?自分たちが楽しみたいからだよ?」とかいう輩は他人様からカネ取って上演なんかするんじゃねえ!という話ですネ。)

そうするとやはり第三者の目、お客様からどう見えるか外からどんな印象を持たれるかは絶対に意識しなくてはならないのですよ。だってそれは「商品」なのだから。

高級ショコラトリーのギフト、ボックスに入った色とりどりのボンボンショコラみたいなものです。

たっかいお金払って買ったそれがさ、溶けたり潰れたりしてたらそりゃショックじゃないですか。(余談ですがチョコレートの話。わたくし、ラ・メゾン・デュ・ショコラが好きなのですけれど、ボンボンショコラ6粒で約3000円します☆高い!引く!でも好き!)

ぐちゃぐちゃだったらクレームものよね。舞台は「ハズレだった、悔しい。」とお客様の胸の内で完結することが多いだろうけど。それに甘えちゃいけないよって。

お客様のことを本当に考えているのか

この認識が甘いような気がするのですよ演劇業界。今自分が民間企業の営業部で販促関係に携わっているから思うのかもしれませんが。お客様のことを考えるという感覚が甘い。

制作とか広報とか、外部と接するセクションの力だけを頼り、甘えていては駄目なのよ。

制作をお母さん呼ばわりするのは演劇あるあるですが、制作はお母さんじゃないからね!嫁だからね!甘え過ぎたら逆三行半かもよ?いや、何の話だ。

演劇を通して見たい世界、まだ見たことのない景色。

作る側も受け取る側も気をつかうことなく気持ちよく、ただまっすぐに一つの作品に触れあいたい、そういう理想があるという話なんです。それができたらどんなにか演劇はたのしいものとなるだろうって思う、それだけなんです。

宣伝美術として思うこと、求めること。

商品を売るためのツールを作るのが宣伝美術の役目なので強くそう思います。作り手と受け手を結ぶ、共有できるイメージや要素を一つでも多く提供する、それができないなら宣伝美術である資格なぞないのですもの。

これは私の意地でもあるのです。

仲良しこよしは要らないし、売る気のない作り手、売れる気のない役者はさようなら。時に冷酷と言われようと、きちんと届ける、クールな頭脳とアチチな心の持ち主ならその活動を全力でサポートするし、全身全霊をささげる。

そうやってサポートしたいと思える対象を見失った時が私の宣伝美術としての終わりなんだろうなと。

幸いにして今は応援したいと思える方・共に戦いたいと思える方に恵まれています。そういう人たちを大切にしながら、一人でも多くのお客様に演劇をもっと楽しんでいただきたい、もっと好きになっていただきたいと思っています。

毎度のことながら、自分語りに走り、途方もない夢を語るに着地。亀の歩みのわたくしですが、これからも足掻きっぷりを笑っていただけましたら幸いです。

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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