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自己紹介〜破天荒すぎた10年を振り返る〜



こんにちは。モッツァです。
少し前から自己紹介の記事を書きたい、
書かないと、書かねば…!と思いつつなぜか
二の足を踏んでいました。


そんな時に、ふと目に飛び込んできた記事が
こちらでした。


すっごく、魅力的に感じて
せっかくだから、参加してみたい!と
思いモタモタしていた背中を押してくれたきっかけになりました。


長い自己紹介となりますが
よろしくお願いしますm(_ _)m


⚫︎現在のわたし


東京都在住の32歳、独身、女です。
現在、ブログに綴らせていただいているように
摂食障害、強迫性障害、その弊害による栄養失調、脱水症状、低血糖、貧血により精神科に入院しています。




気分のアップダウンも激しいのですが、
数年後に、あんなこともあった!ウケる!🤣😂
と思えるように試行錯誤中、



なるべくポップに明るく、
日記として綴っていけたらと思っています。


<自己紹介>

⚫︎大学生から、今までのわたし

大学生以前のことを細々と書くと収集つかなくなってしまうようにおもったので、そこは追々書かせていただき、社会人になってからの経歴を書きます。



⚫︎インド人になりたい🇮🇳


大学生4年生の就活大戦争に一応参戦し、真面目にそれなりに自分なりに頑張る。


行きたい企業、やりたい職種などよくわからないため聞いたところのある名前の会社に手当たり次第エントリーシートを送る。



今でいう恋愛系のマッチングアプリと同じで、そこまで理由もないのに顔が好みだからという浅い感覚でイイね押したところでその先に発展などあり得ず、面白いくらいにお祈りメール(今回は残念ながらご縁がありませんでした的な内容)が私のGmailに溜まっていく。




なんとか、一社から内定をもらった9月、別に頑張ってもいないのに、達成感と開放感からか、以前から行きたかったインドに一人旅へ。


インドから帰ってきたわたしが、大学の友達に一言


わたし、インド人になるわ。



と。


本気でその時はそう思っていて、
インドに住む方法を探し、せっかくもらった内定先は辞退、奇跡的にインドに住める方法を見つける。


2012年3月、大学卒業式の翌日インドへ。



⚫︎インド人になれなかった



一年就労しながら住み、インド人と同じ生活レベルで毎日を送り、変な病気にかかったり、テロみたいなのに巻き込まれたり、暴動起こしたインド人が占拠した家の中でなぜか人質になっていたり。


当たり前ですが、

インド人にはなれませんでした。

なれないどころか、文化の違い、言葉、意味不明な暴動、思い通りにいかないことの連続、一生分のカオスを経験したんじゃないかと言う濃い日々。


VISAが満了し、インドも嫌いになりそうになり、泣きながら帰国。あのとき日本に帰る飛行機の中で食べた機内食のおいしさの味、今でも忘れません。



⚫︎わたしはまだなんかできるはず



諦めの悪いわたし、インドはダメだったけど、なんかここまできたら引き下がれない。

外国で何か、これや!!
というものを手に入れないと日本で就職はできないという謎の使命感。

そんなときにたまたまFacebookで流れてきた、

中国でインターンしませんか?

の投稿に迷わずクリック。



光の速さで、担当者の方から連絡があり、Skype面談、3ヶ月インターン続けられたら交通費はその時支給します。

コンドミニアムがあるので住むところには困らないと思います。

お小遣い程度のお金は出ますし中国は物価低いのでやっていけるかと。
お待ちしてます。


どこにあるんだかわからない、ジュハイという、香港とマカオの近くの本当に辺鄙なところ。


ここどこ?まあいいや。と
片道切符の航空券と船を乗り継いで

全く知らない、ジュハイへ。



⚫︎3ヶ月インターン後に転機が訪れる



なんだかよくわからないまま異国の街ジュハイで3ヶ月のインターン生活が過ぎ、さすがに帰国しようと思った矢先に、マレーシア支店の社員さんから、

モッツァさん、マレーシアオフィス、人欲しいって。行きたい?

帰ろうと思ってたくせに口は、咄嗟に 

行きます!!

と即答。

マレーシアで、晴れて正社員となります。


パチパチ👏

↑念のためですがわたしでは無いです笑

マレーシアの文化に触れ、マレーシアの結婚式に誘ってもらえたり変なご飯食べたり、楽しい日々でした。



⚫︎アメリカに行きたい



この女は欲が尽きないのか。
ここまできても飽きたらず、アメリカに行きたいと思い始める。

理由は、

一番大きな国?な感じがするから。



経済的にも、世界への影響力的にも。
当時25歳、これが最後のチャレンジだと思った。

英語力なし、特技なし、資格なし、誇れるものなし、そんな若さだけが売りのわたしを採用してくれるところなんかあるのかと思ったのですが、
日本橋に本店を構える金子半之助さん。
(今も大行列大繁盛、
もし良ければ行ってみてください。)

日本橋 天丼 金子半之助 本店
03-3243-0707
東京都中央区日本橋室町1-11-15 1F・2F
https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13118694/

(引用)

まさかの、シカゴ進出を狙ってる。
そこに日本人が必要とのこと

わたしやります!!
なんでもやります!!
アピールポイントは
体力と目標達成するときの馬力です!!

まさかの採用してもらい、
そのまま天ぷら職人へ。
(その割に今は料理が一切できない。)


日本橋で修行のうえ、
ロサンゼルスへロサンゼルスで準備運動を行い、


いざシカゴへ



ニューヨークに遊びに行ったり、
とても刺激的な毎日でした。


そして、2年過ぎた頃突如思う。


日本帰ろう


⚫︎帰国、日本で初めて就職をする27歳


帰国して、27歳。
はてさて、海外経験だけは豊富だが、スキルなし、英語力なし、これといって持ち合わせた自慢できるものなし、アラサーというハンデを抱えたぶっ飛び人間を採用してくれるところなんてあるのか。


東京の転職事情もよく知らない。


とりあえず…なんか

港区の企業受けたら大丈夫じゃね。。?


わたしの中で
家賃高いところにある企業=それなりに売上出てる
ということは、まともな企業。


ということで、港区に絞って転職活動。


そして、現在も在職している
超、がつくほどの上昇志向溢れるギランギランの
ベンチャー企業に拾って頂き仕事が決まりました。
奇跡‼️‼️パチパチ👏


現在、32歳、約5年この会社におんぶに抱っこ、お世話になっています。海外を点々として、何もあまり継続できない、飽き性、転職もするわたしが5年も
勤めていること自体奇跡であり、この5年は本当に色んなことがありました。



⚫︎わたしの今後の展望

なぜ海外を点々としたのか

わたしは、

居場所が欲しかったんです。

そして、何か人よりも長けているものがないと生きている価値がないと思い込んでいました。
一種の強迫観念です。

海外に行きたかったのではなく、海外に行ってきた自分になることで価値が上がると思っていました。

普通の人が行かないような国を選んだのも、差別化を周囲と図れると思ったからです。



動機は不純であり、とにかくわたしが生きてても良いよと思えるところを血眼になり探していたのが20代でした。


しかし、皮肉なことに日本から何万キロ離れた土地でも居場所は見つからず、電車ですぐ行ける、港区のベンチャー企業にわたしの居場所はありました。

居場所を提供したい


上記の理由から、わたしと同じように自分のアイデンティティを模索し、価値を探し、迷い、悩み、そして美しくも不器用な20代、30代の若手に、

ここに居て大丈夫、
生きてる価値や意味は後からついてくるもの、



あなたが今やるべきことは、焦らず急がず、目の前のことに精一杯向き合う、キツイときは一緒に休みながら前に進もう、と言える場所を作りたい。


休職と入院をしている今

わたしは、
入院の前に会社を辞めようと思っていました。



会社の即戦力ではなくなること、最前線からの離脱、出世街道からのフェードアウト、時間が止まること、金銭面の不安、休んだところで身体も心も元に戻るか保証はない。



パドルの漕げない、クルーは不要なのと同じよに、わたしは船から降りようと思いました。

退職の旨を社長に伝えたところ

5年一緒にやってきた。無期限で良いから休職すれ良いし、体を治してまた戻ってくれば良い。そんなに深刻に考えることじゃない。とにかく休め。



世の中には、
人のことは信じ過ぎない方が良い、
人は誰しも裏切る可能性がある
人だから心も変わる


など、いろんな考え方があると思います。

わたしも会社の信者ではないし、
ビジネスの上(雇用者と労働者)でのやりとりだと自負しています。



でも、わたしはどうせ一度きりの人生

何も信じない人生より
何かを信じてみる人生
を選びたい。

そう、決めています。



なぜなら、
自分がそう在らないと

きっと誰かにとっての
居場所なんて作れないと思うから


会長からも沢山の言葉をもらっています。


摂食障害と入院を経て


わたしは、自分の弱さ、課題、負の循環を先ずは自分で噛みちぎり、離別することが今やるべきことです。



他人への依存、目に見えるものだけで物事を判断してしまう。


そして、感受性が高い分、傷つきやすく落ち込みやすい。



しかし、全ての短所やコンプレックスは必ず自分の起爆剤となり、長所に転換出来ると感じています。

入院生活は辛くキツく
涙を流すことの方が多いです。


でも、経験したこと全てを肥やしにして、社会復帰をし会社の後輩や部下たちに、何か一つでもその人にとって前進できるようなアドバイスをしていきたい。そしてわたし自身も身を削る方法ではなく己を大切にしながら自分のペースで生きていきたい。


そして、
誰かにとっての居場所、ホッと出来る場所、居るだけで肯定される環境を作って行きたいと思っています。


わたしの自己紹介と、今後については以上になりますが内容を補足したり、ブラッシュアップしたり、記事を付け加えたり、更新していきたいと思います。


ここまでお読み頂きありがとうございました。🙇‍♀️

引き続き宜しくお願いします。



もし良ければこちらもご覧ください🙇‍♀️‼️

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