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入院生活ブログ2日目② 〜哲学者ニーチェに元気をもらうの巻〜


精神科の夜は長い


昼間はあまり気にならないけれど、
夜になるとナースステーションのナースコールがひっきりなしに鳴っている。

私のベッドの目の前がナースステーションだから人の気配を常に感じる。
昼間だから気にならないのか、
夜になると鳴る数が増えているのか正確にはわからないけれど
明らかに昼間よりも看護士さんは忙しいそうにしている。


みんな不安なんだ



と思う。

聞きたくなくても声が聞こえてくる。
内容はさまざまで

大半が、
睡眠薬か精神安定の頓服くださいという要望
熱がありますなど体調不良
足腰の不自由な方のトイレ

あとは、
とにかく不安で話したいという人

ずっとずっとナースコールは鳴り止まない。


人の不安の数だけ鳴り続けている。



2日目のわたしはその病院の状態に気が引けてしまった。

わたしは自分でトイレに行けるし、
水も飲める
寝返りも出来る。

だけど、
心臓がバクバクしていてこのままだと一睡も出来ないのが分かっている。

理由は明確で
日中のお昼は食べて全て戻してしまった。

自己嫌悪と悔しくて悲しい気持ち。
外の世界で待ってくれている人を裏切った気持ち。



全部が弧を描いて
私を恐怖のどん底に突き落とそうとする。



でも、そこから数時間で気持ちを取り戻し
夜ご飯は完食し、戻すことも耐えられた。

白米をきちんと吸収したのは何年振りだろう。


嬉しさと、
複雑な気持ちを抱えたまま就寝時間の21時を迎えた。


今日の夜ご飯が吸収されて自分の贅肉と脂肪になるんだ、

怖い

太ったら洋服がはいらなくなる

怖い

太ったわたしをみて周囲はなんと言うだろう


明日も朝ごはんをたべないといけない…


考えてもどうしようないことが
浮き上がってきては沈んでいく
沈んだままでいてくれたらいいのに
鳴り止まないナースコールの音が思考を助長させる。


他の患者さんの対応で
看護士さんお忙しいから

我慢しよう
と思った矢先に体が熱いことに気付く



熱を測ってみたら37.6
微熱だ…


意を決してナースコールを鳴らす

すぐに2名の看護士さんが来てくださった

睡眠薬と解熱剤を持ってきてくれて、
また何かあればいつでも声かけてね、誰も寝ないから笑笑👍

と言っていなくなって行った。


時間は23:30
2時間半もナースコール鳴らすのに時間を要し有る事無い事考えてたわたし、やっぱりアホだな…🥲



手を差し伸べたら、
握り返してくれる人がここにはいる。

例えそれがその人にとっては仕事だったとしても私にとっては救いになりました。


ーーーーーーーー

病院に来てから、
看護士さんたちに

あなた、背が高いんだから胸張って堂々としてたら良いのよ!

わたしは綺麗よ😏
って思いながら歩いた方が良いよ

美人さんなのにもったいない、、

など、100%お世辞と励ましとわかってはいるが、
わたしを肯定してくれる言葉をかけてくださる。


わたしは身長172センチ体重は40キロ
一番多い時は高校生の時で62キロだった。
過度なダイエット、
食事制限を繰り返して今に至る。

今回の入院で
40キロを46キロくらいまで持って行けたらと思う。
正直46キロに持って行くのは簡単で、
食べれば良いだけ




そうではなく
太った、体重を増やしたと言う現実を受け止められるか
太った自分を受け入れていけるか
周囲の評価や目を気にせずにいられるか


だから、
数値化出来ない自分との闘いになる。


看護士さんに行ってもらえた

美人というのが世辞だとしても

痩せてからは確実に
綺麗だねと言われる回数が増えた。

服も似合うようになった。

ムチムチしてた学生のときは、
お前と付き合う奴いたら会ってみて〜よ!笑笑
と男子に言われるくらいだった。

背も高く、そこまで太ってないのにガタイがよく見えて存在感が増してたため
マンガのデブキャラなどいるとそれに例えられていた。


死に物狂いで手に入れた体型
全てを犠牲にして獲得できた評価
それを自分で手放すことへの絶望感


なんのために必死で痩せてきたのだろう。


あのときは20代と10代の境目
今は30代。

太っただけで、
何か言うデリカシーの無い人はもう周りにはいない

いないことをわかっていながらも

思春期に言われた棘のような言葉が鼓膜の奥深くにこびりついて取れない。



だけれども、
そんな過去に囚われて今を暗くしてるのは紛れもなくわたしだ。


学生の時、私に心無い言葉を言い放った男子はそんなことさえも忘れているでしょう。



未来に想いを馳せて
今を噛み締めて生きるしか方法が無いことにはとっくに気付いている。


ーーーーーーーー

ドイツの哲学者ニーチェは
私が好きな1人の学者さんです。


この方、非常に言ってる事が難しくなかなか理解に時間を要してしまうのですが、今の自分の状況と照らし合わせてみるとすごく勇気をもらえました。

ニーチェの名著であるツァラトゥスラという本には

生の肯定、徹底的に自分の人生を肯定すること
が書かれています。


すなわち
人生の負のループの終わりを告げる最強の書物です。



ツァラトゥスラの中でニーチェは
永遠回帰
というものを提唱しています。



輪廻転生は聞いたことありますが、
永遠回帰はあまり聞かない言葉です。

生命はいろんなものに無限に生まれ変わるというのが輪廻転生。


永遠回帰は
同じ事がずっと繰り返されるということ。
あなたは今の人生を永遠に繰り返して前世も来世もずっと同じ人生を繰り返していく。
無限ループの中をずっと生き続けているんですよという考え。

あくまでも永遠回帰は仮説であり事実ではない。

この
永遠回帰が仮にあったとして
自分の人生を何度も繰り返すことを受け入れることができるかと真剣にイメージしてみた場合


それって最高‼️‼️✨
となるか、
勘弁してくれて‼️‼️😵
となるか

わたしたち人間は
よほど恵まれて幸せでは無い限り
忘れたい過去や過ちに囚われて生きている人がほとんどで
それを無限に経験しつづけるとは
生まれ変わった時に例え
過去の記憶が消去されたとしても辛いことです

二つ返事で、繰り返したいです!とは言いづらいです。
私は少なくとも出来ないです。


しかし、
この仮説は私たちを絶望させたい訳ではなく
この永遠回帰は捉え方一つで大きな武器になります。

仮に
永遠回帰がループすると考えた時

永遠にポジティブで肯定的な幸福な人生か

永遠のネガティブで否定的な不幸な人生か

選ぶとしたらどちらか。

そしてもし
前者を選ぶのだとしたら
永遠に繰り返しても良いと思える人生を生きてみようと前向きに捉えて行くしかなくなる


つまり
永遠回帰は
人生を肯定的に力強く前向きに歩んでいく

思考法

です。

では
一体どうすれば永遠回帰の思考法を受け入れて実践できるのか。


まずニーチェは
ニヒリズムを克服する必要があるといいました。

ニヒリズムとは

虚無主義。今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ニヒリズム(Wikipedia参照)


ツァラトゥスラの中で
このようなシーンで語られています。


道を歩いていると牧人が倒れていました。
牧人に近寄ってみると牧人の口から大きな蛇のしっぽが出ていて、牧人はあまりの苦しさに喘ぎのたうち回っています。

周りの人間が蛇を掴んで引っ張っりだそうとしますが、蛇は微動だにしません。


そのとき、周囲の人間が叫びます
「さあ、蛇を噛みちぎってしまえ!!」

すると牧人は言われるがままに蛇をガブッと噛んで頭を噛みちぎり、
それと同時にパッと立ち上がり高らかに笑いました。


このシーンをわかりやすくまとめると

牧人はニヒリズム(虚無主義)に
囚われたわたしたち人間を表しており

こんな希望のない世界に生きていたって意味がない。
頑張っても報われない。
どうせわたしなんかどうせ僕なんか。

こういった思考に陥ると、
この牧人のように私たちはあたかも蛇を口にいれてるいるかのようにとても息苦しい人生になります。



しかし牧人は
自分を苦しめる蛇(自分を息苦しくしている思考)
を自分で噛みちぎり窮地を脱しました。


これがニヒリズムの克服です。

不安、恐怖、自己不信、嫉妬、失望という色んなネガティブに人生を囚われ、悲観的に捉えることしか出来なかった弱い自分(蛇)を自ら噛み殺した。


そして
力強く前向きに生きる自分になることの覚悟を決め人生を否定的なものから
肯定的なものへと変換、
そして高らかに笑える人生がくる


これこそが
永遠回帰の思想を受け入れて実践し
例え自分の人生が永遠に繰り返されるとなっても、
自分の人生は幸福でポジティブな一生であるため
繰り返されるとなっても苦痛はなにもない。

と説いています。



ニーチェの提唱する
永遠回帰の実践するにあたっての心構え

苦しい人生に遭遇し、
死にたくなるほど絶望しても

これこそが人生なのか。
だったらもう一度かかってこい。
と勇気をもって立ち向かう心でいること。

言っています。


生きているこの瞬間こそ
これこそわたしの人生だ、
と自信を持って肯定できる人は
過去を振り返ってもこれでよかったんだ
と肯定する強さがあります


そして未来に対しても
臆することなく強く歩んでいく事ができます。

つまり

今この瞬間さえ肯定してしまえば

永遠の肯定ループが生まれるということ


この思考ができるようになるまでは
一本の綱渡りをするかのように危険が伴います。
辛いことももちろんあります。

ただ、
それが怖くて安全地帯を探し続け
ジッとして誰かが助けてくれるのを待つのか

牧人のように
辛くても自分自身で自分を苦しめるものを断ち切るのか


きっと自分で断ち切る方が幸せになれる。


やれるだけのことを全てやって
全部肯定してまおうとも
ニーチェは言っています。


そしてニーチェは
運命愛について語っています。


自分の全ての運命を受け入れ肯定せよ

これは楽しかったから○
これは辛かったから×
と部分的に受け取るのではなく
全てを愛することの大切さを言っています。

そんなことは難しいのではないかと
現代の私たちはおもいます。

でもニーチェはいいます

たった一度でいい
人生の中で魂が震えるほどの歓喜を体験出来たならばその人生は生きるに値する
だからどんな運命だろうど自分の人生を愛し前向きに肯定的に生きよ


長い文章になりましたが
これは私自身に向けた叱咤激励に近いです。

入院している今
自由がない今
泣くことの多い今
死にたくなる今

こんな自分の人生をもう一度繰り返すなんて
考えただけでもゾッとします。
だったら、イチゴとかマンゴーとかブドウとか
見た目も可愛く綺麗で
人から愛されて美味しく食べられる
果物に生まれた方がマシです。😔😮‍💨


それでも永遠回帰があるなら
たしかに良い人生にするしかない。
わたしの思考が不幸を呼んでいるわけだから
断ち切るしかない🥷🔪


ダメなわたしも、良いわたしも肯定して
これでよかったんだ!と高らかに胸張って笑うしかない。


そう思います。



このブログを書いてる今も葛藤と、苦悩の連続で
思うように食べれないし、看護士さんとコミュニケーションが取れないし、
でも思考一つで変えられることも知りました。


私は頑張ります‼️🌸

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